ヘロイーズ・ブレーナード
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エロイーズ・ブレーナード | |
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生誕 |
1881年4月30日 ウォリングフォード、バーモント州 |
死没 |
1969年2月16日 (87歳没) フリーポート、イリノイ州 |
職業 | 国際主義者、平和主義者 |
活動期間 | 1909–1958 |
エロイーズ・ブレーナード(Heloise Brainerd、1881年4月30日 – 1969年2月16日)は、アメリカの活動家であり、ラテンアメリカ女性の平和運動へ参加することの提唱者である。ブレーナードは、1909年から1935年までは汎アメリカ連合、その後は婦人国際平和自由連盟の米国部門で勤務した。国際的な賞を複数受賞しており、ベネズエラからは公教育メダル、エクアドルからはメリット勲章を授与されている。
来歴
[編集]エロイーズ・ブレーナードは1881年4月30日、バーモント州のウォリングフォードで生まれた。1904年にスミス・カレッジを卒業した後、メキシコシティへ移転し、法律事務所の秘書として勤務しながらスペイン語を習得する。1909年、ブレーナードは汎アメリカ連合に勤務し始め、連合副会長の個人秘書を務める。そして1929年には教育部の責任者まで登り詰め、知的協力部がつくられた際にその部長となる。知的協力部の役割は国際協力と教育を進めるというものだった[1]。1935年6月22日、ブレーナードが汎アメリカ連合を退職した直後[2]、婦人国際平和自由連盟(WILPF)の米国部門代表として抜擢される。その後、彼女は婦人国際平和自由連盟に長期間勤務し、米国部門代表としては初めてのスペイン語話者であった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b Threlkeld, Megan (2014). Pan American Women: U.S. Internationalists and Revolutionary Mexico. University of Pennsylvania Press. p. 176. ISBN 978-0-812-29002-8
- ^ Resignation of Heloise Brainerd. 69. Pan American Union. (1935). 646 2024年4月25日閲覧。