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ベジャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベジャ

باجة
愛称: 
The Granary of Rome[1]
ベジャの位置(チュニジア内)
ベジャ
ベジャ
座標: 北緯36度44分 東経09度11分 / 北緯36.733度 東経9.183度 / 36.733; 9.183
チュニジアの旗 チュニジア共和国
ベジャ県
政府
 • 特別派遣団代表 Ahlem Arfaoui
面積
 • 合計 13.05 km2
標高
222 m
人口
(2014年)
 • 合計 109,299人
等時帯 UTC+1 (中央ヨーロッパ時間)
 • 夏時間 UTC+2 (中央ヨーロッパ夏時間)
ウェブサイト www.commune-beja.gov.tn

ベジャ(アラビア語:باجة)はチュニジア共和国北西部のベジャ県の県都。 首都チュニスから105km離れている。 メジェルダ川地中海に挟まれる。 2014年の人口は約10.9万人。

歴史

[編集]

フェニキアが交易場を設置した。

ヌミディアユグルタ王(紀元前160年 - 紀元前104年/在位:紀元前118年 - 紀元前106年)が町を築き、「ワガ」と名付けた。

紀元前112年ヌミディア共和政ローマの間でユグルタ戦争が起きた。 ローマの将軍はクィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス(紀元前160年 - 紀元前91年)だった。 ローマはワガを破壊し、新しく設立した都市を「ヴァッカ」「ヴァガ」と名付けた。 ヴァッカは繁栄し司教管区が置かれた。

ヴァンダルがヴァッカを征服し破壊した。 その後町は約1世紀放置された。

東ローマ帝国がヴァッカを復興し、要塞を建設した。

ウマイヤ朝が征服し、「バジャ」と改名した。

944年ファーティマ朝が大モスクを建設した。

1675年ムラド・ベイ2世英語版ハナフィー学派の為にベイ・モスクを建設した。

1685年モハメド・ベイ・エル・モウラディ英語版マドラサ(イスラム学院)をベイ・モスクに増設した。

1880年フランスが征服し「ベジャ」と改名した。

1881年4月24日、アルジェリアのロゲロトが、ケフ県を経由してベジャを征服した。

1883年、豊かな土地を求めて入植したヨーロッパ人の為に教会が建設された。

1887年カルタゴネクロポリス(集団墓地)が出土した。 7月13日、ベジャ市が設置された。

1942年11月16日、ドイツ軍が訪れ24時間以内に降伏するよう市長に最後通牒を出した。(オクセンコフ作戦英語版)。 ベジャは交通の要所だった。 市長はアルジェにこの事を伝えた。 17日、イギリスパラシュート舞台が北の丘に到着した。 19日、ドイツがベジャを警告として空襲した。 20日、ドイツが数時間に及ぶ空襲を行った。 ベジャはドイツ連合軍の戦場になった。 28日夜、イギリスが勝利した。

地理

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チュニジア北西部の白丘に位置し、メジェルダ川が横切る。 カルタゴチュニスからキルタ (アルジェリア)英語版アンナバへの途中に有る。

気候

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ベジャの気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 13.
(55)
14.9
(58.8)
17.9
(64.2)
19.9
(67.8)
22.8
(73)
28
(82)
33
(91)
33.1
(91.6)
29.8
(85.6)
25.4
(77.7)
18.5
(65.3)
15.3
(59.5)
22.63
(72.63)
日平均気温 °C°F 9.3
(48.7)
10.1
(50.2)
12.5
(54.5)
15,6 19,3 24
(75)
27.3
(81.1)
27.4
(81.3)
24.4
(75.9)
19.2
(66.6)
14.1
(57.4)
10.4
(50.7)
平均最低気温 °C°F 5.1
(41.2)
5.3
(41.5)
7.1
(44.8)
8.5
(47.3)
10.9
(51.6)
12.7
(54.9)
15.2
(59.4)
15.4
(59.7)
15.3
(59.5)
12.4
(54.3)
8.4
(47.1)
6.2
(43.2)
10.21
(50.38)
降水量 mm (inch) 104
(4.09)
88
(3.46)
64
(2.52)
51
(2.01)
33
(1.3)
15
(0.59)
6
(0.24)
5
(0.2)
34
(1.34)
60
(2.36)
61
(2.4)
105
(4.13)
626
(24.64)
平均降水日数 13 12 10 11 7 3 1 2 9 9 11 15 103
出典1:Levoyageur.net[2]
出典2:WeatherOnline[3]
ベジャ市役所
ベジャ市役所会議室

宗教

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ベジャの大モスク
ベイ・モスク

ベジェ市民の殆どはムスリムである。 かつてはユダヤ教キリスト教の集団が居たが、チュニジアフランスから独立した事で、彼らはヨーロッパ北アメリカイスラエルに移住した。 現在も教会やシナゴーグが残っている。

ノートルダム・ロザリオ教会

フランスチュニジア保護国にすると、多くのヨーロッパ人が豊かな土地を求めて入植した。 1883年に建てられた教会が手狭になったので、後に大きなノートルダム・ロザリオ教会が建てられた。 独立後は教会は公民館として使われた。

教育

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ベジャ技術研究高等機関
ベジャ言語・コンピューター高等機関
シディ・ババ・アリ・スマディ霊廟の扉

姉妹都市

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外部リンク

[編集]

脚注

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  1. ^ Exploring and Explaining Diversity in Agricultural Technology by Annelou van Gijn, John Whittaker, Patricia . page 147
  2. ^ Données climatiques annuelles (Levoyageur.net)
  3. ^ Statistiques climatiques de Béja (WeatherOnline)