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プロジェクト‐ノート:キリスト教/キリスト教の人物系諸カテゴリ改名・カテゴリ基準の変更提案

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旧提案内容

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プロジェクトで合意しておいた方が良いと考えてこちらで議論します。改名提案と、カテゴリ概念変更提案です。

  • 提案Kinno Angel 2012年2月22日 (水) 23:53 (UTC)版)[返信]
  • 理由
    • 他言語版とも整合性がとれます(他言語版は単に「クリスチャン」です)。
    • プライバシーの問題が無く、出典があるのであれば、他言語版と同様、原則掲載可とした方が基準が明確になります。現行では人によって「キリスト教に関連が深いか浅いか」という、見解が別れ易い基準になっていて不明瞭です。
    • 5年前の執筆者達の議論を見ていますと、かなり不合理です(宗教系執筆者への露骨な嫌悪感がベースになっていますね)。「著名な活動または著名性の大半がキリスト教に依拠する人物に関する」という基準は、誰が判断するのでしょう?個別人物ごとに評価に係る出典を確保しなければ掲載出来ないのでしょうか?
    • たとえば瀬沼夏葉などは、チェーホフ関連というよりは日本正教会史研究から派生して注目されるようになった女性ですが、あっさりカテゴリ大量除去整理の巻き添えになってしまいました。また「日本人初の正教徒」も、なぜか大量除去の巻き添えを喰らって居ます。まあ個別の事情を御存知ない方がやるとこうなるのは無理も無いのですが、「キリスト教関連で有名になっている」という判断を、個別具体的に一々やらなければならないということそのものが不可能事なのであり、個々の思惑が恣意的な結果を生みやすくなります。--Kinno Angel 2012年2月22日 (水) 23:53 (UTC)[返信]

新提案内容

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全キリスト教系人物カテゴリに関わる議論のため、提案内容を改めて整理します。「教徒」ではなく「信者」という、全教派で大体使われている語彙に提案内容が変わってもいます(「信徒」「クリスチャン」「教徒」「信者」のうち、「信者」が最も教派を越えて広く使われていると私は感じています)。時間をかけて議論するつもりです。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

新改名提案内容

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  • (改名前)…

Category:キリスト教に関連する人物Category:各国のキリスト教の人物(および下位カテゴリにおける全ての「キリスト教の人物」カテゴリ名が対象)、 Category:教派別のキリスト教の人物Category:各国のカトリックの人物‎(および下位カテゴリにおける全ての「カトリックの人物」カテゴリ名が対象)、Category:カトリック教会の人物Category:各国のプロテスタントの人物‎(および下位カテゴリにおける全ての「プロテスタントの人物」カテゴリ名が対象)、Category:プロテスタントの人物Category:非カルケドン派の人物

  • (改名後)…

Category:キリスト教信者(および下位カテゴリにおける全ての「キリスト教の人物」を「キリスト教信者」に改名)、 Category:各国のキリスト教信者(および下位カテゴリにおける全ての「キリスト教の人物」を「キリスト教信者に改名)、 Category:教派別のキリスト教信者Category:各国のカトリック教会の信者(および下位カテゴリにおける全ての「カトリックの人物」を「カトリック教会信者に改名)、Category:カトリック教会の信者Category:各国のプロテスタントの信者(および下位カテゴリにおける全ての「プロテスタントの人物」を「プロテスタント信者」に改名)、Category:プロテスタントの信者Category:非カルケドン派の信者--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

カテゴリ概念・掲載基準新提案

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  • それぞれ客観的に単純明快に、当該教派の信者のカテゴリとする。
  • 非存命人物の場合、信頼出来る出典が脚注形式で明示されているのであれば、他言語版と同様、カテゴライズ可。
  • 存命人物の場合は以下2点を両方満たしている場合にのみカテゴライズ可。
    • 信頼出来る出典が脚注形式で明示されている(本文執筆はこれのみで可)。
    • 本人が(当該宗教内だけでなく、広く)公表する事を可とする意思が信頼出来る出典で確認できている(カテゴライズにはこちらも必要)。

存命人物のカテゴライズについては、大変繊細かつ重要な問題となるため、Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記‎が優先的議論の場となり、既に議論進行中です。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

理由・内容説明

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  • 他言語版とも整合性がとれます(他言語版は単に「キリスト教信者」です…この件、過去の議論で"en:Category:Christian people"が、英語力不足の編集者によって意味が誤解されていました)。
  • プライバシーの問題が無く、出典があるのであれば、他言語版と同様、カテゴライズ可とした方が基準が客観的に明瞭になり、かつシンプルになります。
  • 「単なる信者をカテゴライズする」のは「非現実的」「不可能」と仰る方がいらっしゃいますが、(日本語版よりも圧倒的にキリスト教信者が大勢居る)他言語版で何の問題もなく運用されており、「現実として可能」です。
    • 現行(そもそも非存命人物については「合意」がなされているかどうか怪しいですが)では人によって「キリスト教に関連が深いか浅いか」という、見解が別れ易い基準になっていて不明瞭です。文献を示したとしても「関連が深いと言える」か「関連が深いとは言えない」かは議論が必然的に別れるのであって、個々の人物ごとに議論して画定していくのは、非効率極まりありません。
  • 「信徒をカテゴライズして何になるんだ」と思われる方は、おそらく「教会史研究」という研究分野において「どのような信徒がその教派に居たのか」という研究が行われていることを御存知無いのだと思います。知らないこと自体は仕方ありませんが、日本の非宗教系の大学での教会史研究において、一人ひとりの信徒の研究まで「A教派の信徒達」というカテゴライズのもとで研究がされていることは、是非この機会に知って頂きたいと思います。本カテゴリ提案は、学会で普通に行われているカテゴライズをそのまま反映させるものです。
    • たとえば瀬沼夏葉などにしても、アレクセイ・ポタポフによる論文(参考)『明治期日本の文化における東方正教会の位置および影響』(東京大学修士論文で、ニコライ堂などで一般向けに頒布されています)でも取り上げられている他、中村健之介の『ニコライ堂の女性たち』でも扱われています。
  • 一見、カテゴライズされる人が増えるだけのカテゴリ名・カテゴリ基準変更提案に見えますが、そうではありません。客観的に明瞭にすれば、これまでカテゴライズされているものが外れることは当然ありますし、その対象は少なくありません。

合意形成手順

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各カテゴリページへの議論告知は順次行いますが、範囲が膨大なため、今日明日には終わらないかもしれません。いずれにしても重要な問題ですから、以下の手順をとります)広く告知した後の沈黙を同意とみなすことについてはWikipedia:合意形成#合意のレベルが根拠です)。

  • 改名提案告知のほか、Wikipedia:お知らせにも議論発生を告知します。
  • (まずそんなことにはならないでしょうが)新提案に対して満20日間異論が無ければ提案通り実行、合意成立とします。
  • 議論が発生した後は、合意文案を順次練り、その都度「合意文案提案に対して満10日間(240時間)異論が無ければ提案通り実行、合意成立と看做します」と明言。この文言での明言後、満10日間(240時間)異論が無ければ提案通り実行、合意成立とします。
  • 明言した時間が経って合意が成立した後、本ページに報告をした上で、Bot作業依頼をします。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

旧提案議論欄

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コメントWikipedia‐ノート:存命人物の伝記では意見を述べましたが、こちらにも少しコメントさせて頂きます。瀬沼夏葉について「日本正教会史研究から派生して注目されるようになった」というのが周知の事実、ないし一般的な評価という事をご教示頂きありがとうございます。仰せになるように個別の事情を存じあげないで編集したわけですが、例えばこの論文のようにソ連の研究者がチェーホフ翻訳について取り上げたのが瀬沼の再評価の始まり(P.1)、という意見もあります。Kinno Angelさんと論文執筆者の中村喜和のどちらが見識が高いか判断する材料や能力はもちろん私にはありませんが、Wikipediaの編集では検証可能性独自研究は載せないという方針がありますので、例えばもしも加筆を希望されるなら出典を示して頂ければ、と存じます。

また、

>「著名な活動または著名性の大半がキリスト教に依拠する人物に関する」という基準は、誰が判断するのでしょう?個別人物ごとに評価に係る出典を確保しなければ掲載出来ないのでしょうか?

