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プロジェクト‐ノート:鉄道/路線/過去ログ3

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検証可能性に著しい問題がある路線記事について

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先般、名寄本線岩内線に複数の問題テンプレートを貼付しました。理由はどちらも本文中に出典がまったく示されていないか著しく少なく、検証可能性を満たしていないためです。これでは本文の大半が除去されても仕方ない状況で、無視できない問題です。すべての路線記事を確認したわけではありませんが、ほかにも同様の懸念がもたれる路線記事はあるだろうと考えられますので、プロジェクトにて呼びかけを行います。なお、WP:ELRCにもあるとおり出典は記事中に脚注として明記することが推奨されていますので、PJ参加者の皆様におかれましてはいまさらいうまでもないことですが、記事の信頼性を向上するため、既存の記載事項に対する出典の明記をあらためて再確認いただき、お願いするものであります。--HOPE会話2015年4月15日 (水) 03:58 (UTC)

コメント - 出典が無い時点では{{出典の明記}}、出典は示されたが読み取り方に問題がある時は{{独自研究}}を貼る物だと思っていたのですが、具体的な箇所の指摘(特に独自研究の方)が無い状態で両方を貼った場合、それぞれどのタイミングでテンプレートを剥がすことになりますか(出典が充実した時点で「複数の問題」ごと剥がす想定をしているのなら、初めから{{出典の明記}}だけで事足ります)。対応する側としては「出典の明記」は文字通りなのでどうすべきか分かり易いのですが、「独自研究」については貼られた方の指摘や見解が欲しい所です。--ButuCC+Mtp 2015年4月15日 (水) 17:49 (UTC)
{{独自研究}}を貼る場合はどの部分がどのように独自研究なのか具体的な説明がないと、タグを剥がされても文句は言えないものと考えます。そうしないと「オレがなんとなく独自研究っぽく感じた」というだけでタグを貼ることができてしまいますので。なお独自研究とは文献を独自に解釈したとか、自分で推測したとか、自分で見た聞いたといったようなことを指すものであり、文献に基づいて書かれているがその文献が示されていないという場合は該当しないものと考えます。--Muyo会話2015年4月15日 (水) 18:10 (UTC)
コメント どこかに参考文献さえ示していれば、本文中に脚注として示されていなくても独自研究とはみなさない、という見解と受け取りました。PJ鉄道ではそういう解釈をしているということであれば何もいうことはありませんが、私はWP:INTEXTを重視していますので、岩内線に関しても現状では不十分と考えています。岩内線については{{参照方法}}を貼付しておきました。--HOPE会話2015年4月15日 (水) 18:55 (UTC)
出典の示し方については私もHOPEさんの仰る通りだと思いますし、おそらくPJ鉄道としてもその解釈であっていると思いますよ(余談ですがWP:INTEXTではなくWP:INCITEでは?)。脚注の方の出典の方こそ必要で、(あったほうが良いが)なくても検証可能性を確保されているとみなせるのは参考文献の列挙の方だと私は考えています。ただ、その問題点を指摘するときに用いる方針はWP:VであってWP:NORではないはずです。「参考文献さえ示していれば、本文中に脚注として示されていなくても良い」という意見を問題視するとしても、「独自研究」ではなく「検証可能性」という概念から指摘することになると思いますので、出典の掲示方法の不備をもって独自研究か否かで考えることはありません。岩内線に関しては{{参照方法}}が適当であり、この理由で{{独自研究}}を貼っていたのなら、指摘する方向性が誤っていたと思います。
  • レベル1:「出典すらあがっていない」(検証可能性) →{{出典の明記}}
記述の出処さえ判明しない状態。これでは出典の挙げ方、用い方について議論すらできません。HOPEさんの仰る「本文の大半が除去されても仕方ない状況(WP:BURDEN)」です。
  • レベル2:「参考文献に挙げているだけ」(検証可能性) →{{参照方法}}
