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ヘンリー・シンクレア (第10代シンクレア卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第10代シンクレア卿ヘンリー・シンクレア英語: Henry St Clair, 10th Lord Sinclair1660年6月3日洗礼 – 1723年3月14日埋葬)は、スコットランド貴族

生涯

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ジョン・シンクレア(John St Clair、1632年2月14日洗礼 – 1672年8月22日以降)とキャサリン・シンクレア(Catherine Sinclair、1666年7月13日没、第9代シンクレア卿ジョン・シンクレアの娘)の息子として生まれ[1]、1660年6月3日にエディンバラで洗礼を受けた[2]

1674年11月10日に母方の祖父が死去した[1]。『クラクロフト貴族名鑑』によると、15世紀に創設されたシンクレア卿 (英語版) の爵位が女系継承を許可しているかははっきりせず、男系しか許可しない場合は第9代シンクレア卿の死とともにシンクレア卿の爵位が休止状態dormant)になっていた[1]。結果的には1677年6月1日に爵位の継承規定が改訂され、ヘンリーがシンクレア卿として承認されるとともにヘンリーの男系子孫、ヘンリーの弟ジョンの男系子孫、ヘンリーの父方の叔父たち(ロバート、ジョージ、マシュー)およびその男系子孫、ヘンリーの最近親の男系子孫、という継承順位が定められた[2]。また、それに先立つ1676年には母方の祖父の遺産を継承した[1]

名誉革命の後、ウィリアム3世メアリー2世の即位を承認する(スコットランド議会英語版の)法案に抗議したが、スコットランド貴族のうち抗議したのはシンクレア卿だけだった[1]

1708年、フランスによるイギリス侵攻計画に加担した疑いをかけられ、エディンバラ城に投獄された[1]

1723年3月に死去、14日にダイザート英語版で埋葬された[2]。長男ジョン英語版が私権剥奪(attainder)されていたため、爵位を継承できずに剥奪された[1]。1782年、貴族院は第10代シンクレア卿の母方のおじマシューの曽孫にあたるチャールズ・シンクレアによるシンクレア卿の継承を承認した[1]

家族

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1680年12月30日、グリゼル・コックバーン/バーバラ・コックバーン(Grizel Cockburn/Barbara Cockburn初代準男爵サー・ジェームズ・コックバーンの娘)と結婚、6男5女をもうけた[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i "Sinclair, Lord (S, c.1449 - forfeited 1723)". Cracroft's Peerage (英語). 27 March 2010. 2019年11月23日閲覧
  2. ^ a b c Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). Vol. VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 586–587.
スコットランドの爵位
先代
ジョン・シンクレア
シンクレア卿
第1期
1674年 – 1723年
次代
チャールズ・シンクレア法律上