ブルースカイ (ナイトクラブ)
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ブルースカイは、かつて神奈川県横浜市中区山下町にあったナイトクラブ。1950年代から1960年代にかけて、ナイトアンドデイ、クリフサイドと並んで横浜を代表する大規模なナイトクラブであった[1]。
当時の横浜は、在日米軍の施設が多かったことから、ジャズ文化が根付いており、若者たちはブルースカイをはじめとするナイトクラブで踊ることが多かったという[2]。
1959年8月31日には、美空ひばりの弟である小野透(後のかとう哲也)の後援会発会式の席で、出席していた田岡一雄に絡んだブルースカイ事件が起きた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b 大橋巨泉. “古き良き時代のヨコハマ”. 横濱JAZZプロムナード実行委員会事務局. 2015年10月7日閲覧。
- ^ 猪上杉子 (2013年2月25日). “横濱JAZZ PROMENADE”. 2015年10月7日閲覧。 “私の世代の横浜の若者達は、ナイトクラブで遊んだものでした。“ナイトアンドデイ”、“ブルースカイ”、“クリフサイド”、“ゼブラクラブ”といったナイトクラブに行くと、レイモンド・コンデだとか南里文雄率いるホット・ペッパーズ、秋吉敏子なんかが演奏していて、座って聞くだけではなく踊りまくったものでした。もともと横浜には戦後に(アメリカの)進駐軍が真っ先に入ってきたので、ジャズの土壌が作られていました。関内地区、山下公園、横浜公園、本牧、山手、港湾施設などには米軍施設が建てられて、ジャズをやるクラブもあちこちにあったんです。”:猪上杉子による鶴岡博へのインタビュー
- ^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房〈だいわ文庫〉、2006年、210頁。ISBN 978-4-479-30027-4。