というご質問についても先述の『Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に』が該当して仰るとおり、という事になるのかと私は思います。

なお最後になりましたが、改名提案については賛成します。基準変更については「ノート:存命人物の伝記」の議論を見たいと思います。以上、よろしくお願いいたします。--Okapia2 2012年2月24日 (金) 05:07 (UTC)[返信]

    • 賛成 「キリスト教の人物」というカテゴリは曖昧模糊としていて、織田信長(キリスト教徒を保護)とかニーチェ反キリスト)ならましな方で、眞子内親王国際基督教大学在学)、宮本洋一(かつてニコライ堂建設を請け負った清水建設の現社長)とか、拡大解釈によってカテゴライズし放題です。びしっと明確な切り分けが必要だと考えています。これというのも障害を扱った作品の一覧という一覧記事を見てしまったからです。島大作(更年期障害)、美味しんぼ(味覚障害山岡士郎が亜鉛不足で味わかんなくなったエピソードのことか?)、以前の版では[1]「コンピュータの障害を扱った映画」節、「トンネル工事に伴う障害を扱った小説」節がありました。ロミオとジュリエットが男女間の障害なんだそうです。恋愛ものは大抵障害があるはずですが。そのうち聖書もその一覧記事に加わるのかもしれませんねえ。こんな事にならないためにも明確なカテゴリ名、明確な指針を建てましょう。ですので賛成です。しかしながら各論については議論の余地ありです。私の考えは「存命・非存命にかかわらず、キリスト教徒として著名な活動もしくはその人物の人格形成に多く名影響が認められ、かつそれが記事の中に出典付きで記述されていること」が条件です。「キリスト教徒だった(まる)」ではカテゴリ付けしてほしくはないのです。欧米ではキリスト教徒はごまんといます。キリスト教徒、ただそれだけで全部カテゴリ付加するのは非現実かとおもいます。一方で日本人はキリスト教徒の割合が少ないので載せても良い?それはダブルスタンダードになりかねません。いや、何の利便性があってカテゴライズするか、を考えるのが良いのかな・・・--Sillago 2012年2月25日 (土) 17:48 (UTC)[返信]
Okapia2さん
>というご質問についても先述の『Wikipedia:検証可能性#出典を示す責任は掲載を希望する側に』が該当して仰るとおり、という事になるのかと私は思います。
ですから「信徒であるという出典を示す」のか、「重要な業績云々の出典を示す」のか、その「基準を明確化するべきだ」という話をしているのであって、話がかみ合っていません。出典が不要だなどと私は一言も言っていませんし、どのような出典が求められるかについても明確に提案しているんですが、ちゃんと読んでいるんでしょうか。
「業績とか関係性を基準にしていたら、『どの程度重要なのか』などという主観が大きく絡む問題が出て来て、無駄なリソースが記事毎に割かれる」と申しております。「信徒が判断する」と「非信徒が判断する」のとで大きな差が出るのですが、その中立的観点はどのように達成するのでしょう?
  • 客観的に明確な一律基準を作るべき
  • 出典については存命人物と非存命人物とは要求される水準は違う
私はこういうことを申しております。
それと、「存命人物に要求されている基準」と「非存命人物に要求されている基準」を貴方は故意にか無意識に混同しています(貴方の会話ページに指摘しているんですが、どうも貴方様は挑発的行為をなさってもおいでですし、故意に混同しているのではないかと疑って居ます)。
Sillagoさん
改名賛成ありがとうございます。さて、
>「存命・非存命にかかわらず、キリスト教徒として著名な活動もしくはその人物の人格形成に多く名影響が認められ、かつそれが記事の中に出典付きで記述されていること」
これは、誰がどうやって「著名」「名影響」を判断するのでしょうか?(Okapia2さんは完全に誤読しているというか理解していらっしゃいませんが)、私が言っているのは「評価にかかる議論を一人ひとりについて行うのは非現実的」ということなんです。
>「キリスト教徒だった(まる)」ではカテゴリ付けしてほしくはないのです。欧米ではキリスト教徒はごまんといます。キリスト教徒、ただそれだけで全部カテゴリ付加するのは非現実かとおもいます。
その「非現実的」が、複数の他言語版で当たり前なのです。別に他言語版が絶対基準とは申しませんが、有効に機能している現状がある以上、「非現実的」「不可能」という言葉は当たりません(現実存在し、可能です)。
>一方で日本人はキリスト教徒の割合が少ないので載せても良い?それはダブルスタンダードになりかねません。
日本人だけじゃありません。中東などでも宗教アイデンティティは大いに問題になります。たとえばレバノンエジプトから女性ファッションモデルが出る場合、人口比にそぐわない人数が非カルケドン派正教徒東方典礼カトリックかといったクリスチャンから出ているいう現状があって、そういう場面も考慮されて宗教のカテゴライズは機能しているわけです。
さて、話が色々と噛み合っていませんが、どうも一番大事な前提が共有されていない虞があるので、申し上げます。
>いや、何の利便性があってカテゴライズするか、を考えるのが良いのかな
「信徒をカテゴライズして何になるんだ」と思われる方は、多分「教会史研究」という研究分野において「どのような信徒がその教派に居たのか」という研究が行われていることを御存知無いのだと思います。
勿論知らなかったこと自体は責められるべきことではなく、当然と言えば当然ですが、日本のちゃんとした大学で教会史研究が存在し、一人ひとりの信徒の研究まで「A教派の信徒達」という研究がされていることは、是非この機会に知って頂きたいと思います。たとえば瀬沼夏葉などにしても、アレクセイ・ポタポフによる論文(参考)『明治期日本の文化における東方正教会の位置および影響』(東京大学修士論文で、ニコライ堂などで一般向けに頒布されています)でも取り上げられている他、中村健之介の『ニコライ堂の女性たち』でも扱われています。
さて、ここで「そういう論文を提示すればいい、現行の基準で十分じゃないか」と言われるかもしれませんが、たとえば「何行以上取り上げられているから重要だと判断出来る」とか、そんな基準を設けることが現実的でしょうか?私にはその方が遥かに非現実的だと思います。
で…
…そもそもですね、非存命人物を巡っては、「合意があった」と強弁されて「基準がある」とされることに私は首を傾げます。Wikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒では「カテゴリの当時の状況下での削除、が決まった」のみであって、ローカルルールも何も設定されておらず、方針文書・ガイドラインにも非存命人物を巡っては記載が無いんですよ。しかも存続票を入れた2人は最終的同意を与えていない。
この削除の手順自体に瑕疵はありませんが、これを「合意が成立している」と言うのは拡大解釈です(合意とはウィキペディアにおいて多数決ではありません)。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 13:09 (UTC)[返信]

新提案議論欄

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新提案以降の議論をこちらでお願いします。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:07 (UTC)[返信]

報告 すみません、改名提案作業、これにて一旦休ませて頂きます(まだ諸カテゴリへの改名提案告知作業が全く終わっていません)。明日・明後日、また作業にかからせて頂きます。--Kinno Angel 2012年2月26日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
報告 諸カテゴリへの改名提案告知作業を終えました。--Kinno Angel 2012年2月27日 (月) 04:39 (UTC)[返信]

議題の整理をして下さり感謝です。では早速カウンターパンチを(笑)。結論から述べますと「キリスト教信者」つまり「キリスト教」+「信者」はなじめません。それでしたら「クリスチャン」、「キリスト教徒」が日本語として通りが良いです。以下、詳細を説明します。

Kinno Angelさんは 「信徒」「クリスチャン」「教徒」「信者」のうち、「信者」が最も教派を越えて広く使われていると私は感じています と述べました。確かに信者とはキリスト教を信じる人を表す表現として一般的です。でも「キリスト教」と「信者」を合成した「キリスト教信者」という表現は違和感があります。なぜ「キリスト教信者」が最善の選択で「クリスチャン」、「キリスト教徒」はダメなのかを論証して下さい。ではまず私の考えを。まずキリスト教内部からの呼称を軽く調べました。

  1. 正教会。かつてKinno Angelさんから教えて頂いた日本ハリストス正教会『私たちはどのようにすくわれるか』を参考にしました。その結果「キリスト教徒」p.3、「クリスチャン」p.57他多数…で使われています。p57〜はカリストス・ウェア主教による「大斉の意味」の本文を翻訳したものですね。日本ハリストス正教会西日本主教教区の独自見解でないかぎり、英語から入った「クリスチャン」は正教会でも受け入れられている、と思うのですがいかがでしょうか。ちなみにこの本には「キリスト教信者」という表現は見当たりませんでした。
  2. プロテスタント。『新キリスト教辞典』pp.334-337 では「キリスト者」という項目があります。また『聖書神学事典』の「すくい」p.459にも「キリスト者」とあります。確かに見聞きする表現ですが、少し堅く、またキリスト教に関わりが無い人からすると、「キリスト者」はなじまない表現という気がします。気がするだけで実は人口に膾炙しているのかもしれませんが。上記2冊は神学書なので、次は一般向きの一冊を。リック・ウォレン『人生を導く5つの目的』アメリカではベストセラーになったとかでは一貫して「クリスチャン」です。英語から翻訳したからかもしれません。あと『クリスチャン新聞』[2]というのもあります。そのまんまですね。以上4冊は福音派です。『新約聖書神学事典』では、やはり「キリスト者」です。これはどっちかというとリベラルぽいです。
  3. カトリック。適当な文献が手元にないのでウェブサイトから。カトリック東京大司教区[3][4]では「キリスト信者」と使っていました。カトリックに通じている方は比較的多いはずですから、その方にご意見を請えば一発でしょう。
  4. 聖公会。すがすがしいくらい分かりません(汗。誰かご教示願います。
  5. キリスト教の外側。『キリスト教とは何か』ⅠとⅡ(penbooks)では「キリスト教徒」と出ています。この本は昨年あたりPen (雑誌)で連載された特集「キリスト教とは何か」を単行本化したものです。クリスチャンが見ても余り有益な本ではなさそうで、クリスチャン以外の人の知的好奇心を満足させる目的のようです。

「キリスト教信者」を採用している文献がいくつかあれば話が早いのですが、今のところ見当たらないので、余りやりたくはありませんでしたがgoogle検索しました。多数引っかかりましたが検証可能性を満たし得るサイトは見当たりませんでした。以上、偏りが見られますが、妙に妥協した「キリスト教信者」を積極的に押す理由無し。「クリスチャン」または「キリスト教徒」が日本語して広く流通している。ということはいえそうです。話が長くなるので一面から切り込みました。必要であれば違う視点からも論証いたします。なお「信者」、「信徒」、「教徒」に関する考察もしましたが、今回は割愛します。--Sillago 2012年2月27日 (月) 13:27 (UTC)[返信]

