プロジェクト:イスラーム/執筆支援/第4回
表示
< プロジェクト:イスラーム | 執筆支援
このページは、Wikipedia:ウィキプロジェクト_イスラームとWikipedia:ウィキプロジェクト_執筆支援が協力する形での記事の重要度と品質尺度を評価するために設けられたページです。
実施を7月25日から8月31日とします。皆様のご協力を仰げれば幸いです。対象はまだ評価がされていない49記事及び既にFA・GAになっている4記事、加筆が進み再評価希望の1記事です。
また、議論の場所を第1回はノートで実施しましたが、分かりづらかったことを踏まえて、このページでクロスマッピングを実施します。皆様の意見をお待ちしております。
なお、分類は前回と同じように実施します。ただ、今回は、オスマン帝国を多く取り上げています。そのため、20世紀以降の部分の細分化は実施していない点、ご了解くださいませ。
FA/GA/再評価記事
[編集]- 重要度Top、品質尺度はBに格下げを提案、Wikipedia:秀逸な記事の再選考にかけるべき。FA選考がWP:Vを厳格にやっていなかった頃にFAとなった記事なのでしょうが、読み返してみると、曖昧な表現でお茶を濁し過ぎ。イスラームの教義の詳細は高校世界史レベルなので深く突っ込みはできませんが、経済学の観点から見たら出来はいまひとつです。以下問題点を掲げます。
- 根本的な問題として先行研究がありません。イスラム銀行が注目されているならば、相応の先行研究の成果があると考えられます。経済学の研究を別の例で考えると世界恐慌の研究ならば、チャールズ・キンドルバーガーがいて、ジョン・ケネス・ガルブレイスがいて、ミルトン・フリードマンがいて、……ベン・バーナンキがいてといった感じになるのです。先行研究の整理がこの記事にはまず重要です。
- 参考文献は相応にあるのは認めますが、肝心の『クルアーン(コーラン)』が無いのは問題。イスラム銀行の前提として『クルアーン(コーラン)』に基づいて教義に反しない銀行運営をしなさいということなんでしょうが、リバーには『クルアーン』からの引用はありますが、この記事にはありません。リバーを読めば分かると言われればそれまでなのでしょうが、イスラム銀行のバックボーンは丁寧に解説しておくべきでしょう。『クルアーン』及びその法解釈は引用などを用い、丁寧に文脈に織り込むべきです。
- 業務内容:利益の配分方法の数字の根拠は何でしょうか?「アル=バラカ・トルコ銀行……とされる」と書いていますが、されるの数字の根拠は?
- ムラーバハ:文末、「この「手数料」は「利潤」と見なされうる」…ウマラーの解釈なのでしょうか?。
- カルド・ハサン:文中、「サウジアラビアの例では、……(略)……いずれも定率のサービスチャージ(手数料)を課しており、これも銀行と借り手の“交渉”で決まる(この点がシャリーアで禁じられたリバー、すなわち“定率の利子”とは異なる、との理由)のが一般的であるという。」……「という」となぜ文脈を濁すのか?
- 歴史:銀行・金融会社などを含め、無利子を標榜している銀行や投資会社は全世界に200以上あり、総資産は1160億ドル(95年ベース)、年率15~20%で成長している。数字を出すからには根拠が必要です。
- 有利子金融との接点、3段落目:「……実は「有利子経済」ではなく「無利子経済」の恩恵によって爆発的成長を遂げたものと言うことができるだろう」。誰がこのように解釈しているのでしょうか?先行研究からの集大成でそう言っているのでしょうか?
- 有利子金融との接点、5段落目最後:「これらの要素は……(略)……、二つの極の間でスペクトルを成している、と考えることもできるだろう」、上に同じです。
- 将来の展望:Hussein Mullick (パキスタン)の発言、出典もとはどこですか?
- 将来の展望、最終段落:「……有利子の需要がある限り、そう簡単に現状世界経済を変えることはできないと言えよう」、誰が言っているのでしょうか?--Wushi 2010年8月9日 (月) 11:43 (UTC)
- 重要度Top。品質尺度は、Wikipedia:秀逸な記事の再選考/オスマン帝国で期間内で期待できる範囲内での加筆が進んだことから、FAを維持する形で問題ないと思います。加筆お疲れ様でした。とはいえ、まだ、書ける分野があるのだとすれば、積極的な加筆を期待したいところです。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:32 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度は再選考を前提でAに落とさざるを得ないかと。文章の内容に破綻はなく、参考文献も多くて維持してあることから、検証可能性を満たしてしまえば、FAへ戻ることは容易と考えます。どこが足りないかということですが、
- 「生い立ち」節に記載されてあるアリー自身の国際感覚について、誰が言及したのか?
