ヘクター・カマチョ
基本情報 | |
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本名 | ヘクター・ルイス・カマチョ・マティアス |
通称 | マッチョ |
階級 | スーパーミドル級 |
国籍 | プエルトリコ |
誕生日 | 1962年5月24日 |
出身地 | バヤモン |
死没日 | 2012年11月24日(50歳没) |
死没地 | サンフアン |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 87 |
勝ち | 79 |
KO勝ち | 38 |
敗け | 5 |
引き分け | 3 |
ヘクター・カマチョ(Héctor Luiz Camacho Matias、1962年5月24日 - 2012年11月24日)は、プエルトリコの男性プロボクサー。バヤモン出身。身長169cm、リーチ175cm。世界3階級制覇王者(スーパーフェザー級、ライト級、スーパーライト級)。
人物
[編集]入場時には「マチョ・タイム!」(おれの時間だ!)と連呼しながらリングインし、試合後のインタビューでも度々おちゃらけた態度を取りインタビュアーを困らせたりするなど、ラテン系特有の非常に陽気な性格である。
豹柄などの派手なトランクスを愛用しており、ボクシングに限らずキックでも見られる前垂れのついた所謂「褌タイプ」のトランクスも着用した。
息子のヘクター・カマチョ・ジュニアもプロボクサーである。
私生活では、10代のころから喧嘩や万引きを繰り返し、麻薬常習者であり車泥棒であった。その性向は終生変わらなかった。家庭内暴力、規制薬物の所持、不法侵入、ライフル銃M16を通関させようとしたなど、様々な理由で何度も逮捕された。2012年になって、息子を殴った容疑で逮捕状が出されると自首した。裁判はカマチョの死亡によって未決のままになった[1]。
略歴
[編集]1980年9月12日、プロデビュー。
1983年8月7日、ラファエル・リモンとWBC世界スーパーフェザー級王座決定戦で対戦し、5RKO勝ちで王座獲得。同王座は1度防衛後に返上。
1985年8月10日、ホセ・ルイス・ラミレスとWBC世界ライト級タイトルマッチで対戦し、判定勝ちで2階級制覇に成功。同王座はエドウィン・ロサリオ、コーネリアス・ボサ・エドワーズ相手に2度防衛後に返上。
1989年3月6日、レイ・マンシーニとWBO世界スーパーライト級王座決定戦で対戦し、判定勝ちで3階級制覇に成功。
1991年2月23日、グレグ・ホーゲンと3度目の防衛戦で対戦し、判定負けで王座陥落。同年5月18日、再戦を行い、判定勝ちで王座に返り咲いた。
1992年9月12日、フリオ・セサール・チャベスとWBC世界スーパーライト級タイトルマッチで対戦し、判定負け。
1994年1月29日、フェリックス・トリニダードとIBF世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。
1996年6月22日、ロベルト・デュランと対戦し、判定勝ち。
1997年3月1日、シュガー・レイ・レナードと対戦し、5RTKO勝ち。レナードが対戦した最後の相手となった。
1997年9月13日、オスカー・デ・ラ・ホーヤとWBC世界ウェルター級タイトルマッチで対戦し、判定負け。
2001年7月14日、ロベルト・デュランの保持するマイナータイトル・NBAスーパーミドル級王座を懸けて5年ぶりに再戦し、判定勝ち。
2009年5月9日、ルイス・ラモン・カンパスと対戦し、1-1のドロー。
銃撃事件
[編集]2012年11月20日、プエルトリコサンファン市内のバーの前で、友人と停車した車に乗っていたところを、通りかかった車の中から銃撃され、顔の左側を負傷した。友人は死亡し、カマチョは脊椎を損傷し意識不明の重体になった。同22日に脳死状態と判定された[2]。
2012年11月24日、家族の同意のもと生命維持装置が外された後に、まもなく死亡した[1][3]。50歳没。
獲得タイトル
[編集]アマチュア
[編集]- 1978年 ゴールデングローブ 112ポンド級サブ・ノービス選手権
- 1979年 ゴールデングローブ 118ポンド級オープン選手権
- 1980年 ゴールデングローブ 119ポンド級オープン選手権
プロ
[編集]メジャー
[編集]- NABF北米スーパーフェザー級王座(防衛1度)
- NABF北米ライト級王座(防衛0度)
- WBC世界スーパーフェザー級王座(防衛1度)
- WBC世界ライト級王座(防衛2度)
- WBO世界スーパーライト級王座(防衛2度)
- WBO世界スーパーライト級王座(防衛0度)
マイナー
[編集]- IBC世界ウェルター級王座(防衛2)
- IBC世界ミドル級王座(防衛1)
- IBC世界ライトミドル級王座(防衛0)
- NBAスーパーミドル級王座(防衛0)
- WBE世界ライトミドル級王座(防衛0)
脚注
[編集]- ^ a b Hector Camacho, 50, Boxer Who Lived Dangerously, Dies New York Times 2012年11月25日閲覧
- ^ 銃撃を受けた元世界王者のカマチョ氏、昏睡状態 AFPBB News 2012年11月22日
- ^ ヘクター・カマチョ氏死去 プロボクシング王者 日本経済新聞 2012年11月24日閲覧
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]空位 前タイトル保持者 ボビー・チャコン |
WBC世界スーパーフェザー級王者 1983年8月7日 - 1984年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 フリオ・セサール・チャベス |
前王者 ホセ・ルイス・ラミレス |
WBC世界ライト級王者 1985年8月10日 - 1987年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ホセ・ルイス・ラミレス |
前王者 N/A |
WBO世界スーパーライト級王者 1989年3月6日 - 1991年2月23日 |
次王者 グレグ・ホーゲン |
前王者 グレグ・ホーゲン |
WBO世界スーパーライト級王者 1991年5月18日 - 1992年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 カルロス・ゴンサレス |