出典は挙げられているものの参考文献にとどまっている状態。Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」にあるように、参考文献としてリストアップしただけでは読者(本人以外の編集者も文献に直接あたるまでは該当)に対する検証可能性を満たしたとは言えないので、「検証可能性」の点で不備があると言えます。
  • レベル3:「都合のよい解釈に出典を使っている」(独自研究は載せない・(中立的な観点)) →{{独自研究}}および具体的な指摘
脚注形式で記述にたいする出典は挙げられているが解釈が恣意的な状態(見た目はWP:Vをクリアしている前提)。例えばAという事実とBという事実(ともに検証可能)があるだけでCという検証不能な結論にもっていったりする(WP:SYN)など。
Muyoさんの仰る「独自研究」のうち後半部「自分で推測したとか、自分で見た聞いたといったようなこと」については確かにそれも独自研究として議論では扱われますが、それを正す方法は前半部「文献を独自に解釈した」とは異なります。前半部の訂正方法は主に「出典に忠実な記述に直す」ことであるのに対し、後半部は「まず出典を示そう」というレベルになってきます。出典掲載そのものに関する問題はWP:Vの畑であり、WP:NORなどは出典掲載を前提とした「取り扱い方」の方針だと解しています。
それで路線記事の検証可能性についてですが、歴史節や路線データに関しては比較的容易に出典を確保できる(というより、書いた人も文献を見ているはずなので書き忘れているだけ)と思います。大変そうなのは「運行形態」や「沿線状況」の節で、特に前者はダイヤ改正などで変化があるたびに頻繁に加筆される割には検証不能な情報が多いです。--ButuCC+Mtp 2015年4月16日 (木) 11:06 (UTC)
コメント 横から門外漢で失礼します。ウィキペディアも10年かそこらの歴史があり、その間にルールも変わってきています。基礎的な・初期にかかれたものほど、出典が未整備という傾向は、鉄道ジャンルに限ったことではないでしょう。かつてはそれでもルール通りだったわけで、ルールのほうがあとから出典明記の方向に変わったわけですから、しょうがない面はあります。しかしまあ、気づいてしまったら、現在のルールに適う水準へ改良するということは行うべきです。
出典を求めたり、読者に警告を発するためのテンプレートとしては、
  • Template:要検証 - 書いてあることがウソっぽい。ちゃんとした出典を示してくれないと信用ならん。
  • Template:要出典 - 書いてあることは正しいと思うが、いかんせん出典がない。誰か適当な出典をみつけてくれないか。
  • Template:未検証 - 書いてあることの真贋には触れず、ニュートラルな観点で単純に出典がない。
  • Template:独自研究 - 出典はあるかもしれないが、情報の合成など、適切な出典の使い方をしていないのではないか。
  • Template:精度 - 出典はあるが、出典そのものの信頼性に難がありそう。信頼性の高い出典に基いて書きなおしてほしい。
など、状況に応じたいろいろなテンプレートが用意されています。主題についてある程度見識がある方ならば「要検証」「要出典」を、示された出典を検証できる人は「独自研究」や「精度」を、通りすがりなら「未検証」を、というふうに使い分ける、というのが本来のテンプレートの意図だったでしょう。実際にはなんでもかんでも「要出典」が使われる傾向はありますけども。
最良なのはバシッと出典を整備することですが、実際の作業としては大変でしょう。当座として、PJ鉄道の参加者など、「見識がある」方が読んでみて、「出典はないけどこれはまあ妥当じゃないか」と思うものには「要出典」をつけ、「俺から見てもこれはどうだろうと思う」という部分には「要検証」をつける、というのもステップ1としては有用だと思います。
ただまあ、岩内線の記事は全体的にデータ的で、「廃線跡」節以外は明らかに何かの資料をみて書いてるだろうなあという感じはしますし、「1919年(大正8年)12月5日:幌似駅を新設」みたいな記述を眺めただけで「ホントっぽい/ウソっぽい」を判断できるとしたら相当レベルが高い方のように思います。私が眺めた感じで、岩内線の記事のなかで「独自研究かも」と感じさせたのは「ニシン漁の衰退」「閉山」「バスとトラックの発達」「道路整備」が「岩内線の輸送量減少の原因である」と言及している部分です。それぞれの事象は個別的には事実でしょうし、それらが同時代的に進行したことも事実でしょうが、因果関係があるかというと、証明は難しいです。サービスが悪かったのかもしれないし、沿線の人口減少が原因かもしれないし、室蘭廻りの路線が主流になって札幌へ出る連絡が不便になったからかもしれない。