ヘンリー・シンジョン (第13代ブレッツォのシンジョン男爵)
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第13代ブレッツォのシンジョン男爵ヘンリー・ビーチャム・シンジョン(英語: Henry Beauchamp St John, 13th Baron St John of Bletso FLS、1758年8月2日 – 1805年12月18日)は、イングランド貴族。
生涯
[編集]第12代ブレッツォのシンジョン男爵ジョン・シンジョンと妻スザンナ・ルイーザ(Susanna Louisa、旧姓シモンド(Simond)、1725年ごろ – 1805年10月17日 バース、ピーター・シモンドの娘)の次男(長男ジョン・ピーターは1760年に4歳で没)として、1758年8月2日にノーサンプトンシャーのウッドフォードで生まれた[1]。1767年4月20日に父が死去すると、ブレッツォのシンジョン男爵位を継承した[1]。
1780年12月2日、エマ・マリア・エリザベス・ウィットブレッド(Emma Maria Elizabeth Whitbread、1825年7月10日没、サミュエル・ウィットブレッドの次女)と結婚[1]、1男4女をもうけた。
- 男子(1784年ごろ – 1791年3月 エクセター[1])
- エマ(1865年7月23日没) - 1806年、ジョン・フォスター(John Foster、1865年までに没、聖職者)と結婚[2]
- オーガスタ(1813年1月30日没) - サー・ジョン・ヴォーンと結婚、子供あり[2]
- マーガレット・レティシア・マティルダ(1868年3月5日没) - 1813年4月20日、サー・アルバート・ペル(Sir Albert Pell、1832年9月6日没)と結婚、子供あり[2]
- バーバラ(1855年5月15日没) - 1813年7月20日、トマス・ベッドフォード(Thomas Bedford、1816年3月9日没)と結婚[2]
ロンドン・リンネ協会フェローに選出された[1]。
1805年12月19日に死去、息子が早世したため弟セント・アンドルーが爵位を継承した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1949). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Rickerton to Sisonby) (英語). Vol. 11 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 337–338.
- ^ a b c d Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 1760.
イングランドの爵位 | ||
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先代 ジョン・シンジョン |
ブレッツォのシンジョン男爵 1767年 – 1805年 |
次代 セント・アンドルー・シンジョン |