あ、すみません…私個人は「拘りは無い」んです、実は。私個人は「ハリステアニン」が一番馴染みがあり、「ハリステアニン」を推します!…などと無茶は申しませんので御安心下さい。
で、なんで「信徒」「クリスチャン」ではなく「信者」を推したかと申しますと、
  • この会話ページで、カトリック系執筆者から、カトリック教会では「信徒」≠「信者」であると教えられたこと
  • 少なくとも西方教会では、「クリスチャン」よりも、最近は「キリスト者」がトレンド(らしい)ということ(これについては知人からの伝聞でしかありません)だが、「キリスト者」では信者で無い人からしたら多分ちんぷんかんぷんになる(言葉の意味すら判らない人も居ると思います)
以上の事情(特に会話ページで教示されたこと)から、「信者」を推しました。カトリック教会の事情を鑑みますと「信徒」は避けた方が良さそうです(カトリックの聖職者が除外されてしまいます)。従いまして、「信徒」以外であれば、大体どれでも良い、というのが私の考えです。私としては別に「クリスチャン」「キリスト教徒」のいずれでも結構です。但し下位カテゴリはまた話が変わって来そうですね…--Kinno Angel 2012年2月27日 (月) 13:36 (UTC)[返信]
連続で御免なさい…私の希望を申せば、第一希望:「~信者」、第二希望:「キリスト教徒」(下位カテゴリが若干面倒)、第三希望:「クリスチャン」(下位カテゴリの処理がこれも若干面倒)です。「クリスチャン」が出典でも、執筆者の感覚でも、多数派ならば従いますが…しかし出来るだけ英語由来の転写は避けたいんですよね…。「キリスト教と言えば英語」っていうのも、何か色々と偏っているというか誤解と言うか…そういうものを助長したくはないので…--Kinno Angel 2012年2月27日 (月) 13:42 (UTC)[返信]
長い議論になる予感がしますが、定義は固まっているとみてます。どの名称でも定義は一緒です。そしてサブカテゴリについてもすこし考えていました。『私たちはどのようにすくわれるか』では「正教信徒」p.5 とありましたのでサブカテゴリでは「正教信徒」もしくは「正教徒」でも問題ないと思うのです。(ロシア語版ウィキペディアではХристианинとあったので、日本正教会では「ふりすてぃあにん?」て言うのかな、と思いました。惜しい。)整合性に気を遣う余り、不自然な名称となる事は歓迎出来ません。カトリックについては、私も「信徒」≠「信者」であると知りました。祭司は信徒ではないようです。一方プロテスタントでは、自身を「信者」より「信徒」ということを好むようです。これは私の感覚と、先に挙げた神学書では「キリスト者」とともに「信徒」とも書かれていたこともあります。万人祭司ですからカトリックの「信徒」≠「信者」とは感覚が違うかもしれません。いろいろ書きましたけれど、サブカテゴリとの整合性がとても大事な問題、で無い限り、「クリスチャン」を押します。立派な日本語(外来語)です。『私たちはどのようにすくわれるか』を読んでいて気がついたのですが「エネルギイ」(エネルギー)はロシア語由来ですが勘違い、ドイツ語由来ですね、立派な日本語です。あと新約聖書「ルカによる福音書」では「私と一緒にパラダイスにいるであろう」(口語訳)と書いてあります。新改訳もそうです。正教会訳と新共同訳は「楽園」です。なんでここだけ英語由来なんだろうと長らく不思議ですが、「パラダイス」が日本語としても普及しているのが理由の一つではないでしょうか。原典「παραδεισω」に近いこともあるでしょう。なら「クリスチャン」も同様です。キリスト教徒の左側、各国語のリンクを見て下さい。ほとんど「クリスチャン」と同型です。いいんじゃないですかね。あと見出し語が「キリスト教徒」ですから、それに合わせる、という事ならそれはそれで賛成します。これをキリスト教信者という見出し語にしたい、と改名提案して誰が受け入れてくれるでしょうか。--Sillago 2012年2月27日 (月) 14:57 (UTC) --Sillago 2012年2月27日 (月) 15:02 (UTC)一部訂正[返信]
ああ、理解が足りませんでした。カトリックについては「カトリックの信徒」ではよろしくなく「カトリックの信者」がふさわしい、って事ですね。なのに一方で「プロテスタントの信徒」だと整合性が…ということですかね。それそれで考えれば良いかと思います。今のところは。--Sillago 2012年2月27日 (月) 15:13 (UTC)[返信]
コメント うーーーん…「クリスチャン」については、「自分は推さなかった」って言いたいんです、実の處。いや、謎な言い方かもしれませんが…「自分は主導していない」って言いたいっていうか…^^;取り敢えず、「妥協の結果、『クリスチャン』になった」って流れなら、「妥協」するつもりはあります。ですので「キリスト教信者」で「最後までゴリ押し」するつもりは全然ありません。「Category:正教徒」もありますし、「信者」で統一しなければならないってわけでもありませんしね…。余談ですが、「ハリステアニン」っていうのはロシア語由来で、日本正教会でよく使われる表記です[5][6][7]。当時、「ハリストス」といい「ハリステニアン」といい、母音の無い子音を「あ段」で転写する傾向があったようです。--Kinno Angel 2012年2月27日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
そうでしたね、ニコライ大司教からの伝統でしょうか。日本正教会の表記はもちろん尊重いたします。必要であればその表記を用いることに賛成します。戻ります。改名議論に加わる方(私も含め)は、今一度Wikipedia:カテゴリの方針をよく読んでみると、より適切な方法が浮かび上がるかもしれません。わかりやすくする目的で、改名候補の一覧表を下の節に作りました。適宜内容を良い方向に変えていくことを前提に作りました。--Sillago 2012年2月28日 (火) 12:39 (UTC)[返信]
あ、「ハリステアニン」を推すなどという無茶は勿論申しませんのでご安心を^^;
で、「"キリスト教信者"」でググってみたのですが、使われていないわけではありませんでした。…しかし結婚式業界など、キリスト教と直接関係無いところが検索上位の殆どを占めていて…やはりキリスト教内で自称されることは滅多に無いようです。
「キリスト教の信者」は、大辞泉に記載がありました。話をややこしくしてすみませんが、「キリスト教の信者」も候補に入るかもしれません。…、しかし、御説明を伺って居ますと、今ではそれほど「クリスチャン」にカテゴリ名を設定することに、反対する気がなくなっているのも事実です。話題のメインはカテゴライズ基準の方ですので、カテゴリ名は「クリスチャン」でも、それで合意が成るのならば構いません(自らは推しませんが、引き下がるというところです)。--Kinno Angel 2012年2月28日 (火) 12:57 (UTC)[返信]
…御免なさい、かなり逡巡しているのですが…m(_ _;)m(実は「基準」の方が最重要課題だったので、「改名先」については事前に深く考えていなかったというのが本当のところです、それゆえ迷って居ます)やはり「クリスチャン」は【出来る限り】避けたいです。っていうのは「レバノンのクリスチャン」「ロシアのクリスチャン」になっている光景を想像すると…むーorz。英語と全然関係ない地域に「クリスチャン」ってなっているのを見ると、違和感が大いにありますね…ここの中で一番ましなのは「キリスト教徒」という気がしてきました…。--Kinno Angel 2012年2月28日 (火) 14:10 (UTC)[返信]

(インデント戻す)すこし寝かせて考えましょうか。他の方のご意見も是非聞きたいところです。また図書館などにもあたってみれば、興味深い書籍があるかもしれません。いずれの名称にせよ「カテゴリ概念」とは切り離して議論出来るのでは?そうなら平行して議論してもいいだろうし、そうでなければこちらを先に決めるべきかもしれません。「カテゴリ概念」は簡単にはいかないと思います。絶対に。--Sillago 2012年2月28日 (火) 14:22 (UTC)[返信]

>「カテゴリ概念」とは切り離して議論出来るのでは
その通りだとおもいます。カテゴリ名については、ちょっと時間をかけないと私も結論出ないと思います。--Kinno Angel 2012年2月28日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

賛成 改名に賛成します。広汎で使われている『キリスト教徒』がいいと思います。--RHDIA 2012年2月29日 (水) 12:32 (UTC)[返信]

改名候補の一覧表

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改名候補を表にしてみました。書いてあることは、私の観点から見て、現状の議論を踏まえたたたき台です。どんどん直して下さい。--Sillago 2012年2月28日 (火) 06:49 (UTC)[返信]

改名候補一覧
名称 候補理由 メリット デメリット
1.キリスト教信者 「キリスト教」と「信者」の合成 「信徒」「クリスチャン」「教徒」「信者」のうち、「信者」が最も教派を越えて広く使われている キリスト教信者という用語で検証可能な文献が見当たらない(要は使われていない)
2.キリスト教徒 広汎で使われている キリスト教の外で特によく使われている 特にない気がするのですが・・・・
3.クリスチャン 広汎で使われている キリスト教内外問わず、もっとも通用している。広辞苑第六版には「キリスト教信者。キリスト教徒。キリスト者。」とあり、全てを包含しているようだ。 英語由来であることに抵抗感あり
4.キリスト信者 カトリックでの使用例あり カトリック東京大司教区で使用例あり カトリックでは信者と信徒を区別しているのと、全てのキリスト教派で受け入れられるか、不明
5.キリスト信徒 カトリックでの使用例あり 女子パウロ会のウェブサイトで一貫して使用 同上
6.キリスト者 複数教派での使用例あり 神学書、またはキリスト教内部での使用が多い。原典「Χριστιανους」(キリストにつく者)の訳としていちばん原義に近い、かも。一宗教というより「キリスト」に属するというニュアンスかも キリスト教の外側の人は大抵この用語を知らない。
  • 考察1:聖書による記述としては使徒の働き11:26・26:28、ペトロの手紙一4:16にはそれぞれ「キリスト者」(新共同訳、新改訳)、「クリスチャン」(口語訳)、「ハリスティアニン」(日本正教会訳)とあり、これがキリストを受け入れた者の自称ということになるのでしょうか。
  • 考察2:株式会社岩波書店 広辞苑第六版から引用すれば、信者「その宗教を信仰する人。信徒。また、ある人物・主義などの信奉者の意にも使う。「キリスト教の―」、信徒「その宗教を信仰する人。信者。「敬虔な―」」、教徒「宗教の信徒。信者」、クリスチャン「キリスト教信者。キリスト教徒。キリスト者」となります。--Sillago 2012年2月28日 (火) 18:26 (UTC)[返信]