- エジプトの近代化に貢献した人物であることは文章を読めば、すぐに理解できるのですが、アリーに対する評価がほしいところ。
- 以上です。クロスマッピング終了後、再選考を提起したいと思います。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:32 (UTC)
- 重要度はHigh。品質尺度はGAを維持。イスラーム信仰において欠くことのできない聖宝。当然、それをめぐる歴史も長く、その記述に破綻はなく、その研究史も述べてあることから、GA水準は満たされていると考えます。あとは、参考文献節が整備されてあれば、文句はないのですが、最近のGA選考では、そこまで求めてはないので……。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:32 (UTC)
- チャルディラーンの戦い(Quality recheck)
- 重要度はHighを維持。品質尺度はAに変更。まずは、加筆お疲れ様です。今回、第4回をやろうという契機がこの記事の加筆についての再評価にあります。さて、記事の品質尺度はAに変更しました。問題は、要出典となっている「長篠の戦い」の比喩の部分だと思います。僕自身、高校の世界史でそう習ったんですけど、それでは、検証可能な文章を出せといわれると回答します。中公文庫版世界の歴史15『成熟のイスラーム社会』pp.277-285に記述があります。私のほうから明日にでも、加筆しておきます。--Tantal 2010年8月7日 (土) 07:15 (UTC)
- 軍事史の観点からみた意義について出典を明示できないうちはB止まりかと思っていましたが、Tantalさんの加筆によって解消できるなら、品質Aで大丈夫だと思います。ちなみに私のほうは、ノート:チャルディラーンの戦いでKotoitoさんに教えていただいた『長篠合戦の世界史』を参照してみましたが、出典として使えるほど明確な記述は発見できず、困っていたところです。Tantalさんに感謝します。戦闘の経過についてもう少し加筆できそうな気もしますが、これ以上大幅な加筆(つまるところ良質な記事化)は厳しいかな…。--江戸ラー 2010年8月7日 (土) 17:45 (UTC)
- 品質尺度は現行Aで。これをGAまで持っていくには、カンナエの戦いや関ヶ原の戦いのように図面による戦闘解説が必要なのかなと思います。左翼に誰がいて、右翼に誰がいてというのは記事を読めば分かりますが、チャルディラーンの戦いの地形図が無いために、だれそれが高所にいて守りやすかったとか、オスマン軍のどの陣地から砲撃が始まってサファヴィー朝軍を壊滅させたのかということが分かるといいのかなと思います。日本の各合戦と違って難しいとは思いますが……。陸自あたりは研究していないのかな?--Wushi 2010年8月8日 (日) 11:56 (UTC)
草創期からアッバース朝誕生まで(~750)
[編集]- 重要度High、品質尺度Stub。ムハンマドの最初の妻。まだ、書けることはあるはずです。記事の分量は貧弱であり、参考文献もないのは致命的です。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:22 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Start。ムハンマドの2番目の妻。やはり、参考文献がほしい。イスラーム世界における評価も検証可能性を担保にしているとはいいがたい。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:22 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。分量はスタブの域をようやく脱しているとはいいながらも、やはり、参考文献と脚注の整備がないのはいかんともしがたいところ。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:22 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Start。分量はスタブの域を脱しているが、検証可能性を十分に満たしているとは言いがたい。特に、問題となるのは、「スンナ見解の時代性」節、「スンナ・ハディース拒絶主義的見解」節、「預言者のスンナに関する伝統的見解」節。どの文献をもとに、この節を構築したのかが全く分からない。裏を返せば、この節を検証可能性を担保すれば、いつでも、Bクラス以上に脱皮できるんだと思います。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:43 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度B。日本語訳されたハディースの紹介はあるものの、このこと自体が、この文章の検証可能性を担保したものとは思えない。文章の内容に破綻は感じないものの、検証可能性を意識すべき記事。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:43 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度B。参考文献が2つ提示してあるものの、スンナやハディースと同様に、検証可能性を満たしているとは言いがたい。文章の破綻は感じさせないので、更なるブラッシュアップを求められる記事。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:43 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Stub。概要は書いてあります。ただ、それだけの記事です。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:43 (UTC)
