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プナタラン・サシ寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プナタラン・サシ寺院
Pura Penataran Sasih
割れ門英語版入口
基本情報
所在地 ペジェンインドネシア語版
座標 南緯8度30分49.8秒 東経115度17分36.7秒 / 南緯8.513833度 東経115.293528度 / -8.513833; 115.293528座標: 南緯8度30分49.8秒 東経115度17分36.7秒 / 南緯8.513833度 東経115.293528度 / -8.513833; 115.293528
宗教 ヒンドゥー教
地区 ギャニャール県タンパクシリン郡インドネシア語版
バリ州
インドネシアの旗 インドネシア
完成 不明(1266年[1]
正面 西
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プナタラン・サシ寺院(プナタラン・サシじいん、Pura Penataran Sasih)は、インドネシアバリ州バリ島ギャニャール県タンパクシリン郡インドネシア語版の村ペジェンインドネシア語版にある[2]、バリ・ヒンドゥー教寺院(プラ英語版、pura[3])である。ウブドの東[4]海抜207メートルの場所に位置する[2]。ペジェンの村はかつてバリ王国英語版の中心であったと考えられ[5]、プナタラン・サシ寺院は、西暦1293-1343年にかけて、ペジェンにおける国家的寺院の役割を果たしたといわれる[6][7]

プナタラン・サシ寺院の境内には、「ペジェンの月」として知られる[7][8]巨大な銅鼓(ペジェン鼓[9]: Nekara Pejeng[2]〉)があり、プナタラン・サシ寺院とともに[10]インドネシアの文化遺産英語版 (Cagar Budaya) に登録されている[11]。寺院名のサシ (Sasih) は、バリ語で「月」の意であり、この「ペジェンの月」に由来する[2]

構成

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現代のクロノグラム
(割れ門の入口前)

クロノグラム

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寺院の西側には割れ門英語版(チャンディ・ブンタール、Candi bentar)があり[12]、その入口に見られるクロノグラム(「太陽と月と2体のゾウ」)においては、西暦1266年サカ暦1188年)が示されている。しかし、これは現代に形成されたものであり、確かな創建年代を得るものではない[13]

「ペジェンの月」

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「ペジェンの月」を祀るプリンギー・ラトゥ・サシ

プナタラン・サシ寺院にあるいくつかのプリンギー (Pelinggih) の祠のうち、「ペジェンの月」を祀る構造物は、プリンギー・ラトゥ・サシ (Pelinggih Ratu Sasih) と呼ばれている。方形の3層からなり、2層目および「ペジェンの月」を祀った内側の3層目の支柱により、シュロの繊維を用いた屋根を保持する[14]

「ペジェンの月」(: Bulan Pejeng[2]: Moon of Pejeng〈「月の輪」[15]〉)と称されるこのペジェン鼓は、1705年、インドネシアにおいて初めて発見された銅鼓 (Nekara) である。また、これは最大の銅鼓でもあり、高さ1.86メートル (1.98m[15])、鼓面直径1.6メートルで、細長い[15]太鼓」のような形をしている[2]東南アジア初期のドンソン文化の影響によるもので、紀元前3世紀頃のものともいわれる[4]2020年3月31日、インドネシアの文化遺産 (Cagar Budaya) に登録された[11]

伝説

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地元のある伝説によれば、天空に13個あった月のうちの1つが、ペジェンの森に落ちてヤシの木に掛かり、昼夜を問わず周囲を照らした。その月の明るさに困った泥棒が木に登り、輝きつづける月に放尿すると、月は爆発して光を失い地面に落下した。それが「ペジェンの月」であるといわれる[2][16]。また一方で、この銅鼓は、バリの伝説的巨人クボ・イオインドネシア語版 (Kebo Iwa) の耳飾りであったという伝承も今に認められる[4]

他の主な構造物

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プナタラン・サシ寺院の境内
中央右: ガネーシャパドマサナ英語版

プナタラン・サシ寺院は、面積3,770平方メートルを占めており[17]、その境内において、バリの寺院に一般的に認められる多くの基本的な構成要素が見られる。

クルクル塔英語版
クルクル塔 (Bale kulkul) は、バリの寺院に備えられるもので、儀礼の開始などを伝える鐘楼のような機能を持つ[18]煉瓦砂岩による方形の3層からなる構造物であるが、銅鼓の「ペジェンの月」を祀ったプリンギーの祠とは異なり、3層目には2つの木鼓 (kulkul) が吊されている[19]
パドマサナ英語版
パドマサナ (Padmasana) は、方形の基部より上に向けて狭くなる[17]石造りの祭壇を称し[18]、上部に背もたれを備えた座面(パドマサナ、Padmasana〈padma-asana〉)がある[17]
ワンティラン英語版
ワンティラン (Wantilan) は、長方形の平屋建ての構造物であり、宗教的儀礼のほか、地元の催事の場所などとしても使用される[20]
バレ・ゴン
バレ・ゴン (Bale Gong) は、式典において演奏されるガムラン楽器を保管する、長方形の平屋建ての建物である[20]

脚注

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  1. ^ Maganjeet Kaur; Mariana Isa (2020). Between the Bay of Bengal and the Java Sea. Marshall Cavendish. p. 222. https://books.google.co.jp/books?id=CNfbDwAAQBAJ&pg=PA222&dq=1266+Pejeng&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwinkajSoJLrAhWQc3AKHau3BokQ6AEwAHoECAUQAg#v=onepage&q&f=false 2020年8月12日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g artanegara (2019年2月18日). “Pura Penataran Sasih” (インドネシア語). Indonesiana Platform Kebudayaan. Balai Pelestarian Cagar Budaya Jawa Tengah, Direktorat Jenderal Kebudayaan. 2020年8月10日閲覧。
  3. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、381頁
  4. ^ a b c 『バリ島ウブド』 (2009)、82頁
  5. ^ PROFIL WILAYAH DESA” (インドネシア語). Desa Pejeng. 2020年8月10日閲覧。
  6. ^ Robert Pringle (2004). A Short History of Bali: Indonesia's Hindu Realm. Allen & Unwin 
  7. ^ a b Michael D. Gunther. “Pura Penataran Sasih”. Old Stones: The Monuments of Art History. 2020年8月10日閲覧。
  8. ^ Michael D. Gunther. “The Moon Of Pejeng”. Old Stones: The Monuments of Art History. 2020年8月10日閲覧。
  9. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、252頁
  10. ^ PURA PENATARAN SASIH” (インドネシア語). Sistem Registrasi Nasional CAGAR BUDAYA. Direktorat Pelindungan Kebudayaan. 2020年8月10日閲覧。
  11. ^ a b NEKARA (BULAN PEJENG)” (インドネシア語). Sistem Registrasi Nasional CAGAR BUDAYA. Direktorat Pelindungan Kebudayaan. 2020年8月10日閲覧。
  12. ^ UIN Alauddin (2019), p. 85
  13. ^ Michael D. Gunther. “Chronogram Date”. Old Stones: The Monuments of Art History. 2020年8月10日閲覧。
  14. ^ UIN Alauddin (2019), p. 87
  15. ^ a b c 坂井隆、西村正雄、新田栄治『東南アジアの考古学』同成社〈世界の考古学⑧〉、1998年、194頁。ISBN 4-88621-158-5 
  16. ^ 『バリ島ウブド』 (2009)、83頁
  17. ^ a b c UIN Alauddin (2019), p. 88
  18. ^ a b 『バリ島ウブド』 (2009)、125頁
  19. ^ UIN Alauddin (2019), pp. 85-86
  20. ^ a b UIN Alauddin (2019), p. 86

参考文献

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関連項目

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