カテゴリ概念・掲載基準についての議論

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すみません。どのような配置がより好ましいか分かりません。現在議論のとりまとめ役になっているKinno Angelさん、見通しがつきやすいようよろしくお願いいたします。あと人が全然来ないなーと思っていたのですが、それはひょっとしてサブページ化してしまったからではないでしょうか。

本題です。「「単なる信者をカテゴライズする」のは「非現実的」「不可能」と仰る方がいらっしゃいますが、(日本語版よりも圧倒的にキリスト教信者が大勢居る)他言語版で何の問題もなく運用されており、「現実として可能」です。」と上でおっしゃっています。en:Category_talk:American_Christiansを見て下さい。アメリカ人クリスチャンのカテゴリに関する議論です。英語ですのでざっくりと訳してみまます。


「このカテゴリに何の意味があるのか?」

歴史上、そして現在に至るまでアメリカ人の8割〜9割はクリスチャンです。ほぼどんなアメリカ人でもこのリストに載せることが出来るでしょう。「アメリカのローマ・カトリック」、「…バプティスト」、「…メソジスト」、「…モルモン教徒」というサブカテゴリがより有用のようです。--TK421 2007年3月22日15:22(UTC)

実際のところは「75%以上」ですよ、でも同意します。このカテゴリは役に立ちません。 --Titanium Dragon 2007年5月2日05:28(UTC)
ではCfD(カテゴリ議論)に回すべきでしょうか。この件は余りにおおきく、あまりに包括的です。…

ただこのような議論があっても、現状英語版では活用されているかどうかは別にして、運用はされています。日本語版ではどうすべきか、という参考のために載せました。クリスチャンなら手当たり次第リストアップすることが有用かどうか、検証したいです。--Sillago 2012年2月29日 (水) 10:11 (UTC)[返信]

>あと人が全然来ないなーと思っていたのですが、それはひょっとしてサブページ化してしまったからではないでしょうか。
Wikipedia:お知らせ欄で告知したんですが(「存命人物」云々と併せて)、全然人が来ませんね…プロジェクトのノートページには時々進捗状況の報告をするつもりではいます。
「個々人の宗教など知ってどうする」という御意見もあるかもしれませんが、そもそも私などにとっては「該当教派の構成員の研究」という研究領域がある(前述の通り)のが当たり前だと思っていましたので、むしろ「信教カテゴリが要らない」という意見の方が「宗教嫌いに由来する偏見」という印象を受けるんです(Sillagoさんがというわけではありません、念の為)。
たとえば仏教の所属宗派カテゴリなどがあっても大変興味深いと思うんですが、なぜか無いんですよね…宗教が個人の人格形成に及ぼしている甚大な影響に日本人が無自覚なことの反映かもしれませんが…
「教派別カテゴリが有用」と言われるのは、それなりに所属コミュニティなどがよりハッキリして、人物の背景を知るのに有用だからでしょうね(背景に直結する…それだけに存命人物の宗旨というのは重大なわけです)。レバノンの場合、「正教徒」「非カルケドン派」「マロン派」というのとでは、やはりどれだけ親西欧なのかといった面に(政治的にも文化的にも)直結してきます。
別の例で言います。たとえばロシアに「カトリック信徒の政治家」というのが居たら、相当特筆性のある事柄です。で、仮に「特筆性のあるカテゴリ」(この場合「ロシアのカトリック信者」を用意すれば、必然的に他教派のカテゴリも用意しなければ不公平・不都合が生じる。上位カテゴリ「ロシアのキリスト教徒」にその他大勢が入ってしまうというのは、良い状態ではありません(解ると思いますので説明は割愛します)。
本当は私は、「各国・各地域の正教徒」だけでなく、全国家・地域のカテゴリに、教派別のカテゴリを用意したかったんです。しかし基準がヘンなもののまま(そもそも正式に合意がされていたかどうか怪しいのですが)運用されていたので、それが出来なかったということです。この機会に合意をとって、一気に教派別カテゴリに整理したいところです。
英語版の参考についてですが、日本語版でも、対象カテゴリがキリスト教徒が多数派である国の場合、教派別に分けるのが妥当でしょうね。英語版ページでも、「サブカテゴリがより有用」とは言われているわけです。主に議論になっているのは「信教のカテゴリそのものが必要かどうか」ではなく「対象が多過ぎてどうしようもない」という面ですよね(それだけに「サブカテゴリに入れるべきだ」という話になっているわけです)。
各国のカテゴリトップに、Template:Catdiffuseを必ず入れるなどの配慮が不可欠だと思います。--Kinno Angel 2012年2月29日 (水) 12:12 (UTC)[返信]
後日きっちり見解をまとめるつもりですが、キリスト教徒であることがその人の人格のバックボーンとなっていることは当然あるかと思います。研究としても大変興味深いです。で、よろしいでしょうか、正面突破します。「日本の正教信徒」に川村カオリをカテゴライズするのは現時点では反対です。1.洗礼を受け、聖名は「アナスタシア」を授かったこと、2.惜しくも永眠されましたが、葬儀がニコライ堂(教会)で執り行われたこと。キリスト教徒(ハリスティアニン)として検証可能なのは、現時点でこの2点のみです。洗礼を受け、教会で葬儀をする、クリスチャンとしては至極当然のことです。その人生(この世に生きている間に)においてキリスト教徒としての活動が検証出来ること、これがキリスト教徒のカテゴリに入れる条件ではないかと、私は思います。なので川村カオリにおいても、例えば「アルバムの1曲にイイスス・ハリストスへの信頼を込めた歌詞がある」という検証可能な何かがあればもちろんOKだ思います。ただ「イタリアのプロテスタント」ってあったら確かに興味深いな、と思います。珍しいから。だとすると「日本人の正教信徒」だけで特筆性があるのだろうか、と少し揺らいでます。
RHDIAさんはこのページに気づいてくれましたが、サブページ化する必要が本当にあったのでしょうか。場合によってはメイン会場に再統合することを検討してはいかがでしょうか。あるいは定期的に告知するとか。--Sillago (会話) 2012年3月1日 (木) 15:18 (UTC)[返信]
告知についてのみ。元のノートページには29日にも告知しております。引き続き告知し続けます。ノートページが重くなり過ぎて、当方のPCがしょっちゅう止まってしまっていたのです(かなり環境悪いんです、当方…)。--Kinno Angel (会話) 2012年3月2日 (金) 02:59 (UTC)[返信]
川村カオリのカテゴライズについては論じません。「可否判断」を「個々の人物ごとにしなきゃいけない」ことが余りにも不合理(実りの少ない作業量が多過ぎる)のでこの提案をしているわけです。--Kinno Angel (会話) 2012年3月2日 (金) 03:01 (UTC)[返信]
で、基準提案として「非存命人物は脚注形式出典」「存命人物は脚注形式出典+本人の意思確認」という、明瞭な基準を用意しているわけなんです。繰り返しますが「キリスト教徒としての活動云々」といった価値判断が入ると、(敢えて無駄と言いますが)無駄な議論の元になる主観が必ず入ります。--Kinno Angel (会話) 2012年3月2日 (金) 03:03 (UTC)[返信]
連続投稿お詫び申し上げます…。
まず、告知について重ねて申しますが、元ページに何度も告知していますし(これは続けます)、その上全ウィキペディアにWikipedia:お知らせで告知しております(これも10日間おきほどに逐次お知らせし続けます)。元々キリスト教プロジェクト自体があまり活発ではなく、私が各種議論への参加を呼び掛けても、殆ど集まらないという状況でしたので、サブページ化は議論参加者が少ない原因ではないでしょう。元々キリスト教系執筆者が少ないのです。繰り返しますが告知は引き続き行ってまいります。
さて、もうひとつ、
ただ「イタリアのプロテスタント」ってあったら確かに興味深いな、と思います。珍しいから。だとすると「日本人の正教信徒」だけで特筆性があるのだろうか、と少し揺らいでます。
まさにその通りです。「イタリアの正教徒」「イギリスのカトリック」「アイルランドのプロテスタント」とか、興味深い結果が出て来ると思うんですけれどね。そしてこれら「興味深い教派」と並列させる「少なくとも表面的には興味深くない教派」カテゴリも作るのが適切でしょう。
そして「基準を明瞭化するべき」というのが私の主張の眼目なんです。たとえば星野長太郎もカテゴリから外されてしまったのですが、自分の工場の女工40人にまで信徒として宣教していた彼が「キリスト教としての活動が深くない」と判断されたことは、多分に主観的です。こういうグレーで馬鹿馬鹿しい話はゼロにしたいものですね。--Kinno Angel (会話) 2012年3月2日 (金) 03:57 (UTC)[返信]
星野長太郎は日本正教会の深い理解があり、日本のキリスト教史に欠かすことの出来ない人物であることは理解出来ました。でも自身は洗礼を生涯受けなかったともとれます。このような場合「キリスト教徒」としてカテゴライズするのはどうなんだろう。賛否保留、というか教えて下さい(個人のブログなのであくまで参考ですが、仏式の墓所で永眠しているようです[8])。あと洗礼を受けた後、自分がクリスチャンであることを忘れたまま生涯を過ごしたように見える方は、カテゴライズするのにどうかな、と思ったのですよ。でもKinno Angelさんの言わんとしていることがだんだん理解出来たかな、って感じです。もう一押し。--Sillago会話2012年3月2日 (金) 16:49 (UTC)[返信]