アッバース朝の誕生とその興亡まで(750~1258)
[編集]- 重要度High、品質尺度Start。アラブ帝国とイスラム帝国を分ける重要な概念・できごとであることから重要度Topでいい気もしますが、他言語版へのリンクが無いことが気になります。日本語の文献ではよくみる表現ですし、僕自身高校の世界史でも習ったキーワードなのですが、日本以外の国では「アッバース革命」という概念に関する研究は無いのでしょうか?そのあたりも含めた参考文献・脚注がほしいところです。--江戸ラー 2010年8月13日 (金) 17:15 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。アッバース朝の基礎を固め、シャリーアを完成させたこと、バグダードを建設したことから重要度は高いと思います。--江戸ラー 2010年8月13日 (金) 17:15 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度B。アッバース朝第3代カリフ。文化面での業績や彼の当地について詳しく書いてある記事だとは思います。あとは、参考文献、脚注の整備があれば、意外とGA化しやすい記事だとは思いますが。問題は、その参考文献があるかどうかですね。品質尺度はやや甘めのB。--Tantal 2010年8月14日 (土) 04:32 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。ハナフィー学派の学祖の1人であるのであれば、重要度はMid程度が無難なところか。問題は、記事の分量。まだ、書けるのでは?--Tantal 2010年8月14日 (土) 04:32 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。9世紀半ばから10世紀にかけて活躍された天文学者・数学者です。参考文献、脚注もない、短い記事なので、Stubが妥当のところ。英語版も似たような状況なだけに、どれくらい加筆できるんだろう?重要度は、少なくともMidを上回るということはないと考えます。--Tantal 2010年8月15日 (日) 12:51 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度Start。古代から連綿と続く都市の記事で、フェズとは異なり、歴史についての記載も漏れがないことを評価しています。朝鮮戦争以降の綿花栽培についての記述もあることから、経済面についての言及もあることはプラスと考えます。問題は、文化面。保存作業が今から始まっていることということですが、別の節を立てて、主な文化遺産一覧(建設及び破壊された経緯も記述されてあると尚良し)があると、都市の記事として分かりやすいかもしれません。加えて、気候・交通といった地理学的側面も記述が望まれます。以上から、ややきびし目の評価ですが、Start。重要度は、ハールーン・アッ=ラシード時代を除いて、イスラーム帝国の都としての機能がなかったことから、低めにしています。--Tantal 2010年8月14日 (土) 04:32 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。広範な守備範囲と多くの著書を持つホラズムの学者。概説のみにとどまり出典も提示されていないため、stubと判断しました。--Himetv 2010年8月20日 (金) 01:10 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Start。西欧では一度断絶したアリストテレス哲学をイスラーム世界において、継承し、再輸出される結果となった点、医学者としての功績を踏まえ、重要度はTopにしています。文章に大きな破綻はないものと考えますが、やはり、アリストテレス哲学の彼自身の研究内容(散逸している?)及び西欧に与えた影響をもう少し、書くべきです。--Tantal 2010年8月15日 (日) 12:51 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Start。11世紀から12世紀初頭にかけて活躍した数学者、天文学者、文学者。ジャラーリー暦とルバイヤートのみでこの人物の偉大さは十分です。しかし、まだ、書けることが多そう。参考文献、脚注も付与した上で、GAを目指してほしい記事であるのは確かです。--Tantal 2010年8月15日 (日) 12:51 (UTC)
3カリフ鼎立の時代(756~1492)
[編集]- 重要度Mid、品質尺度Start。10世紀の北アフリカは地方政権が乱立していたということは私も最近、ようやく知ったことで、お恥ずかしい限りですが。王朝の記事というのは、政治、経済、外交、社会、社会がそろって、ようやく1人前の記事だと考えるわけで、そういった点では、歴史・外交の流れは把握できますが、それ以外の点では不十分なのと、参考文献、脚注が全くないのでスタートとしています。(仮にあったとして、PJ:チュニジア、モロッコで、重要度はHighになるのかしら?)--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:46 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。世界遺産記事になります。イスラーム第4の聖地ということを鑑み、重要度はやや高めに見積もっています。ファーティマ朝以降、政治の中心地になりえなかっただけに、多くの文化遺産が残っていることと思いますが、世界遺産本をもとにてこ入れできそうな記事です。参考文献、脚注が望まれます。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:46 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。