プロジェクト:アウトリーチ/ウィキペディアタウン/奥沢城
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奥沢城 (東京都) | |
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奥沢城土塁 | |
城郭構造 | 平城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 吉良頼康 |
築城年 | 天文-永禄年間か |
主な城主 | 大平氏 |
廃城年 | 天正18年(1590年) |
遺構 | 土塁 |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯35度36分29.25秒 東経139度39分39.09秒 / 北緯35.6081250度 東経139.6608583度 |
概要
[編集]奥沢城は、吉良氏によって築かれた平城。世田谷城の出城として用いられた。
歴史・沿革
[編集]構造
[編集]周囲の平野部に南の台地から北方に突き出た舌状台地上に占地し、台地上の九品仏浄真寺境内に方形の郭跡が認められる。九品仏駅前から台地東麓に掛けて城郭由来の地名が残ることから、城域は九品仏駅付近から台地端まで拡がっていたものと考えられる。また、現在は開発が進んで失われたが、城跡周囲には近年まで堀跡と考えられる深田が拡がっていた。往時はこの堀と北麓の沼地とで、三方の守りを固める構えとなっていたものと考えられる。
考古資料
[編集]遺構
[編集]九品仏浄真寺境内に方形に廻る土塁が残る。
脚注
[編集]- ^ “夏の風物詩 世田谷の 鷺草伝説”. 大成建設. 2012年4月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 八巻孝夫(やまきたかお)「奥沢城」村田修三(編著)『図説中世城郭事典』第一巻、新人物往来社、1987年、284ページ。
- 三田義春・東京都世田谷区教育委員会編 『世田谷の中世城塞』東京都世田谷区教育委員会、1979年。
- 世田谷区教育委員会の三田義春氏が奥沢城や世田谷城をはじめとする世田谷区内の城郭に関する研究成果をまとめている。