コメント カトリックだという出典がある麻生太郎のように出典がある人には付けるのはいいでしょう。--RHDIA会話2012年3月2日 (金) 15:20 (UTC)[返信]

コメント それは、「信頼出来る出典さえあれば、カテゴライズ可」という御意見(つまり「本人の公表意思の確認は必要ないという御意見)ということで宜しいでしょうか?--Kinno Angel会話2012年3月2日 (金) 15:47 (UTC)[返信]
こちらはWikipedia‐ノート:存命人物の伝記#「宗教」基準の明確化での議論とリンクしているので、どうしましょうか。そちら次第のところはありますね。私は今のところ傍観しています。全ての宗教・信仰なのか、クリスチャンだけでいいのかもよく見えません。麻生さんがカトリック信者であることは検証可能な資料がたくさんあることでしょう(私でさえしっているのだから)。--Sillago会話) 2012年3月2日 (金) 16:49 (UTC)ミス修正--Sillago会話2012年3月3日 (土) 04:05 (UTC)[返信]
コメント
まず、上記星野長太郎につきまして。私は星野長太郎は洗礼を受けていたとばかり思っておりましたが、「…そう言えばどこに書いてあったのか、誰から聞いた話か、私にも全く記憶が無い…」と思い直し、『前橋ハリストス正教会百年の歩み』(昭和60年9月29日発行)を確認してみました。すると17頁に、一族の総帥だったので容易に改宗出来なかった兄長太郎に対し、弟耕作は遥かに自由な立場だったので、イオアンとの聖名で領洗し、兄弟揃って教会の発展に努めた、そのような旨が書いてありますが、長太郎氏が洗礼を受けていたと確言する箇所は(私の読んだ範囲では)見当たりませんでした。というわけで、脚注つき出典が確保出来ない段階では、私の提案しております新基準では星野長太郎は「日本の正教徒」カテゴリからは外れるということになります(…逆に、40人の女工にまで洗礼させているところを鑑みれば、従前の「仮合意」的なカテゴリ基準「重要な働き」には立派に入りそうな気もしますが、やはりこれも一個人の判断以上のものではないです)。
次に、「洗礼を受けた後、自分がクリスチャンであることを忘れたまま生涯を過ごしたように見える方は、カテゴライズするのにどうかな、と思った」についてですが、
…実は著名な例があります。「日本人女性イコン画家」として有名なイリナ山下りんですが、彼女は晩年には身寄りも無く一人郷里で寂しく永眠され、仏式で葬儀が行われ、今でも寺に墓があるんですよ…(びっくりされたかもしれませんが…)。日露関係の悪化・ロシア革命とともに日本正教会は大混乱に陥っていましたから(日本正教会の節「歴史」を御覧下さい)、個々の信徒の中から教会からケアを受けずに永眠した方も大勢出てしまっていた時代でしたから、山下りんだけの特殊事情ではありません。実は今でも、教会墓地の無い教会も沢山ある教勢の低さゆえに、寺の境内に墓地だけ借りている正教徒というのは日本で珍しくありませんし、家族に正教徒の居ない信徒が勝手に親族によって仏式で葬式されてしまうケースも無いではありません。…これは正教会だけに限らない現象ですが…
ですから「寺に葬られている」のは「信徒ではない」の証明にはなりません。
で、山下りんのケースで言えば、「もう正教徒としての意識を持って居なかった」のか、それとも「身寄りも無く郷里に正教会も無かったため、孤独死に近い形から寺が世話したようになってしまったが、本人は正教徒だという自覚を死ぬまで持っていた」のか…。それはもう「少なくとも今のところは判らない」んです。新史料でも出ない限り。
ですので「洗礼」さえ受けていれば、後はもう「破門された」「転籍した」「明白に棄教した」ケース以外では、「信者」としてカテゴライズする指針を立てるのが基準として明瞭です。
山下りんの他にも、千葉卓三郎のようなケースが迷いどころですが、これも「破門された」「転籍した」「明白に棄教した」のが確認されない限り、カテゴライズする方が基準が明瞭になると考えます(逆に千葉が「明白に棄教した」脚注つき出典が出てくれば、勿論カテゴライズから外れるのが適切です)。
以上、今考えていることをまとめますと
  • 「洗礼」さえ受けていれば、後はもう「破門された」「転籍した」「明白に棄教した」ケース以外では、「信者」としてカテゴライズする指針を立てるのが基準として明瞭
  • 「破門された」「転籍した」「明白に棄教した」ことが脚注つき出典で確認出来るケースでは、当該教派にはカテゴライズしない
  • 「寺に葬られている」のは「信徒ではない」の証明にはならないことは、事情をよく知らない編集者向けに確認しておく必要がある。
実は思考実験として「棄教した場合であっても、ある生涯の一時期に信者であったのなら、それゆえにカテゴライズするのも方法論としてアリだろう」を検討しました。しかしこれが通りますと、明治時代初期のキリスト教徒の殆どが、(「元」という意味で)「氏子」「仏教徒」にカテゴライズされても適切、って事になってしまうんですよね。それで「これはやっぱり駄目だ」となり、2番目の提案の結論になった次第です。--Kinno Angel会話2012年3月3日 (土) 14:24 (UTC)[返信]
すみません、もうひとつのお答を失念しておりました。存命人物について。
存命人物のカテゴライズ基準については、Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記#「宗教」基準の明確化の方が優先議論になりますね。もちろん議論対象は全ての宗教が対象ですし、麻生太郎についてもこの基準に従うことになります。
なお麻生太郎についてですが、私がWikipedia‐ノート:存命人物の伝記#「宗教」基準の明確化で提案している内容に従えば、たとえ麻生太郎氏のようにカトリックであることが有名な人物であろうと、本人がカトリック信徒である旨を公表する意思が確認出来る脚注形式出典が確認出来ない限り、カテゴライズは不可となります(信頼出来る脚注形式出典があれば、本文記載は可です)。そういう意味で、私が再三申し述べておりますように「単なる信者のカテゴリになったら、対象は増える一方じゃないか」と思われる方も居るかも知れませんが、存命人物についてはかなりカテゴリから外れるんじゃないかと思いますね。--Kinno Angel会話2012年3月3日 (土) 15:06 (UTC)[返信]
ということは、現状では星野長太郎は「日本の正教徒」「日本のキリスト教徒」(仮称)にはカテゴライズできないですかね。ただこのような立場の方がある程度まとまった数いるのなら「キリスト教関連の人物」(なんか既視感ある)というカテゴリを「新設」し、定義を「キリスト教徒でない、もしくは確認できないものの、キリスト教に深く関与(寄与)した人物のカテゴリ」等を新設する余地はあるかもしれないですね。どうでしょう。山下りんは著名なイコン画家と認識していましたが、意外な事に正教徒としての自覚もなかったのですか。昨年ニコライ堂にコンニチハしたときだったか、「山下りん」とどこかに書いてあった気がします(特設展をやっていたかも)。私は「しっかり正教徒」だとばかり思っていました。いずれにせよ、教派を問わず洗礼を受けたという事実は大きいですから、基準の一番目になる事は間違いないです(イエスと共に十字架につけられた強盗のように、絶対条件ではありませんが)。洗礼を受けた後にキリスト教を否定する活動に人生を費やした方もいます。いわゆる異端に走った方もいます。このような人は「キリスト教徒」ではない、といえるでしょう。でもここだけのはなし、それを本当に知っているのは神ただお一人なんですよね。ですからあくまで世俗的な解釈に基づくカテゴリにしか出来ないわけです。
存命人物に関してですが、前述の通りキリスト教徒は「洗礼」を受けた事、というわかりやすい基準があります。 一方で他の宗教、例えば神道と足並みをそろえるのはさぞかし大変かと思います(「神道を奉ずる人」とは一言でなんて言うのか「神道家」?)。神社に参拝に行っただけで神道を奉ずる人となり得るかもしれない。宗教によって基準が緩かったりきつかったりするとめんどくさい。--Sillago会話2012年3月3日 (土) 15:58 (UTC)[返信]
余談になってしまうんですが取り急ぎ一点のみ。「(山下りんは)意外な事に正教徒としての自覚もなかったのですか。」についてですが、「無い」と断言はしておりません(大汗)。あくまで晩年について「客観的には史料が残っておらず不明」ということでありまして(元々口数が少なく人との交流も出来る限り避けていた彼女は、多くが謎に包まれています)、洗礼を受けていたこと、正教徒としてイコンを精力的に画いていたことは間違いのない事実です。で、私は彼女が「死ぬまで正教徒であっただろう(あれだけのイコンを白内障になり始めた時期にも画いていた人が信仰を捨てるとは考えにくい)」と「信じて」います(が、史料がありません)。--Kinno Angel会話2012年3月3日 (土) 16:41 (UTC)[返信]