こちらも世界遺産記事になります。8世紀末から続く歴史のある街です。日本で言えば、ほとんど、京都市と同じ歴史を保有しているわけですね。さて、記事の内容ですが、都市創設の歴史はあるものの、今のフェズがどうなっているのか、歴史的建造物が具体的にどのようなものがあり、どういういきさつで建設されたのか、全く分からん状況になっています。なにも、京都市レベルを求めているわけではありませんが、都市の記事となると、ある程度、歴史、経済、文化、交通を抑えてまともな記事になるんだと考えています。参考文献、脚注が全くないことから、スタートレヴェルの判定です。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:46 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度B。記事の内容にまで、踏み込んだ上でのコメントです。都市化の契機についてはもう少し突っ込んだ言及が必要(複数の説があるのであれば各論併記で文章を書く必要性あり)、記事の重要度は、10世紀のイスラム世界の経済(特に、金と塩)を知る上でなかなか面白い観点が盛り込まれていると思います(検証可能性を満たしきれていない点がやや不満)。参考文献が付与されていることから、品質尺度はBに。分量的は他の外国語版だとアラビア語版が大きそうです(何と書いてあるかは分かりませんが)。--Tantal 2010年8月7日 (土) 06:46 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Start。PJ:アルジェリアがあるのであれば、Highになるかどうか。アルジェリアにおける再アラブ化と言う視点は興味深いものがあるものの、いかんせん、文章の量が貧弱であると同時に、検証可能性を満たしているとは言いがたい。また、参考文献、脚注が施されていないのも致命的。文化、経済といった側面ももう少し突っ込んだ記述が可能のような気がします。--Tantal 2010年8月8日 (日) 02:03 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。ムワッヒド朝の第3代アミールです。ムワッヒド朝最大版図を達成した人物の記事の割には分量は少なく、検証可能性も不十分。文化に対しての造詣があった人物のようなので、その部分の肉付け我なされると記事は成長しそうです。--Tantal 2010年8月8日 (日) 02:03 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度Stub。12世紀以降のヨーロッパルネサンスに多大な影響を与えた人物のはずですが……。哲学者の伝記を記事にし、著作・主張を整理するというのは、おそらく、難問です。これを大幅に加筆される方の登場を期待します。--Tantal 2010年8月8日 (日) 02:03 (UTC)
中央アジア・モンゴル帝国・ティムール朝・インド(1158~1526)
[編集]- 重要度Low、品質尺度Stub。世界遺産の記事になりますが、エルチェの椰子園と同程度の記事の質ということを考えると、この程度が妥当と考えます。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:59 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度Stub。ハルジー朝の創設者ですが、そこまで重要な人物とは考えられません。記事の内容も貧弱です。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:59 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。歴史の流れを把握する上では、文章の破綻は感じさせません。しかし、王朝の記事ということは、再三述べている通り、政治、経済、文化、社会がそろってはじめて、Startの域を脱しえると考えます。そうするとこの記事は、経済、文化、社会といった視点がかけている印象を受けます。とくに、「チャガタイ・トルコ語」及び「チャガタイ・トルコ人」への言及があるものの、それが、その後の中央アジア世界にどのような影響を与えたかを記す必要があると考えます。また、文化面でも、中央アジア世界を支配したのであれば、遊牧国家ということを割り引いたとしても、何らかの建築物(特に隊商施設)が建設されていたとしてもおかしくないはずですが……。そういった経済面での言及が全くないのも問題ではないかと考えます。経済面での研究がどこまで進んでいるかは結構、難しいところもあるわけですが。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:59 (UTC)
- 重要度Top、品質尺度B。モンゴル帝国が介護の中央アジアを支配した王朝の記事です。歴史の流れに破綻は感じさせず、王朝の記事に欠かすことの出来ない文化面への言及もあることから、品質尺度はBをつけています。あとは、複数の参考文献をもとに、検証可能性を充実させることでしょうか。GA化への道筋は示されている記事だと考えます。--Tantal 2010年8月13日 (金) 16:59 (UTC)
オスマン帝国(1299~1922)
[編集]- 重要度Low、品質尺度Stub。オスマン帝国初代皇帝が重要度Lowというのが、適切かどうかは私では判断しかねます。ルーム・セルジューク朝からの独立を評価したとしても、イスラーム世界史に与えた影響は小さいと考えます。品質尺度も、参考文献、脚注がないことから検証可能性を満たしているとは言い切れません。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:59 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Stub。確かに同時代のイスラーム世界に与えた影響は小さいですが、その後のイスラーム世界のみならず、西洋世界にも大きな影響を与えたオスマン帝国の祖です。この「オスマン帝国初代皇帝」という点だけで重要度はそれなりに高いのではないかと考えます。Tantalさんの格付けとの間をとっても、他の皇帝と同程度のMidは欲しいところかなあと。
