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プリンセサ・ブランカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プリンセサ・ブランカ
プリンセサ・ブランカの画像
プロフィール
リングネーム プリンセサ・ブランカ
本名 ブランカ・ロドリゲス
身長 174cm[1]
体重 62kg[1]
誕生日 (1974-08-26) 1974年8月26日(50歳)[1]
出身地 メキシコの旗 メキシコ
サン・ルイス・ポトシ[1]
所属 CMLL
トレーナー José Feliciano[1]
Franco Colombo[1]
Tony Salazar[1]
ウルティモ・ゲレーロ[1]
Rudo Valentino[2]
デビュー 1993年[1]
テンプレートを表示

プリンセサ・ブランカPrincesa Blanca)のリングネームで知られるブランカ・ロドリゲススペイン語: Blanca Rodríguez、女性、1974年8月26日 - )は、メキシコヌエボ・レオン州サン・ルイス・ポトシ出身のプロレスラーCMLLで活動するルーダ。夫はフェリーノ

来歴

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1993年、テクニカとしてデビュー。LLIにて憧れていたローラ・ゴンザレスと幾度も対戦した[3]。LLIには1995年に解散するまで所属した[4]。その後数年はメキシコ国内の団体を転戦するが、11月にCMLLと吉本女子プロレスJd'が合同で行った初代TWF世界女子シングル王座決定トーナメントにエントリーするが、1回戦で白鳥智香子に敗れる。1996年、Jd'へ来日[5]全日本女子プロレス日本武道館大会にも参戦した。帰国後はCMLLで当時女子部が置かれていなかったにもかかわらず活動していた。

1999年、CMLLのライバル団体であるAAAへ移籍。2005年にはAAA女王決定トーナメント「レイナ・デ・レイナス」にエントリーも敗退[6]

2006年、女子部が復活したCMLLに復帰。

2009年1月30日、マルセラを降し、メキシコナショナル女子王座を奪取。

2012年5月13日REINAに来日。レディ・アパッチェ相手にナショナル王座防衛戦を行い勝利。メキシコ国外でのナショナル王座戦は異例。

6月9日プリンセサ・スヘイと組んでREINA世界タッグ王座決定トーナメントに出場するが、1回戦でマッスルビーナス藤本つかさ志田光組)に敗退[7]

得意技

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  • La Casita

獲得タイトル

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  • メキシコナショナル女子王座

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i Rudos - Princesa Blanca” (スペイン語). CMLL. 2012年11月3日閲覧。
  2. ^ Princesa Blanca” (Spanish). CMLL Gaceta. CMLL (2011年12月6日). 2012年11月3日閲覧。
  3. ^ UWA/AAA Double Power” (ドイツ語). CageMatch.de (1994年4月24日). 2012年11月4日閲覧。
  4. ^ Madigan, Dan (2007). “Ray Mendoza and Los Villaños”. Mondo Lucha a Go Go: the bizarre & honorable world of wild Mexican wrestling. HarperColins Publisher. pp. 1936–196. ISBN 978-0-06-085583-3 
  5. ^ Royal Duncan & Gary Will (2000). “Japan: JD TWF Trans-World Federation Title”. Wrestling Title Histories. Archeus Communications. pp. 387. ISBN 0-9698161-5-4 
  6. ^ SuperLuchas staff (2006年1月3日). “2005 Lo Mejor de la Lucha Mexicana” (スペイン語). SuperLuchas. issue 140 
  7. ^ ★ReinaxWorld 1「創世」 日時:6月9日(土) 会場:新宿Face”. REINA×WORLD. Ameba (2012年6月10日). 2012年6月9日閲覧。

関連項目

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