コメントわたしは、「信頼出来る出典さえあれば、カテゴライズ可」(つまり「本人の公表意思の確認は必要ないという御意見)です。ゴ・ディン・ジエム麻生太郎などの人々にカトリックとカテゴライズしてもいいはずです。--RHDIA会話2012年3月4日 (日) 09:14 (UTC)[返信]

コメント
RHDIAさん、
御主張了解しました。そうしますと上位議論でありますWikipedia‐ノート:存命人物の伝記#「宗教」基準の明確化とモロに被って参りますので、Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記#「宗教」基準の明確化にどうか御意見宜しくお願いします。
Sillagoさん、
>このような立場の方がある程度まとまった数いるのなら「キリスト教関連の人物」(なんか既視感ある)というカテゴリを「新設」し、定義を「キリスト教徒でない、もしくは確認できないものの、キリスト教に深く関与(寄与)した人物のカテゴリ」等を新設する余地はあるかもしれない
もしそのようなカテゴリが新設されるのなら、反対はしません。ただ、自分では作りません。やはり基準が不明瞭になるでしょうし、個々の人物について一々判断していくことについて、リソース上、責任が持てませんので…。今の自分の関心事は、現時点のカテゴリの基準の明瞭化ですね。
>洗礼を受けたという事実は大きいですから、基準の一番目になる事は間違いない(引用中略)あくまで世俗的な解釈に基づくカテゴリにしか出来ないわけです。
全部賛成です。なお、殉教者が「私はまだ洗礼を受けていない」と言ったのに対して、聖職者が「拷問・殉教によって流されている血が洗礼の代わりとなる」と言った、そのような例外的ケースもありますね。まあこういう場合、大概は列聖されていますから、問題は少ないかと。
>他の宗教、例えば神道と足並みをそろえるのはさぞかし大変かと
そうですね。取り敢えず、キリスト教限定のカテゴリ指針ということで良いかと思います。--Kinno Angel会話2012年3月5日 (月) 10:19 (UTC)[返信]

コメント別の場所でドタバタがあったのでこっちの方がおろそかになってしまいました。脳から消えないうちにメンテします。キリスト教徒の記事ではナザレのイエスを救世主キリスト(メシア)と信じ、旧約聖書に加えて、新約聖書に記されたイエスや使徒たちの言行を信じ従い、その教えを守る者がキリスト教徒であると言える。とあります。私もそうだと思います。でもそうすると「洗礼は受けたが、その後のキリスト教徒という自覚をもたなかった」人は微妙です。上で出たとおり、出典があり、かつ棄教を表明した出典がなければカテゴリに載せても良いのかな、とも思います。非存命人物の場合です。日本のクリスチャン有名人一覧という記事があります。日本人クリスチャン≠日本のクリスチャンではありますが。こちらとはどのように整合性を取りますか。Wikipedia:カテゴリの方針には「どちらかがあれば他方は不要というものではありません。」と書いてあります。とはいえ、双方無関係という訳にはいかず、リンクさせる必要があるでしょう。思うに、あっちは結構無節操です。--Sillago会話2012年3月7日 (水) 14:31 (UTC)[返信]

コメント
>出典があり、かつ棄教を表明した出典がなければカテゴリに載せても良いのかな、とも思います。非存命人物の場合です。
同感です。非存命人物の場合、(出来る限り)基準は客観的明瞭な方がいいです。「洗礼」の「明確な信頼出来る出典」があり、かつ「棄教表明」の「明確な信頼出来る出典」が無い場合は、一律カテゴライズで良いと思います。
存命人物の場合は、上位議論の結果を待ち、非存命人物のカテゴライズ基準を、存命人物の縛りによって基準を厳しくする、ということで宜しいのではないでしょうか。
日本のクリスチャン有名人一覧という記事があります。日本人クリスチャン≠日本のクリスチャンではありますが。こちらとはどのように整合性を取りますか。
第一に、確認しておきたいのですが、そもそもカテゴリ名を「日本人クリスチャン」「日本人キリスト教徒」ではなく「日本のクリスチャン」もしくは「日本のキリスト教徒」にするべきだと思っております。というのは他国のカテゴリに合わせたいからです。たとえば「ロシアのキリスト教徒」と「ロシア人キリスト教徒」では意味合いが変わってしまいます。民族的にはバルト・ドイツ系だったモスクワ総主教アレクシイ2世は、「ロシアのキリスト教徒」には入りますが、「ロシア人キリスト教徒」というのには、「ロシア人」が国籍を指すのか民族名を指すのか曖昧であり、微妙な話になって参ります。
第二に、日本のクリスチャン有名人一覧については、何を以て有名人というのかなど、問題にしたいところはありますね。いっそ「日本のクリスチャン一覧」として、jawp内に記事のある人物を挙げる、というのならすっきりするかと思いますが。しかし存命人物についての縛りは必要かもしれません(今の處、上位議論である存命人物問題でも、カテゴリしか論じられていませんが、一覧記事についても縛りをかけてもいいかもしれません)。
それと、もう一つ…新しい提案を含むのですが…
「各国の」が入るカテゴリ名は、一律「各国・各地域の」というカテゴリ名にしたいのです。「台湾」「コソヴォ」「アブハジア」「パレスチナ」など、「国家として承認されていないが、事実上独立している地域」とか、「歴史的な地理範囲を扱う場合、『各国』という表現で良いのか」など、色々問題になってきますので…
議論が停滞してしまっておりますので(すみません、私も返事が遅れました、申し訳ありません)、またプロジェクトノートページに議論発生のお知らせを重ねます。--Kinno Angel会話2012年3月13日 (火) 13:41 (UTC)[返信]
コメント非存命人物については異議なしです。存命人物については不注意にカテゴライズすると「レッテル貼り」と見なされるケースがありますし、他方との絡みもありますので議論を待ちます(消極的)。「日本人クリスチャン」、「日本のクリスチャン」。英語だとどっちも「en:Category:Japanese Christians」だからこんな問題も無いのですが。複数の国または地域で活動した人物はカテゴリも複数またがることもありますね。例えばニコライ・カサートキン。ロシアと日本両方であることは間違いない(むしろ日本かも)。他にはすぐに思いつきません、でも複数いるでしょう。「ロシア」の定義曖昧。たしかにそうですね。それは英語版、ロシア語版なども参考にしてはいかがでしょうか。「各国」は「各国・各地域」にするのがよいでしょう。定義づけはきっちりしたいですから。ドイツも本当は名前も国境線も色々変遷していて、マルティン・ルターは当時の神聖ローマ帝国の人でした。でも一般的にはドイツ人というコンセンサスは得られているのでしょう。その辺は常識で判断するのでしょうね。コソヴォ二重の意味でややこしいです。国家ではないことと、かつてユーゴスラビアだったことです。ユーゴスラビアも作る必要があるかもしれません。なぜならユーゴスラビア時代に生き、現地で永眠・天に召されたクリスチャン方はユーゴスラビアのクリスチャンだと言えるからです。
星野長太郎ですが、近所の県立図書館に群馬県史があることが分かりましたので、近々確認しに行く予定です。「洗礼を受けた」記述があるかどうか確認します。--Sillago会話2012年3月14日 (水) 16:33 (UTC)[返信]

コメントわたしは、「日本のキリスト教徒」にするべきだと思います。--RHDIA会話2012年3月15日 (木) 09:11 (UTC)[返信]

コメントそうですね。上記議論を鑑みるに「キリスト教徒」にすることのデメリット・困ることは「下位カテゴリが若干面倒」ということ以外出てきませんでした。メリットはたくさんあります。誰でも分かる。「クリスチャン」のような特定の外来語由来ではない、ウィキペディアではキリスト教徒で立項されており、それと整合性がとれる、などですか。もし特定の教派から「うちではキリスト教徒」とは決して言わないという意見があれば、下位カテゴリとして解決するか、または別個のカテゴリとするとかでしょうか。以降は「日本のキリスト教徒」「〜のキリスト教徒」を上位カテゴリとすることを前提にお話を進めませんか。--Sillago会話2012年3月15日 (木) 10:15 (UTC)[返信]

コメント残す問題は何ですか?(議論が複雑になって、よくわからなくなりました。)--RHDIA会話2012年3月17日 (土) 11:53 (UTC)[返信]

カテゴリ名・カテゴリ概念にかかる合意内容確認(合意文書草案を含む)