- 伝説と史実の入り混じった時代の人物のようですので、どこまで記事の質を高められるか疑問ですが(英語版でも脚注が少ない…)現時点ではStubレベルでしょうね--江戸ラー 2010年8月13日 (金) 17:15 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。世界帝国の礎を築いたオスマン帝国第2代皇帝です。定刻の基盤整備をしたことに対しての記述は評価していいですが、一文でさらりと流しているのはいかがなものかと。肉付けを期待したい記事です。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:59 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。アンカラの戦いでティミールに負けた皇帝です。イスラーム世界におけるイスラーム勢力同士の衝突で名を残した皇帝ですが、帝国を一時的に滅亡させてしまったことから、歴史に与えたインパクトは小さいと判断します。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:59 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。オスマン帝国を再興した皇帝です。この人の登場がなければ、世界帝国への雄飛はありえなかったことから、重要度はMidにしています。と灰、国内統治に尽力という一言だけは、何をしたのか分かりません。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:59 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度Start。息子のメフメト2世、スペインやヴェネツィア共和国と張り合ったスレイマン1世に比べると重要度は低いと考えます。参考文献もないので記事はStartレベルでしょう。--Wushi 2010年8月15日 (日) 13:33 (UTC)
- 重要度High、品質尺度B。東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン皇帝として、スレイマン1世と同等の重要度からHighとします。記事は、参考文献2冊ありますが、もう少し膨らませる可能性はあるような気がします。--Wushi 2010年8月15日 (日) 13:33 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度Stub。オスマン帝国とヨーロッパ諸侯との局地戦の一つ。コンスタンティノープル陥落、モハッチの戦いなどに比べると重要度は低いと考える。出典が無いのでStub。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度B。イスタンブールにある世界遺産の一つ。世界遺産関係には疎いですが、参考文献次第では記事を膨らませ、WP:Vを満たせる可能性を想定しB。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Start。オスマン帝国の宮廷政治を知る上で重要な機構です。高校の授業じゃまず習わない内容ですが、ドロドロとした権力闘争の場所について知っておくことは歴史の裏舞台を知るには必要なことかと考えます。本来のハレムの意味から外れた用法(ゲーム、生物学)についても最低限の記述があり、参考文献2冊も書いてあるのでBでもいいかと思いましたが、深耕できる人が出てくるのを期待してStartにしておきます。--Wushi 2010年8月21日 (土) 12:20 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度Stub。メフメト2世やスレイマン1世に比べると重要度は低いと考える。出典がなくStubレベル。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Stub。治世期間は短いものの、チャルディランの戦いでサファヴィー朝を破り、マムルーク朝を滅ぼし、スルタン・カリフ制を確立するといった治世を評価して。出典がなくStubレベル。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。イスタンブールにある世界遺産の一つ。オスマン建築の傑作の一つということでMidにしておきます。さしあたり参考文献がないので、Stub。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
- 重要度High、品質尺度B。イスタンブールにある世界遺産の一つ。東ローマ帝国からオスマン帝国に至るまでの建築物であり重要性は高いのでHighとします。参考文献があるので内容に破綻は無いと思いますが、A→GA→FAを目指すならば、WP:Vを満たすために、丁寧に脚注を付していってほしい。--Wushi 2010年8月20日 (金) 20:36 (UTC)
イラン地域(帝政ロシア支配下に入るまでの中央アジアも含む)