しかし、出典がこれらの因果関係に直接言及しているならそれでいいし、そうでなければ情報の合成かもしれない、といったところです。まあきっと妥当な記述なんでしょうけどね。岩内線の場合、外部リンクに貼られているサイトも不適切でしょう。Wikipedia:外部リンクの選び方は、外部リンクもWikipedia:検証可能性に適合する水準を求めており、(残念ではありますが)岩内線に貼られている個人サイトはダメでしょう。蛇足ですが、私がこの件についてどのぐらい門外漢であるかというと、名寄線も岩内線も全区間乗ったことがあって、岩内線のさよなら列車にも乗ったことがある、という程度しか、私はこの主題について知らない、というレベルです。--柒月例祭会話2015年4月16日 (木) 11:58 (UTC)
コメント WP:INTEXTで間違いありません。文中に脚注をつけて細かく参照元を示すことを促す趣旨ですので。そのうえで、サイトURLなどの記載方法についてはWP:INCITEも参考にするのがよかろう、という考え方です。
ButuCCさんのおっしゃったレベルづけに関しては、なるほどと思わせられる部分もありますね。最近は競馬分野に軸足をおいていることもあり、鉄道分野はあまり深く関与できませんが、テンプレ貼付や個別具体的な指摘といった啓蒙は可能な限り行っていきたいと思います。
名寄本線の編集履歴をみていただけばわかるかと思いますが、いろいろな方がちょこちょこ編集を行っている形跡はありますが、そのほとんどはテンプレートの修正のような「体裁」に関する編集であり、だれも本文に出典をつけようとしていません。体裁の編集自体は悪いことではありませんが、優先順位としては最優先にするような事柄でもないと思っています。出典がほとんど(まったく)ない記事であればなおさらです。
書く側はある程度知識もあり、わかっている方が多いと思いますので、本文に書かれている内容がホントかウソかの判断はできると思います。しかし、調べようと思って記事を見にくる方はそんな判断ができませんし、そこはきちんと検証可能性を担保しておかないと、「独りよがりの自己満足記事」になってしまいます。これは鉄道分野に限らず、たぶんどの分野でも同じでしょう。名寄本線や岩内線のような「廃線」については進行中の事柄がほとんどない(せいぜい遺構の現況くらい)でしょうから、速報的な無出典記述の心配はあまりないと思いますが、現存路線に関しては現在進行形の事象が起こりえることは当然考えられるため、信頼性のある出典がより強く求められるでしょう。--HOPE会話2015年4月16日 (木) 12:10 (UTC)
岩内線の歴史項目に追加した者です。文献は岩内町史あたりだと思いますが、出先ですので補正は少し待ってください。さて、この出典掲示なんですが、図書館でそれを拾ってくる方はあまり感じないでしょうが、わざわざ調べるために購入する私などは、いささか気が重い。というのもその書籍の価値を毀損してしまう恐れがあるからです。絶版ならまだしも現行の書籍ならなおさら下手をすると著作権侵害にならんかと危惧しますよ。例えば路線記事や各駅の歴史記事の基本的なところはJTBの停車場変遷大事典 国鉄・JR編に書かれていますが、それを文献として全記事で掲げるとなるとちょと抵抗があります。書籍内容の実に60%以上になってしまうんではないでしょうか。で、はじめの頃は、なるべくオープンにするのを憚っていた時期がありました。また岩内線などのローカル線の場合、本気で調べようとするなら当然岩内町史をまずは調査対象の一つにするでしょうからね。まあそんなことで書かなかった可能性はあります。以上、時間と手間と金をかけて調べて書いている者の言い訳でした。--Nisanyongo会話2015年4月17日 (金) 03:30 (UTC)

アフリカの鉄道関連

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最近、アフリカ各国の鉄道の記事が作られていますが、明らかに運行はおろか建設(計画)すらされていない国の記事が見られます。実態なしとして削除すべきではないでしょうか。

--hyolee2/H.L.LEE 2015年10月15日 (木) 00:58 (UTC)

コメント 記事リンクを{{Particle}}形式に変更しました。そのうえで、同一人物が作成しているようですが、まだ出来て数日しかたっておらず、成長の見込みがあるかどうか判断するには早いのではないでしょうか。状況によっては「○○の鉄道」から「○○の交通」への記事改変(英語版が存在する)も検討してもいいかもしれません。--Bsx会話2015年10月15日 (木) 01:25 (UTC)