ヘイズ・セント・レジャー (第3代ドナラル子爵)
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第3代ドナラル子爵ヘイズ・セント・レジャー(英語: Hayes St Leger, 3rd Viscount Doneraile、1786年5月9日 – 1854年3月27日)は、アイルランド貴族、イギリスの政治家。
生涯
[編集]第2代ドナラル子爵ヘイズ・セント・レジャーとシャーロット・バーナード(Charlotte Bernard、1764年 – 1835年9月2日、ジェームズ・バーナードの娘)の息子として、1786年5月9日に生まれた[1]。1798年頃から1803年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1805年10月21日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]。
1812年にコーク県長官を務め、1820年から1831年にはコーク県総督を務めた[1]。1819年11月8日に父が死去するとドナラル子爵位を継承、1821年6月22日にアイルランド貴族代表議員選挙での投票権を承認され、1830年3月15日に保守党の一員としてアイルランド貴族代表議員に当選した[1][2]。以降死去するまで貴族代表議員を務めた[1]。
1854年3月27日に死去、息子ヘイズが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1816年6月14日、シャーロット・エスター・バーナード(Charlotte Esther Barnard、1794年1月28日 – 1846年2月7日、初代バンドン伯爵フランシス・バーナードの娘)と結婚[1]、1男をもうけた[3]。
- ヘイズ(1818年 – 1887年) - 第4代ドナラル子爵
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 397–398.
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1244.
- ^ "Doneraille, Viscount (I, 1785)". Cracroft's Peerage (英語). 17 March 2011. 2020年7月1日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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