[編集]- 重要度Mid、品質尺度Stub。混迷する16世紀のペルシャを曲がりなりにも安定的に統治したサファヴィー朝2代シャーの記事になるわけですが、書いてあることに間違いがないとはいえ、もう少し、書けるはず。キジルバージュの統率をどのような方法を用いて成功したのか?オスマン帝国の和約アマスィヤの和約の内容とその意義、フマーユーンの保護によって、ムガル絵画がインドで花開いたわけですから、当然、文化面で何らかの貢献をしていた人物のはずです。内容的にはスタブを脱しきれていないと考えます。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:05 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Stub。遊牧民族の国家というのは、なかなか、記事に仕立て上げるのが難しい部分も多いですが、王朝の興亡だけしか記事の内容に書かれていないというのはいささか問題があると思います。研究が進んでいない分野だとは思いますが、せめて、王朝の最大版図ぐらいは地図でほしいところです。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:05 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Start。前述のシャイバーニー朝と異なり、この領域をおおよそ支配したという地図がある分、いくらかましという程度だと思います。ロシアとの接触がこの王国の興亡の鍵となるわけですが、帝政ロシアと遊牧国家の接触で何がもたらされ、また、失っていったのか、ブハラを王国の首都としたわけですが、ブハラに王国として何を遺産として残したのか、そういった側面が必要だと考えます。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:05 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Start。参考文献の記述がありますが、検証可能性を満たしているとはいいがたいと考えます。とはいえ、中央アジア近・現代史は、今、研究が本格的になされている分野だと考えますし、最新の研究の成果が盛り込まれた場合には、面白い記事に化ける可能性を秘めていると考えます。品質尺度はややきびし目にStart。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:05 (UTC)
- 重要度Low、品質尺度B。近代日本と接点のあるイスラーム教徒はそう多くないと思います。そういった中で、複数の参考文献を提示しているだけに、記事の成長もある程度、期待できる人物だと思います。今後の記事の成長性を期待して品質尺度はやや甘めのBとしています。重要度は、この人がイスラーム世界史に与えた影響はそう大きくないと考え、Lowとやや低めに見積もっています。--Tantal 2010年8月10日 (火) 13:05 (UTC)
インド地域(1526~1860)
[編集](今回はなし)
20世紀以降
[編集]- 重要度High、品質尺度B。記事の内容に破綻はない。問題は、参考文献が1冊しか掲げられていないことと脚注が全く存在しないこと。表面的に指摘する点は以上。内容面でもう少し、記述してほしい点は以下の点。
- 背景節--イタリアとトルコが1911年の段階でなぜ、対立関係があったのか、もう少し記述がほしい。
- イタリアの攻勢節--航空戦力がはじめて用いられた戦争という意義。軍事史観点からもう少し、内容は深められないか。
- 長期戦化節--ムスタファ・ケマルがリビア戦線に参入したみたいであるが、戦後のケマルに対しての評価がほしい。
- 戦後節--サヌースィー教団の活躍がイタリアの統治を難しくしたとのこと。それでは、リビアにイタリアはどれだけの警察、軍隊を配備したのか。そこを明らかにしてほしい。
- おそらく、以上をクリアした場合には、GAになっているはずです。--Tantal 2010年8月9日 (月) 12:27 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度B。イスラーム世界、あるいは世界史に与えた影響も特に無く(強いて言えばですが、イタリア視点に立つなら、初めて植民地を得た戦争という点で重要度は高いかもしれません)、帝国主義時代の数ある戦争のひとつ、といった感じがします。品質に関しては依存ありません。--江戸ラー 2010年8月13日 (金) 17:15 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度B。帝国主義戦争の一つの位置づけでしょうね。戦争の図面展開は近代史なだけにあります。伊土戦争よりも第1次バルカン戦争の方が、第一次世界大戦につながるだけに重要度が高い気もしますが、次回に期待です。--Wushi 2010年8月21日 (土) 12:39 (UTC)
- 重要度High、品質尺度Start。オスマン帝国の近代化を話すうえで欠かすことが出来ない歴史的事件。にもかかわらず、事件の経緯について最低限のことは書かれてあるものの、参考文献が無いという状況なので、Start。
- 重要度Low、品質尺度Stub。シリア・イラク限定ということならば、重要度も上がるのでしょうが、イスラーム全体で重要かというと???です。記事の内容も参考文献ないし、詳細の内容も良く分からんという状況ではStubの評価しかしようがありません。--Wushi 2010年8月21日 (土) 12:39 (UTC)
- 重要度Mid、品質尺度Start。現代中東史を話すうえでは不可欠なイラクの政党。サダム・フセインの指揮した政党だから重要度を高い方にしていますが、肝心のフセイン政権時代の記事の内容があまりにも希薄。参考文献もないし、Startにします。--Wushi 2010年8月21日 (土) 12:39 (UTC)
クロスマッピングの結果
[編集]- 複数意見が出たオスマン1世は中間の意見でMidを採用します。
- 複数意見が出た伊土戦争は多数意見でMidを採用します。
- また、秀逸な記事の再選考にイスラム銀行とムハンマド・アリーをかけることとします(現状、それぞれ、B/A)。