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ベインティシンコ・デ・マヨ (重巡洋艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

撮影:第2次世界大戦から1959年にかけて
艦歴
発注 イタリア、OTOリヴォルノ造船所
起工 1927年11月29日
進水 1929年8月11日
就役 1931年7月11日
退役
その後 1962年3月に解体処分
除籍 1961年3月24日
性能諸元
排水量 基準:7,600トン
満載:9,100トン
10,850トン(1943年)
全長 170.8m
水線長 163.2m
全幅 17.82m
吃水 4.66m(満載)
機関 ヤーロー重油専焼水管缶
+パーソンズギヤード・タービン2基2軸推進
最大出力 85,000hp
最大速力 32.0ノット
航続距離 14ノット/8,030海里
燃料 重油:-トン
乗員 600名
兵装(竣工時) OTO 1931年型 19cm(52口径)連装砲3基
OTO 1930.年型 10cm(47口径)連装高角砲
ヴィッカーズ 4cm(39口径)単装ポンポン砲6基
53.3cm三連装魚雷発射管2基
装甲 舷側:50mm(水線部)
甲板:25mm(主甲板)
主砲塔:50mm(最厚部)
司令塔:65mm(最厚部)
航空兵装 グラマン J2F ダック水上機2機

ベインティシンコ・デ・マヨはアルゼンチンのベインティシンコ・デ・マヨ級重巡洋艦の一隻。

建造はOTO社のリヴォルノ造船所。 1927年11月29日起工。1929年8月11日進水。1931年7月11日竣工。 アルゼンチン海軍への引渡し後、1931年7月27日にジェノヴァからアルゼンチンへ出発。9月25日に到着している。 スペイン内戦時にはスペインへ派遣されている。 中立国であったため第二次世界大戦での目立った活動は無い。 1959年には予備役となり、1961年7月31日に除籍。1962年3月、イタリアの解体業者の下へ向かう。

脚注

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関連項目

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