[編集]
コメント Sillagoさん、RHDIAさん、議論への参加をありがとうございます。
現時点で合意が成っていることを箇条書きにして確認したく存じます。異論が出ればこれを修正していき、合意後にサブページに合意文書としてまとめて、関連するカテゴリの冒頭に告知テンプレを使って「編集される方へ:カテゴライズの基準と注意事項についてはサブページを御覧下さい」といった注意書きを貼り付けたいと考えております。
  • カテゴリ名
  • 超教派カテゴリは「~のキリスト教徒」で統一(本ノートページにて、消極的賛同・積極的賛同の両方有り)。
  • 特定教派カテゴリはこの限りではない(「~の正教徒」も可。「~の正教会キリスト教徒」などといった表記に統一しない)
  • 「各国の」は「各国・各地域の」に変更。
  • 新カテゴライズ基準合意文書草案です)
  • 非存命人物の場合)当該教派の洗礼を受けていること(当該教派への帰正式・転籍等を含む)について、信頼のおける出典が脚注形式によって示されている場合にのみカテゴライズする。
  • 本人の生前の信仰アイデンティティが保たれていたかどうか不明な場合でも、棄教(もしくは他派への改宗)の意志が明確に示されていない場合には、カテゴライズする。
  • 存命人物の場合)Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論の結果によって、上記非存命人物の条件に、「本人の公表意思を示す出典」が付け加えられることが有り得る(Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論の結果待ち)
  • 「アメリカのキリスト教徒」などのカテゴリは有用性は低いので(殆ど入ってしまうので)、出来るだけ下位カテゴリたる教派別カテゴリに入れるよう注意を促す(教派別カテゴリでないと、キリスト教国が対象の場合、有用性が無い)。
合意が成っておらず、合意する必要があると私に思われますのは以下の通りです。
  • カトリック、プロテスタントの信者カテゴリ名
  • 「カトリック教会の信者」「プロテスタントの信者」でいかがでしょうか(すみません、出典などはありませんが…、これで問題は無いと思われるのですが…)。
「各国の」は「各国・各地域の」に変更。につきましては、Sillagoさん御指摘の通り、ニコライ・カサートキンだけでなく、「重複」する例も出て来ますね。例えばアルベルト・シュバイツァーはドイツのキリスト教徒でもありフランスのキリスト教徒でもあるでしょうし、マザー・テレサは活躍地からインドのキリスト教徒とも言えるでしょうし、出身地からマケドニアのキリスト教徒とも言えるでしょう。さらに両名について言えば、「各国・各地域」というように、「各地域」をカテゴリ概念に含むようになれば、「アルザスのキリスト教徒」というカテゴリが(将来的に)出現すればシュバイツァーはこれに入りますし、「アルーマニア人キリスト教徒」「アルバニア人キリスト教徒」というカテゴリが(将来的に)出現すればマザー・テレサはこれに入るでしょうね。重複は認められませんと、「何を優先してカテゴライズするか」という妙な問題が出て来るので、重複が当然に認められることも合意文書に残しておいた方が、将来余計な問題が出るのを防げると思います。
…ここまで書いていて気付いたのですが、(自分で作っておいて何ですが)Category:パレスチナ人のキリスト教の人物も、新たな問題を含みますね。仮に「アルーマニア人キリスト教徒」「アルバニア人キリスト教徒」というカテゴリが新設された場合、マザー・テレサをどう分類するか、ついでに合意しておいた方がいいかもしれません。民族系キリスト教徒カテゴリは(勿論信頼出来る脚注出典があることが大前提として)、「ハーフもクォーターも含める」「重複も可」としておいた方が、後々やり易いと思うのですが、いかがでしょうか。--Kinno Angel会話) 2012年3月17日 (土) 14:59 (UTC)一部訂正--Kinno Angel会話2012年3月17日 (土) 15:01 (UTC)[返信]
今思ったことを列記します。
  • 上位カテゴリは「キリスト教徒」で合意に達した。
  • サブカテゴリは「正教徒」は問題ないと思いますが、その他の教派はまだ検討の余地があります。「信者」に決まるのは少し待ってほしいです。プロテスタントは日本語表現として「信者」より「信徒」を好む、様な気がするのですが。教会員の定期的な集いを「信者総会」もしくは「信徒総会」といいます。カトリック・プロテスタントでそれぞれ両方使われていて、一致を見ていません(ネット調べ)。区別すべきなのかしなくてよいのかなんとも分かりません。「えいやっ」で一律「信者」に決めてしまうのも手かもしれません。
  • 一人の人物や地域が複数のカテゴリにまたがるのは他にも例がありますので、一つだけにこだわる必要は無いでしょう。つまり「重複は可」です。ただし記事で言及されていることが条件だと思います。
  • あまり細かいカテゴリを作っても一人か二人で当面増えないだろうと思われるカテゴリ(例えば新渡戸稲造は「日本のクェーカー」になり得る)は作らず、上位カテゴリだけで良いでしょう。
  • マザーテレサはスコピエで生まれました。出生時はオスマン帝国でした。幼少期にセルビア領になりました。ユーゴスラビアを経て今はマケドニア共和国です。彼女は18歳でインドに渡り、生涯そこで献身しました。父はアルーマニア人、母はアルバニア人でした。本人のアイデンティティはどうだったのでしょう。さて、ゴールが見えません。そもそも「国・地域」と「民族」をどうすれば良いのかな???(@@)。

民族については非常にセンシティブな問題を孕んでいます。これは「解決しました」という日は来ないでしょう。パレスティナ。。。ふーむ。他にもユダヤ人のキリスト教徒ってありなのか?とか。ありそうなのを全部列記するというのも一つの手ではありますが、余りに無節操に見えるのもこまりますね。--Sillago会話2012年3月17日 (土) 16:03 (UTC)[返信]

(追加)Kinno Angelさんの草案に概ね同意します。あと、カテゴリを作りすぎると「そのカテゴリは本当に有用?」となりかねません。そのような観点も必要かと思います。でもこの尺度は人によって大きく異なるのが実情です。--Sillago会話2012年3月17日 (土) 16:16 (UTC)[返信]

コメントわたしは、「カトリック教徒」または「カトリック信者」にすべきと考えます。民族系キリスト教徒カテゴリは、細かいので必要ありません。「パレスチナ人の~」ではなく「パレスチナの~」にするべきです。--RHDIA会話2012年3月18日 (日) 12:37 (UTC)[返信]


お二人とも、御意見ありがとうございます。以下箇条書きでお返事申し上げます(便宜上、引用部分は小さくします)。
  • 上位カテゴリは「キリスト教徒」で合意に達した。
  • 賛成 左様でございます。(他に反対意見を出す人が出現しなければ)。
  • サブカテゴリは「正教徒」は問題ないと思いますが、その他の教派はまだ検討の余地があります。「信者」に決まるのは少し待ってほしいです。プロテスタントは日本語表現として「信者」より「信徒」を好む、様な気がするのですが。教会員の定期的な集いを「信者総会」もしくは「信徒総会」といいます。カトリック・プロテスタントでそれぞれ両方使われていて、一致を見ていません(ネット調べ)。区別すべきなのかしなくてよいのかなんとも分かりません。「えいやっ」で一律「信者」に決めてしまうのも手かもしれません。
  • コメント カトリックでは「信徒」だと問題が発生するようですね。カトリックは「信者」でいいのではないでしょうか。しかしプロテスタントについては確かに「信徒総会」という表現もありますね。あと聖公会はどうするかという問題もありますね。全部一律で「信者」でもいいかもしれませんが、「信徒」であっても問題は無く、私個人には拘りはありません。なお聖公会の祈祷書を見たら、洗礼堅信式の箇所には「信徒」と書かれていました。
  • 一人の人物や地域が複数のカテゴリにまたがるのは他にも例がありますので、一つだけにこだわる必要は無いでしょう。つまり「重複は可」です。ただし記事で言及されていることが条件だと思います。
  • 賛成 異議ありません。
  • あまり細かいカテゴリを作っても一人か二人で当面増えないだろうと思われるカテゴリ(例えば新渡戸稲造は「日本のクェーカー」になり得る)は作らず、上位カテゴリだけで良いでしょう。
  • 条件付賛成 基本的に異議ありません。人数基準については後述します。
  • コメント 以下については纏めてコメントします。
  • マザーテレサはスコピエで生まれました。出生時はオスマン帝国でした。幼少期にセルビア領になりました。ユーゴスラビアを経て今はマケドニア共和国です。彼女は18歳でインドに渡り、生涯そこで献身しました。父はアルーマニア人、母はアルバニア人でした。本人のアイデンティティはどうだったのでしょう。さて、ゴールが見えません。そもそも「国・地域」と「民族」をどうすれば良いのかな???(@@)。
  • 民族については非常にセンシティブな問題を孕んでいます。これは「解決しました」という日は来ないでしょう。パレスティナ。。。ふーむ。他にもユダヤ人のキリスト教徒ってありなのか?とか。ありそうなのを全部列記するというのも一つの手ではありますが、余りに無節操に見えるのもこまりますね。
  • (追加)Kinno Angelさんの草案に概ね同意します。あと、カテゴリを作りすぎると「そのカテゴリは本当に有用?」となりかねません。そのような観点も必要かと思います。でもこの尺度は人によって大きく異なるのが実情です。
  • わたしは、「カトリック教徒」または「カトリック信者」にすべきと考えます。民族系キリスト教徒カテゴリは、細かいので必要ありません。「パレスチナ人の~」ではなく「パレスチナの~」にするべきです。(←これのみRHDIAさんによるもの)
コメント
  • 「民族系は細かいので必要ない」という意見には賛成出来ません。「パレスチナの~」にすると、イスラエル国籍のユダヤ人も入る事になり、そうなると他言語版と対応しなくなってしまいます(このカテゴリはあくまで「パレスチナ人」だからこそそれなりに興味深い結果になっています)。また「細かい」というのは相対的判断であり、基準として不明瞭になります。それにクルド人とかロマとか、国家を歴史上一度も持たなかった民族、複数地域にまたがる民族のカテゴリは「細かいから必要無い」では無いでしょう。
  • そこで基準として、「下位カテゴリの人数も含めて、3人に満たないカテゴリは作らない(カテゴリを作成出来るのは、下位カテゴリの人数も含めて3人以上)」というように、人数基準を設けるのは如何でしょう。本当にそのカテゴリを作りたいと思うような人であれば、1人か2人の記事を作るのは造作も無い筈(逆に「作れない」のであれば、そのカテゴリは不要であるとも判断出来るでしょう)。「下位カテゴリ含めて2人か1人しか含まれないカテゴリを量産する」人の出現をこれで防げると思います。
  • また、合意文書の中に注意書きとして、「カテゴリ基準を満たすためだけに役に立たないスタブ記事を量産するのはやめましょう(WP:スタブも参照)」といった文言を入れるのも良いかもしれません。--Kinno Angel会話2012年3月18日 (日) 13:48 (UTC)[返信]

