ベイビーフェイス (ミュージシャン)
ベイビーフェイス | |
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2013年5月撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | ケネス・ブライアン・エドモンズ |
生誕 | 1958年4月10日(66歳)[1] |
出身地 | アメリカ合衆国・インディアナ州インディアナポリス |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1974年 - |
レーベル | |
共同作業者 | |
公式サイト | Babyface - Official Site |
ケネス・ブライアン・エドモンズ (Kenneth Brian Edmonds、1958年[1]4月10日 - ) は、ベイビーフェイス (Babyface)の名で知られるアメリカのシンガーソングライター、音楽プロデューサーである。インディアナ州インディアナポリス出身。
身長175cm[3]。
来歴
[編集]1970年代から1980年代半ばにかけては、マンチャイルド、ディールなどのバンド・メンバーとして活動していた。ディールにおいては自身のボーカルによるヒット曲も生んでいる。
ディールで活動を共にしたアントニオ "L.A." リード(現Island/Def Jam Music Group会長)と共同で音楽プロデューサーとして1980年代中盤から活動を開始(1989年にはリードとラフェイス・レコードを共同設立している)、ウィスパーズ「Rock Steady」(1987年)、ペブルス「ガールフレンド」(1987年)などのヒット曲で頭角を現し、その後、ボビー・ブラウン、ジョニー・ギル、キャリン・ホワイト、ホイットニー・ヒューストン、TLC、トニ・ブラクストン、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、エリック・クラプトン、マドンナ、ジェイ・Z、フォクシー・ブラウンなどの楽曲のプロデュースでヒット曲を連発した。
特に、トニ・ブラクストンの紹介も兼ねた映画『ブーメラン』のサウンドトラック(1992年)から誕生したボーイズIIメン「End of the Road」はビルボードシングルチャートで連続13週、「I'll Make Love to You」(1994年)は連続14週連続1位を記録するメガヒットとなり、グラミー賞においては、作曲家・プロデューサーとして、ベストR&Bソング、ベストプロデューサー、レコード・オブ・ザ・イヤーなどを幾度も受賞するなど、プロデューサーの地位を不動のものとした。
ベイビーフェイス自身も、1980年代後半からソロ・シンガーとして活動している。主に、シンガーとしてのほかに、ピアノ、キーボード、ギター全般、プログラミングを一人でこなし、作詞、作曲、編曲、プロデュースも一人でこなすマルチプレイヤーである。曲によっては共作も多く行う。
芸名は、ディール時代にブーツィー・コリンズから「童顔」(Babyface)と呼ばれたことに由来する。
1994年に放送された『ビバリーヒルズ青春白書』の最終回にゲスト出演(本人役)したことがある。
妻トレーシーとは、共にレーベル設立や映画製作を行ってきたが、2005年10月に離婚。13年間の結婚生活であった。
ベイビーフェイスの兄弟の2人は、L.A.リードの従兄弟と共にアフター7として活動していた。その内のひとりであるケヴォン・エドモンズは、アフター7解散後はソロ・シンガーとして活動している。それらの活動のいずれにもベイビーフェイスが楽曲提供やプロデュースで関与。
作風
[編集]1980年代から1990年代初頭にかけては、活動を共にしていたL.A.リード(彼はディールにおいてはドラマーであった)の影響もあり、リズムとビートを強調したダンスナンバーか、コンテンポラリー色の強い都会的なラブバラードが中心だったが、1990年代中頃にL.A.リードとのコンビ活動を解消すると、1993年の自演曲「When Can I See You」や、1996年のエリック・クラプトンに対するプロデュース曲「チェンジ・ザ・ワールド」に代表されるような、アコースティックでフォーキーなミディアム/スロー中心というスタイルに傾いていった。それでもプロデュースで提供する曲は、現在に至るまでも幅広く、アップからミディアム、スロージャムまで幅広くこなす。
マドンナの最大のヒット曲「テイク・ア・バウ」では東アジア・テイスト、クリセット・ミッシェルの「Best of Me」ではボサノヴァ・テイストと、R&Bのカテゴリーに収まらない曲調でも才能を発揮している。
