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ヘンリー・ストレイチー (初代準男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

初代準男爵サーヘンリー・ストレイチー(Sir Henry Strachey, 1st Baronet、1737年5月23日 - 1810年1月3日)は、イギリス官僚政治家

生涯

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ストレイチーは、サマセット州のサットン・コート (Sutton Court) の主だった同名の父ヘンリー・ストレイチーと、その最初の妻で、スコットランド人医師ロバート・クラーク (Robert Clerk) の娘であったヘレンとの間に生まれた長男であった。祖父ジョン・ストレイチー地率学者であり、同名の曾祖父ジョン・ストレイチーは、ジョン・ロックの友人であった[1]

1762年インドにいたロバート・クライヴの私設秘書に任じられ、1768年ポンテフラクト選挙区 (Pontefract) から庶民院に選出されるまで、この職に就いていた。1774年までポンテフラクト選挙区選出で議席を占めた後は、1774年から1778年までと1780年から1782年まではビショップス・キャッスル選挙区 (Bishop's Castle) から、1778年から1780年まではソルタッシュ選挙区 (Saltash) から、1802年から1807年まではイースト・グリンステッド選挙区 (East Grinstead) から、それぞれ選出された[1]

ストレイチーは、1778年から1780年まで、兵站補給部長 (Clerk of the Deliveries of the Ordnance)、1780年から1783年までと、1783年には兵站管理部長 (Principal Storekeeper of the Ordnance) を務め、1782年には第2次ロッキンガム侯爵内閣において財務省政務官 (Secretary to the Treasury) のひとりとなり、1782年から1783年にかけては、シェルバーン伯爵内閣において内務省政務官 (Under-Secretary of State for the Home Department) のひとりとなった。1783年には、パリにおけるアメリカ独立戦争の講和に至る和平交渉に、リチャード・オズワルド (Richard Oswald) とともにイギリス側を代表して参加し、アメリカ合衆国を代表したジョン・ジェイジョン・アダムズベンジャミン・フランクリンらとの交渉に当たった。この交渉の結果、パリ条約が締結された。ストレイチーは、その後、1794年から1810年まで王室内務主事 (Master of the Household) を務めた。

1801年、(サマセット州サットン・コートの)準男爵に叙爵された[1][2]

1810年1月に72歳で死去し、準男爵位は長男ヘンリーが襲爵した[1]

家族

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ストレイチーは、1770年に、ジョン・ケンゾル (John Kelsall) のひとり娘ジェーン (Jane) と結婚した。夫妻の間には男子3人と女子1人が生まれた。次男のエドワード・ストレイチーは、ジョン・ストレイチーサーリチャード・ストレイチー中将 (Lieutenant-General Sir Richard Strachey) らの父であり、リットン・ストレイチージェームズ・ストレイチー (James Strachey)、オリヴァー・ストレイチー (Oliver Strachey)、ドロシー・バッシー (Dorothy Bussy) らの祖父にあたる。ストレイチーの子孫には、ほかにも自由党の政治家初代ストレイチー男爵エドワード・ストレイチー、ジャーナリストのジョン・ストレイチー労働党の政治家ジョン・ストレイチー (John Strachey) らがいる。

ストレイチー準男爵夫人 (Lady Strachey) は、1824年2月12日に死去した[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e Carlyle 1901.
  2. ^ "No. 15372". The London Gazette (英語). 2 June 1801. p. 619.

出典

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外部リンク

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グレートブリテン議会英語版
先代
William Monckton-Arundell, 2nd Viscount Galway
Sir Rowland Winn, 5th Baronet
ポンテフラクト選挙区選出庶民院議員
William Monckton-Arundell, 2nd Viscount Galway 1768年 – 1772年
第3代ゴールウェイ子爵 1772年 – 1774年
Robert Monckton 1774年

1768年 – 1774年
次代
Sir John Goodricke, 5th Baronet
Charles Mellish
先代
George Clive
アレグザンダー・ウェッダーバーン
ビショップス・キャッスル選挙区選出庶民院議員
George Clive

1774年 – 1778年
次代
George Clive
Alexander Wedderburn
先代
Grey Cooper
Sir Charles Whitworth
ソルタッシュ選挙区選出庶民院議員
Grey Cooper

1778年 – 1780年
次代
Grey Cooper
Charles Jenkinson
先代
アレグザンダー・ウェッダーバーン
ウィリアム・クライヴ
ビショップス・キャッスル選挙区選出庶民院議員
ウィリアム・クライヴ

1780年 – 1801年
次代
連合王国議会
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
グレートブリテン議会
ビショップス・キャッスル選挙区選出庶民院議員
ウィリアム・クライヴ

1801年 – 1802年
次代
ウィリアム・クライヴ
John Robinson
先代
ナサニエル・ダンス
Charles Ellis
イースト・グリンステッド選挙区選出
Daniel Giles

1802年 – 1807年
次代
Charles Ellis
Richard Wellesley
公職
先代
Benjamin Langlois
兵站補給部長
1778年 – 1780年
次代
John Kenrick
兵站管理部長
1780年 - 1782年
次代
John Aldridge
先代
Sir Grey Cooper
John Robinson
財務省政務官
1782年
同職:Edward Chamberlain
Richard Burke
次代
Thomas Orde
George Rose
先代
Thomas Orde
内務省政務官
1782年 – 1783年
次代
ジョージ・ノース閣下
先代
John Aldridge
兵站管理部長
1783年 – 1784年
次代
John Aldridge
宮廷職
先代
Sir Francis Henry Drake, 5th Baronet
王室内務主事
1794年 – 1810年
次代
William Kenrick
イギリスの準男爵
先代
新設
準男爵
サットン・コート

1801年 – 1810年
次代
ヘンリー・ストレイチー