コメントわたしは、「カトリック教徒」または「カトリック信者」にすべきと考えます。』は、どのように考えますか?--RHDIA会話2012年3月20日 (火) 14:14 (UTC)[返信]

コメント 失礼しました。私としてはどちらかと言えば「カトリック信者」にしたいところですね。大した根拠はありませんので、有力な反対意見があれば「教徒」でもいいと思いますが(但し「信徒」はダメですね。「信徒」だと、カトリックでは聖職者が入らない概念になってしまいます)。--Kinno Angel会話2012年3月20日 (火) 15:21 (UTC)[返信]

コメント 概念・掲載基準は明瞭にしなければいけませんが、実際のところカテゴリ名称を変えるのは比較的簡単です。botに作業依頼するだけですから。ですのでとりあえずですが信者・信徒は一律「信者」にしておくのがベターな選択というきがしてきました。「信者」「信徒」「教徒」それぞれの意味を考察します。再度株式会社岩波書店 広辞苑第六版から引用します。

  • 信者「その宗教を信仰する人。信徒。また、ある人物・主義などの信奉者の意にも使う。「キリスト教の―」
  • 信徒「その宗教を信仰する人。信者。「敬虔な―」」
  • 教徒「宗教の信徒。信者」
  • クリスチャン「キリスト教信者。キリスト教徒。キリスト者」

「教徒」はひろく「〜教」の後ろにつく傾向があるようです。「仏教徒」「イスラム教徒」「キリスト教徒」(正教徒)「ユダヤ教徒」「シーク教徒」etc...逆に「〜教」で終わらない場合「教徒」は付けづらいかと。「神道教徒?」→「信者」なんでしょうかね、「統一教会教徒?」→「信者」らしい、「立正佼成会教徒?」→「会員」かな、「創価学会教徒?」→「学会員」ですね。「道教徒」「儒教徒」は使わないかと思っていましたが、使用例がありました。ですので、キリスト教徒カテゴリにおいても「〜教」で終わる場合には「教徒」を付けることを検討しても良いでしょう。

次、「信者」と「信徒」にいきます。上記の広辞苑によれば置換可能にとれるし、実際もそうです。ただしカトリックは「信者」と「信徒」を区別している、というのはKinno Angelさんのご指摘通りです。カトリックでは信者は信徒に含まれます。カトリック六甲教会によれば「「神の民」全体を表す言葉は、「信者」です。」とあり、「信徒…叙階の秘跡を受けず、修道会にも所属せずに、世俗の中にとどまって福音宣教をする使命を与えられた信者のこと」とあります[9]。つまり

信者 ⊃ 信徒

という関係です。プロテスタントは諸派(単立教会も含め)いろいろな意見があるでしょう。しかし「万人祭司」の教理を持つ会派にはカトリックのように立場によって「信徒」「信者」を区別することはありません。ですからすっきりとさせるなら、最初に申したとおり「信者」にしておくのが一番ベターであるとおもいます。もちろん、例外もあるでしょう。例えば「クエーカー」は「Quake」+「er」ならば「クエーカー」そのままで良いでしょうし、一方で「友会徒」と自称もありますので、いずれにせよ「クエーカー信者」とはしづらいです。「ピューリタン(清教徒)」、「ユグノー」、「キリシタン(切支丹)」といったいずれも歴史的ながらも知名度が高いものもありますね。

まとめると、1.「〜教で終わる場合→教徒」、2.それ以外「信者」、 3.例外も考慮 です。まあ、すぐに結論は出さない方が良いと思います。異論が出るのを前提でお話ししています。--Sillago会話2012年3月20日 (火) 16:37 (UTC)[返信]

コメント 有力な反対意見がないので、「カトリック信者」、「プロテスタント信者」でいいです。--RHDIA会話2012年3月21日 (水) 13:42 (UTC)[返信]
コメント 大体カテゴリ名についてはSillagoさんに異議ありません。今までの議論を踏まえ、合意文書草案を再び纏めてみました。--Kinno Angel会話2012年3月26日 (月) 04:08 (UTC)[返信]

合意文書草案2

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各カテゴリにTemplate:ローカルルールを張り付け、合意文書をサブページ化してこれに誘導する形式を考えております。
  • 合意文書草案
当文書は、キリスト教徒カテゴリ、およびキリスト教徒カテゴリの下位カテゴリについてプロジェクト:キリスト教において合意されたローカルルールです。
Category:キリスト教徒およびその下位カテゴリである各教派信者カテゴリにカテゴライズする基準は、以下の通りです。
  • 当該教派の洗礼を受けていること(当該教派への帰正式・転籍等を含む)について、信頼のおける出典が脚注形式によって示されている場合にのみ、カテゴライズします。但し、基本的に洗礼・帰正・転籍が基準となりますが、洗礼を要件としない救世軍の隊員や、水による洗礼を受けていないが殉教の際に流された血が洗礼となったと伝えられた聖人のような例外はあります。
  • 一度信者にはなってはいるが、死没時の信仰アイデンティティは不明という場合
  • 棄教(もしくは他派への改宗)の意志が明確に示されていない場合には、洗礼帰正・転籍が確認出来る時点での教派カテゴリにカテゴライズします。
  • 棄教(もしくは他派への改宗)の意志が明確に示されている場合には、カテゴライズしません。
  • 存命人物の場合、Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論の結果によって、上記非存命人物の条件に、「本人の公表意思を示す出典」が付け加えられることが有り得る、Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論の結果待ち)
  • 「アメリカのキリスト教徒」などのカテゴリは有用性は低いので(殆ど入ってしまうので)、可能な限り下位カテゴリたる教派別カテゴリに入れるようにしましょう(教派別カテゴリでないと、キリスト教国が対象の場合、有用性が殆どありません)。
  • 下位カテゴリの人数も含めて、3人に満たないカテゴリは作らないようにしましょう(カテゴリを作成出来るのは、下位カテゴリの人数も含めて3人以上となる場合です)。また、このカテゴリ基準を満たすためだけに、役に立たないスタブ記事を量産するのはやめましょう(WP:スタブも参照)。
カテゴリ名については以下の通りです。

上記合意文書草案で1週間異議が無い場合、存命人物についてのみ保留、ほかは合意がなされたと看做し、合意文書のサブページを作成します。ただしWikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論がまとまるまではまだ改名・運用はしないこととし、合意文書サブページにはWikipedia‐ノート:存命人物の伝記での議論がまとまるまでは「存命人物について議論中なのでまだ合意文書としては発効していない」旨、冒頭に告知します。異議が無ければ、発効はWikipedia‐ノート:存命人物の伝記で合意が成って以降とさせて頂きます。--Kinno Angel会話2012年3月29日 (木) 05:54 (UTC)[返信]

合意成立報告

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報告 1週間以上経ちましたので、プロジェクト:キリスト教/キリスト教徒カテゴリの概念、およびその下位カテゴリの概念・掲載・作成基準を作成しました。議論に参加して下さった皆様、ありがとうございました。告知の通り、発効はWikipedia‐ノート:存命人物の伝記での合意成立後となります。--Kinno Angel会話2012年4月8日 (日) 14:20 (UTC)[返信]

報告 Category:朝鮮のキリスト教の人物についてですが、改名テンプレを貼った時にはCategory:韓国のキリスト教信者への改名を提案しておりましたが、合意が発効後には、上位カテゴリと合意内容に合わせてCategory:朝鮮のキリスト教徒に改名する予定です。--Kinno Angel会話2012年4月9日 (月) 03:28 (UTC)[返信]
報告 Wikipedia‐ノート:存命人物の伝記で合意が成立したことを以て、合意文書発効としました。議論に参加して下さった皆様、長きに亘りありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。なおカテゴリ名の変更、および合意文書への誘導告知テンプレ添付については、来週にボットの手続きに入りますので、まだ時間がかかるかと思います。--Kinno Angel会話2012年4月12日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
報告 申し訳ありません、一点、議論の上で異議も出されず賛成意見のみで合意が成立していた「地域・国別カテゴリの上位カテゴリについては「各国の」という表現は避け、「各国・各地域の」という表現とします。」を合意文書に加筆させて頂きました。告知しておりませんでしたこと、お詫び申し上げます。--Kinno Angel会話2012年4月16日 (月) 04:48 (UTC)[返信]
報告 節構成を改良。アメリカ→アメリカ合衆国。左記二点、微修正させて頂きました。--Kinno Angel会話2012年4月16日 (月) 05:51 (UTC)[返信]

Bot作業依頼報告

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報告 Wikipedia:Bot作業依頼に作業依頼を提出しましたことを報告申し上げます。--Kinno Angel会話2012年4月16日 (月) 05:25 (UTC)[返信]

完了報告

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報告 報告が遅れまして大変申し訳ありません、利用者:赤の旋律さんによって管理されている利用者:Akasenbotにより、Bot作業が行われ、すべての作業が終了しました。これまで議論に参加して下さった皆様に感謝申し上げますとともに、利用者:赤の旋律さんにも感謝したいと思います。ありがとうございました。--Kinno Angel会話2012年5月7日 (月) 16:04 (UTC)[返信]