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プファルツ=ノイブルク公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プファルツ=ノイブルク
Pfalz-Neuburg
バイエルン・ランツフート公国 1505年 - 1808年 プファルツ選帝侯領
プファルツ=ノイブルクの国旗 プファルツ=ノイブルクの国章
(国旗) (国章)
プファルツ=ノイブルクの位置
公用語 ドイツ語
首都 ノイブルク・アン・デア・ドナウ
1505年 - 1557年 オットー・ハインリヒ
1799年 - 1808年マクシミリアン1世
変遷
成立 1505年7月30日
プファルツ選帝侯領と同君連合1556年 - 1557年
プファルツ=ツヴァイブリュッケンに譲渡1557年
プファルツ=ズルツバッハが分離1614年
プファルツ選帝侯領に併合1685年
バイエルンに統合1808年

プファルツ=ノイブルク公(Herzog von Pfalz-Neuburg)は、1505年に創設され1808年まで継承された、神聖ローマ帝国領邦君主の称号である。歴代の公は帝国内の有力諸侯の一人であった。

プファルツ=ノイブルク公が統治した領邦、すなわちプファルツ=ノイブルク公領(Herzogtum Pfalz-Neuburg)またはプファルツ=ノイブルク侯領(Fürstentum Pfalz-Neuburg)は、バイエルンノイブルク・アン・デア・ドナウを首都とし、バイエルン地方に散在する面積合計約2,750平方キロメートルの地域であった。

歴史

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ドナウ川河畔のノイブルク宮殿

1503年下バイエルン=ランツフート公ゲオルクが死去すると、その遺領の相続を巡り、ゲオルクの娘エリーザベトの嫁ぎ先であるプファルツ選帝侯家と上バイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト4世(共にヴィッテルスバッハ家の別系統の家系)との間でランツフート継承戦争が勃発した。エリーザベトとその夫ループレヒトが病死した翌年の1505年に、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の仲裁で戦争は終結した。アルブレヒト4世が領土の大半と下バイエルン=ランツフート公位を継承したのに対し、エリーザベトの子(つまりゲオルクの外孫)のオットー・ハインリヒフィリップには領土の残りの部分が与えられ、この幼い兄弟のため新たにプファルツ=ノイブルク公位が創設された。

オットー・ハインリヒとフィリップは未成年であったため、父方の祖父であるプファルツ選帝侯フィリップ1508年の死去まで、次いで叔父のフリードリヒ2世1522年まで摂政を務めた。その後、兄弟は共同して統治に当たったが、先にフィリップが死去し、オットー・ハインリヒが単独の公となった。オットー・ハインリヒは、1556年に死去した叔父フリードリヒ2世からプファルツ選帝侯位(及び選帝侯領)を継承する。

1557年、オットー・ハインリヒはプファルツ=ノイブルク公領を、遠縁のプファルツ=ツヴァイブリュッケン公ヴォルフガングに譲り渡した。ヴォルフガングは長男フィリップ・ルートヴィヒにプファルツ=ノイブルク公を、次男ヨハン1世にプファルツ=ツヴァイブリュッケン公を継がせた。1608年、フィリップ・ルートヴィヒはプロテスタント同盟の結成に参加する。

ユーリヒ=クレーフェ=ベルク公ヴィルヘルム5世の娘でヨハン・ヴィルヘルムの姉と結婚していたフィリップ・ルートヴィヒは、義弟が子を残さず1609年に死去したことから、その遺領の継承をめぐってブランデンブルク選帝侯ヨーハン・ジギスムントと争った。新教連合の諸侯がブランデンブルク側に就いたため、フィリップ・ルートヴィヒは対抗上カトリック連盟 (en側に移った。この争いは、1614年に両者がユーリヒ公国ベルク公国クレーフェ公国を分け合って終わった。フィリップ・ルートヴィヒの死後、長男のヴォルフガング・ヴィルヘルムがプファルツ=ノイブルク公領を継承、ズルツバッハを次男アウグストが継承し分家した。ヒルポルトシュタインは3男ヨハン・フリードリヒが継承したが、1644年に子のないまま死去し、アウグストの家系が遺領を相続した。

ヴォルフガング・ヴィルヘルムの子フィリップ・ヴィルヘルムはプファルツ選帝侯カール2世が子を残さず死去、プファルツ=ジンメルン家が断絶したためプファルツ選帝侯位も継承したが、2人の息子ヨハン・ヴィルヘルムカール・フィリップが息子のないまま死去して、ヴォルフガング・ヴィルヘルムの家系は断絶、公位はアウグストの家系の傍系の生まれであるカール・フィリップ・テオドールへ受け継がれた。カール・フィリップ・テオドールはプファルツ選帝侯位、さらにはバイエルン選帝侯をも継承したが、子供がいなかったため、遠縁(最初の妻である従姉エリーザベト・アウグステの甥で、フィリップ・ルートヴィヒの末弟の子孫)のマクシミリアン・ヨーゼフへ選帝侯位と共に受け継がれた。マクシミリアン・ヨーゼフは1806年バイエルン王に即位した後、1808年には公式にプファルツ=ノイブルク公位を廃止し、王位に統合した。

歴代君主

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公領内の町

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公領は多くの飛地で構成され、時代によりその領域も異なるが、おおよそ以下の7つの地域に分けることができる。

ノイブルク周辺

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オーバーバイエルン (OB)、シュヴァーヴェン (S)、ミッテルフランケン (MF) にまたがる地域。

ドナウヴェルトの西

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ドナウヴェルトの西方(ドナウ川上流方面)に位置する地域。いずれもシュヴァーヴェンディリンゲン・アン・デア・ドナウ郡に属する。

レーゲンスブルクの北

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レーゲンスブルクの北方。オーバープファルツのレーゲンスブルク郡シュヴァンドルフ郡ノイマルクト・イン・デア・オーバープファルツ郡アンベルク=ズルツバッハ郡、ニーダーバイエルンのケールハイム郡にまたがる地域。

ニュルンベルクの南

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ニュルンベルクの南方に位置する地域。いずれもミッテルフランケンロート郡に属する。

ズルツバッハ周辺

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ニュルンベルクの東方、ズルツバッハ周辺の地域。いずれもオーバープファルツアンベルク=ズルツバッハ郡に属する。

ヴァイデン周辺

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郡独立市のヴァイデン以外は、オーバープファルツノイシュタット・アン・デア・ヴァルトナープ郡に属する。

パッサウの北西

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パッサウの北西に位置する地域。ニーダーバイエルンデッゲンドルフ郡フライウング=グラーフェナウ郡にまたがる。

関連項目

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外部リンク

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