セルゲイ・プロクジン=ゴルスキー
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セルゲイ・ミハイロヴィチ・プロクジン=ゴルスキー(ロシア語:Сергей Михайлович Прокудин-Горский、スィルギェーイ・ミハーイラヴィチュ・プラクーヂン=ゴールスキイ、ラテン文字表記の例:Sergey Prokudin-Gorsky、1863年8月31日 - 1944年9月27日) は、ロシアの写真家である。
人物・生涯
[編集]ムーロムに生まれ、家族とともにサンクトペテルブルクに移ると、サンクトペテルブルク国立工業大学でドミトリ・メンデレーエフのもとで化学を学び、帝国芸術アカデミーで音楽と絵画を学んだ。
赤・青・緑のフィルターを通して3枚のモノクロ乾板を素早く連続撮影することによりカラー写真を撮る方法を開発(三色合成)。ニコライ2世の援助によりロシア各地を撮影して数千枚のカラー写真を残した。これらの写真はロシア革命により失われたものが多い帝政ロシア末期の貴重な記録として現在も評価が高い。これらの写真を基にした印刷物も残した。
ロシア革命後にパリへ逃れ、同地で没した。彼が撮影した膨大な写真乾板は戦火を避けてパリの地下室に秘匿され、第二次世界大戦後にアメリカ議会図書館に買い取られた。現在では、デジタル合成により復元されたカラー画像がインターネットにより広く知られるようになった。
撮影場所
[編集]ギャラリー
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チュメニの至聖三者修道院(1912年撮影)
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1905年~1915年の間に撮影したガグラの桟橋
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1711年に木造で創建され、1772年に改築されたペトル・パウェル聖堂(1912年ごろに撮影)。1924年に焼失した
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1905年から1915年までの間に撮影されたサマルカンドのビービー・ハーヌム・モスクの写真、1897年の地震によるモスクの崩壊の跡が見られる。
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ビービー・ハーヌム・モスクの当時の外壁
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チュソヴァヤ川のマクシモフスキー岩。(1912年撮影)
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スモレンスクの街並(1912年撮影)
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スモレンスクのクレムリンの城壁(1910年代に撮影)
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ペルミの街の全体図
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マリアマグダレン教会
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ペルミ市のウラル鉄道管理本部
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カマ川のトラス橋。1912年に撮影
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ノヴァヤ・ラドガ(1911年撮影)
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1908年、セルゲイ・プロクジン=ゴルスキーがヤースナヤ・ポリャーナで撮影したレフ・トルストイ。
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アーリム・ハーン 1911年撮影
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 100 of Prokudin-Gorsky's photographs in pdf
- Collection Profile at the Library of Congress
- Library of Congress exhibit, The Empire that was Russia(selection of items)
- Search page to access all Prokudin-Gorskii items at the Library of Congress
- Prokudin-Gorskii images presented by the Library of Congress' English-Russian project Meeting of Frontiers
- Russian page with many Prokudin-Gorskii related links
- Russian database with all the Prokudin-Gorskii photos, including those not yet restored
- Private Prokudin-Gorskii project by Frank Dellaert
- Prokudin-Gorskii's pictures of Tolstoy - on the University of Toronto's Tolstoy Studies site
- On-line exhibit of Prokudin-Gorskii at Šechtl and Voseček Museum of Photography
- Prokudin-Gorskii: 1910 vs 2003. Comparison of some places