ヘルゲストの赤本
ヘルゲストの赤本(ヘルゲストのあかほん、ウェールズ語:Llyfr Coch Hergest)は、中世ウェールズ語写本の1つ。
執筆年代
[編集]『ヘルゲストの赤本』に含まれるのは散文と詩の両方で、1382年から1410年頃に書かれた。1701年、トマス・ウィルキンス師によりジーザス・カレッジに寄付され、現在はボドリアン図書館が代理で保管している( MS 111)。
筆耕
[編集]写本を筆写した複数の筆耕のうち、1人はHywel Fychan fab Hywel Goch of Buelltと特定されている。HywelはスウォンジのYnysforganのHopcyn ap Tomas ab Einion(1330年頃 - 1403年以降)のために仕事をしたことでも知られる人物で、この写本もHopcynのために筆写した可能性がある。
名前の由来
[編集]写本の名前は、赤革で綴じられていたことと、Welsh Marches地域のヘレフォードシャーのキングトン(Kington)近郊のハージェスト・リッジ(Hergest Ridge)という丘[1]の下に、1645年頃から17世紀はじめまであったハージェスト(ヘルゲスト)宮(Plas Hergest)と関係があったという事実に由来する。
内容
[編集]写本の最初の部分は散文で、『マビノギオン』(『ルゼルフの白本』とともにその主要な収集源の1つ)、その他の伝説、歴史的テキスト(ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』のウェールズ語翻訳を含む)、『ウェールズのトライアド』を含む様々な他のテキストが収められている。残りの部分は、とくに「Gogynfeirdd」または「Beirdd y Tywysogion」として知られる宮廷詩の時代からの詩である。
写本にはさらに、500年にわたって続いた中世王朝の創設者で、スランドーヴェリ(Llandovery)のすぐ外にあるMyddfai村から「Myddfaiの医者」と呼ばれる13世紀のRhiwallon Feddygに関連したハーブ療法のコレクションも収められている。
J・R・R・トールキンはこの本の題名から、自分の作品の想像上の伝説的文献を『西境の赤表紙本』と名付けた。
参考文献
[編集]- 'Red book of Hergest'. In Meic Stephens (Ed.) (1998), The new companion to the literature of Wales. Cardiff : University of Wales Press. ISBN 0-7083-1383-3.
- Parry, Thomas (1955), A history of Welsh literature. Translated by H. Idris Bell. Oxford : Clarendon Press.
脚注
[編集]- ^ この丘はマイク・オールドフィールドのアルバム『ハージェスト・リッジ(Hergest Ridge)』(1974年)の題名の由来でもある。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Red Book of Hergest, or Jesus College MS 111, is part of the Early Manuscripts at Oxford University digitisation project; reprints relevant section of Historical Manuscripts Commission, Report on manuscripts in the Welsh language, vol. II part I, (London, 1902), describing the manuscript and its contents; Gives access to colour images of the entire manuscript.
- Mary Jones, Celtic Encyclopedia: Llyfr Coch Hergest (entry on manuscript)
- Mary Jones, Celtic Literature Collective: Llyfr Coch Hergest (contents & translations)
- British Medical Association - Wales & Medicine