自身のパフォーマンスする楽曲に関しては、スロージャムの割合が多い。近年は自身のシンガーとしての活動に重点をおいている。
評価
[編集]音楽評論家の松尾潔は、1980年代後半のラフェイスのきらめきに関して、1960年代のホランド=ドジャー=ホランド、1970年代のギャンブル&ハフに比すべき極まりを見せていたと断言できると評している。
ディスコグラフィ
[編集]スタジオ・アルバム
[編集]- 『ラヴァーズ』 - Lovers (1986年)
- 『テンダー・ラヴァー』 - Tender Lover (1989年)
- 『フォー・ザ・クール・イン・ユー』 - For the Cool in You (1993年)
- 『ザ・デイ』 - The Day (1996年)
- 『クリスマス・ウィズ・ベイビーフェイス』 - Christmas with Babyface (1998年)
- 『face 2 face』 - Face2Face (2001年)
- 『グロウン・アンド・セクシー』 - Grown & Sexy (2005年)
- 『プレイリスト』 - Playlist (2007年)
- 『リターン・オブ・ザ・テンダー・ラヴァー』 - Return of the Tender Lover (2015年)
- 『ガールズ・ナイト・アウト』 - Girls Night Out (2022年)
ライブ・アルバム
[編集]- 『アンプラグド』 - MTV Unplugged NYC 1997 (1997年)
リミックス・アルバム
[編集]- 『クローサー・ルック〜ベスト』 - A Closer Look (1991年)
- The Other Side of Cool (2005年)
コンピレーション・アルバム
[編集]- 『ジュエルズ〜ベイビーフェイス・ベスト・ワークス・オン・ソーラー』 - Jewels - Babyface's Best Works On Solar (1989年)
- 『グレイテスト・ヒッツ』 - A Collection of His Greatest Hits (2000年)
- 『ラヴ・ソングス』 - Love Songs (2001年)
- 『エッセンシャル・ベイビーフェイス』 - The Essential Babyface (2003年)
- 『プレイリスト:ヴェリー・ベスト・オブ・ベイビーフェイス』 - Playlist: The Very Best Of Jermaine Jackson (2012年)
コラボレーション・アルバム
[編集]- 『マンチャイルド/フィーチャリング・ベイビーフェイス』 - Power and Love (1977年) ※with マンチャイルド
- Feel the Phuff (1978年) ※with マンチャイルド
- Street Beat (1983年) ※with ディール
- 『マテリアル・サングズ』 - Material Thangz (1985年) ※with ディール
- 『アイズ・オブ・ア・ストレンジャー』 - Eyes of a Stranger (1987年) ※with ディール
- 『恋愛〜結婚〜離婚』 - Love, Marriage & Divorce (2014年) ※with トニ・ブラクストン
日本公演
[編集]- 12月7日 北海道厚生年金会館、10日 東京ベイN.K.ホール、12日 神戸国際会館、13日 愛知厚生年金会館
- 10月22日,23日 グランキューブ大阪、25日 SHIBUYA-AX、26日 日本武道館、27日 Zepp Tokyo、29日 東京国際フォーラムホールA、30日 名古屋センチュリーホール、31日,11月2日 Zepp Fukuoka
- 10月15日,16日,18日,19日,20日 Billboard Live TOKYO
出典
[編集]- ^ a b 吉岡正晴 (2001年10月2日). “ベイビーフェイスを育んだもの~ベイビーフェイス、20年の軌跡~|BARKS”. 2019年4月27日閲覧。
- ^ a b c d Huey, Steve. Babyface | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月11日閲覧。
- ^ “Kenneth 'Babyface' Edmonds | Music Department, Composer, Actor” (英語). IMDb. 2024年3月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 松尾潔『松尾潔のメロウな季節』(2015年、SPACE SHOWER BOOKS)