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ヘヒトワーゲン (路面電車車両)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘヒトワーゲン
"グローサー・ヘヒト"
"クライナー・ヘヒト"
「グローサー・ヘヒト」(2005年撮影)

「クライナー・ヘヒト」(2006年撮影)
基本情報
製造所 クリストフ&アンマック工場ドイツ語版ブッシュ車両工場ドイツ語版機関車・客車国有企業協会(LOWA)ドイツ語版VEMザクセンヴェルクドイツ語版
製造年 グローサー・ヘヒト 1929年 - 1932年1954年
クライナー・ヘヒト 1934年 - 1939年
製造数 グローサー・ヘヒト 35両
クライナー・ヘヒト 48両
運用終了 1970年代
投入先 ドレスデン市電
主要諸元
編成 グローサー・ヘヒト ボギー車
クライナー・ヘヒト 2軸車
軌間 1,450 mm
最高速度 グローサー・ヘヒト 70.0 km/h
車両定員 グローサー・ヘヒト 112人(着席36人)
クライナー・ヘヒト 着席24人
車両重量 グローサー・ヘヒト 21.0 t
クライナー・ヘヒト 14.5 t
全長 グローサー・ヘヒト 15,500 mm
車体長 グローサー・ヘヒト 14,473 mm
クライナー・ヘヒト 11,600 mm
車輪径 600 mm→650 mm
固定軸距 グローサー・ヘヒト 1,800 mm
クライナー・ヘヒト 3,500 mm
台車中心間距離 グローサー・ヘヒト 5,000 mm
主電動機 グローサー・ヘヒト GEV 237 H
クライナー・ヘヒト GEV 235 V
主電動機出力 55 kw
出力 グローサー・ヘヒト 220 kw
クライナー・ヘヒト 110 kw
制御方式 VVVFインバータ制御
制動装置 発電ブレーキディスクブレーキ電磁吸着ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4][5]に基づく。
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ヘヒトワーゲンドイツ語: Hechtwagen)は、かつてドレスデンドレスデン市電を始めとしたドイツ路面電車で使用された車両。様々な革新的な設計や技術が採用され、大型のボギー車グローサー・ヘヒト(Großer Hecht)、小型の2軸車クライナー・ヘヒト(Kleiner Hecht)と呼ばれていた[1][2][5]

概要

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ヘヒトワーゲンは両運転台の電動車で、運転台側へ向けて狭まっている形状となっているのが車体の特徴となっていた。これにはドレスデン市電の各地に存在した急な曲線区間を走行する際に車体のはみだしを防ぐ利点があり、その形状を魚のカマス(ヘヒト、Hecht)に例えたのが名称の由来となった。一方、運転士が後方を確認する事が困難で、バックミラーを用いても運転台直後の扉しか確認できないという欠点も存在しており、これが後年に置き換えが進む要因ともなった。運転室は客室から分離する事が出来、ドレスデン市電の車両で初めて運転士用の椅子が設けられた。また、運転時に使用しない後方の運転台は折り畳む事が可能で、それを含む運転室の空間は乗客用の立席スペースとして用いられた。動力台車には2基の主電動機が搭載され、足踏みペダルによる速度制御が行われる構造となっていた。「グローサー・ヘヒト」は満員時でも最高速度60 km/hでの走行が可能であった[1][2][3][4][5]

運用

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ヘヒトワーゲンのうち、「グローサー・ヘヒト」の最初の車両は1929年から1930年に製造された2両の試作車で、長期に渡る試運転を経て1931年から量産が開始され、前述した様々な革新的な設計や技術がドレスデン市電の乗務員や乗客から高い評価を得た。製造は1932年まで続けられ、試作車を含めて33両が作られた。その後、第二次世界大戦中に8両が戦災で廃車された一方、戦後復興の一環として1954年機関車・客車国有企業協会(LOWA)ドイツ語版ゲルリッツが有した工場で2両が増備された他[注釈 1]、同工場製の台車を用いた既存の車両の修繕工事も実施された。1両での単独運転も可能であったが、営業運転時は後方に付随車を連結する運用が主体であった[1][3][4][5][6]

一方、大型車両である「グローサー・ヘヒト」では輸送力が過剰となる路線へ向けて、全長11.6 mの2軸車である「クライナー・ヘヒト」の開発が1930年代以降行われ、1934年11月に試作車が製造された後、1次量産車が1936年に25両、2次量産車が1938年から1939年にかけて22両製造された。これらの車両は試作車を除いて「グローサー・ヘヒト」と同様に両運転台車両であり、折り畳み式の背面を備えた転換式クロスシートにより乗客は常に進行方向へ向けて着席する事が可能であった。これらの車両も単独運用の他、後方に付随車を連結する運用も実施されたが、技術的な問題により第二次世界大戦中の1943年以降一時的に全車運用から離脱する事態となった。その後、1950年代以降制御装置を交換した事により問題は解決に導かれた他、通気口の追加、車内照明の交換などの改造も同時に実施された[2][7][3][4]

第二次世界大戦後も両種の車両はドレスデン市電の各系統で使用されたが、タトラカータトラT4D)への置き換えが進められた結果、1970年代までに営業運転から撤退した。2024年現在、ドレスデン路面電車博物館ドイツ語版に「グローサー・ヘヒト」が1両(1716)、「クライナー・ヘヒト」が1両(1820)が動態保存されている他、ドレスデン交通博物館にも「グローサー・ヘヒト」が1両(1702)静態保存されている[1][2][3][5][4]

同型車両

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2軸車の「クライナー・ヘヒト」については、クリストフ&アンマック工場ドイツ語版により1938年から1944年にかけてマクデブルク市電マクデブルク)向けの車両が18両製造され、1973年まで営業運転に用いられた。以降も1両が現存し、2024年現在動態保存が行われている[3][8]

関連車両

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脚注

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注釈

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  1. ^ 「グローサー・ヘヒト」の製造以降、LOWAのゲルリッツ工場での路面電車車両の製造は、同工場の所有権がボンバルディア・トランスポーテーション(→アルストム)にあった2020年まで長期に渡って途絶えた。

出典

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  1. ^ a b c d e 1716 – Triebwagen „Großer Hecht“”. 2024年7月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e 1820 – Triebwagen „Kleiner Hecht“”. 2024年7月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f Christoph Pohl (2016年4月21日). “Der tollste Hecht aus Niesky”. 2024年7月19日閲覧。
  4. ^ a b c d e Christoph Pohl (2020年10月10日). “Nieskyer Waggonbau prägte Dresden lange”. 2024年7月19日閲覧。
  5. ^ a b c d e “TolleTypen Großer Hecht”. DVB Info (Dresdner Verkehrsbetriebe AG): 22. (2005 Heft 6). https://core.ac.uk/download/pdf/268012526.pdf 2024年7月19日閲覧。. 
  6. ^ Libor Hinčica (2020年12月12日). “Bombardier dokončil první hrubou stavbu tramvaje pro Drážďany”. Československý Dopravák. 2024年7月19日閲覧。
  7. ^ Christoph Pohl (2019年7月5日). “Der legendäre Hechtwagen für die Dresdner Straßenbahn wird 80”. 2024年7月19日閲覧。
  8. ^ Historische Fahrzeuge”. Magdeburger Verkehrsbetriebe GmbH & Co. KG. 2024年7月19日閲覧。
  9. ^ Mich Können Sie Mieten! In gelben Klassikern Stuttgart Erkunden.”. Stuttgarter Historische Straßenbahnen e. V. (2018年9月). 2024年7月19日閲覧。