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ブラックヒースFC

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブラックヒースFC
正式名称 Blackheath Football Club
ユニオン ケントRFUミドルセックスRFU
愛称 Club
創設年 1858年
本拠地 イングランドの旗 ロンドングリニッジ区エルタム英語版ウェル・ホール英語版
グラウンド Well Hall
収容人数 1,650 (550 seats)
会長 Alan Thompson
ヘッドコーチ James Shanahan
主将 Markus Burcham
所属リーグ ナショナルリーグ2ノース
2021-22 14th(ナショナルリーグ1・降格)
ファースト
ジャージ
公式サイト
blackheathrugby.co.uk
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ブラックヒース・フットボールクラブ: Blackheath Football Club)は、イングランドロンドン南東部エルタムウェル・ホールを本拠地とするラグビーユニオンクラブである。

概要

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1858年に創設。クラブは1862年にオープンになって以来、世界最古のオープンなラグビークラブである。この文脈における「オープン」は、会員の身分が、特定の機関(例えば、学校・大学・病院など)に在籍しているか、あるいは過去に在籍した者にだけではなく、誰にでも開かれていることを意味する。また、ダブリン大学フットボールクラブエディンバラ・アカデミカル・フットボールクラブに次いで世界で3番目に古い、途切れなく存在してきたラグビークラブでもある[要出典]。ブラックヒース・クラブはイングランドスコットランドとの間で1871年3月27日にエディンバラで行われた世界初のラグビー国際試合の企画を支援した。その10年後にはイングランドウェールズとの間の初の国際試合を開催した。ブラックヒースは、シビル・サービスFC英語版と共に、フットボール協会ラグビーフットボール協会の両方の創設メンバーであると主張することができる2つのクラブの1つである。

クラブは現在、ロンドン南東部のウェル・ホールでプレーしている。2015-16シーズンの終了時まではブラックヒース英語版にあるレクトリー・フィールドでプレーしていた。

歴史

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初期史

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クラブは、ラグビー校によって人気となった「キャリング(ボールを持って走ること)」が許されるフットボール競技をプレーしたブラックヒース・プロプライエタリ・スクール英語版のOBによって1858年に「ブラックヒース・フットボールクラブ」として設立された。このOBらが在学生と対戦した時、応援者らはそれぞれ「Club」あるいは「School」と叫んで応援した。これが、今日のクラブのサポーターが応援する際に「Blackheath」ではなく「Club」と叫ぶ理由である。

1863年、クラブは単独での突破および「キック・アンド・フォローアップ」の代替戦術として、ボールを選手から選手へとパスする戦術を開発した。

ブラックヒースは、「フットボール」の名を冠した様々な競技の最良で最も受け入れ可能な点を包含する競技規則の枠組みを作るために1863年10月26日にロンドンのフリーメーソンズ・タバーン英語版にて結成されたフットボール協会(FA)の創設メンバーである。ブラックヒースのメンバーのフランシス・モール・キャンベル英語版が出納係に選出された。第5回の会合で、キャンベルは、ハッキングは「フットボール」の必須要素であり、ハッキングの除外は「ゲームでの勇気も気力もすべて追い払うでしょうし、私は多くのフランス人を連れてきて、1週間の練習であなた方を打ち負かすでしょう[1]」と主張した[2]。12月8日の第6回の会合で、キャンベルは、FAが採用しようとしている規則は競技とそれに対する全ての興味を破壊するだろう、と説明してブラックヒースをFAから脱退させた。その他のラグビークラブはこれに続き、フットボール協会に加盟しなかった。このようにして、サッカーとラグビーとの間の大いなる分断が起こった。

1870年12月、リッチモンド・フットボールクラブの主事Edwin Ashが新聞に「ラグビー型のゲームをプレーするものたちは、様々なクラブが他と異なる規則を使ってプレーしており、これがゲームのプレーを困難にしているため、実施規則を作るために集まるべきである」と提案する書簡を発表した。1871年1月26日、22クラブの代表が出席した会合がロンドンのポール・モール・レストラン英語版で開かれた。この会合の結果として、ラグビーフットボール協会(RFU)が設立された。ラグビー校の卒業生の3人の弁護士が最初の競技規則を起草し、1871年1月に承認された。ブラックヒースは22の創設クラブの中で今日まで存続している7つのクラブの1つである。

その後の歴史

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ブラックヒースは当初ブラックヒースにあるザ・ヒースで試合をプレーしており、1883年にレクトリー・フィールドに移った。

1871年3月27日、イングランド(ブラックヒースのキャプテンがキャプテンを務め、その他3人のクラブの選手が含まれた)がエディンバラにあるレイバーン・プレースでスコットランドと対戦し、1点差で敗れた。これが歴史上初のラグビーユニオンの国際試合であった。リチャードソンズ・フィールドで1881年2月19日にイングランド対ウェールズの初めての対戦が行われた(イングランドの勝利)。この試合にはイングランド代表としてブラックヒースの選手が4人参加した。

ブラックヒースはオリジナル・オールブラックスの1905-06北半球遠征(史上初のニュージーランドラグビーユニオンのオーストララシア外への遠征)の対戦相手となったチームの1つである。結果は32対0でオールブラックスが勝利した。

1982年、ブラックヒースはダベンポートRUFC英語版が主催したグレンガース・セブンズ英語版で優勝した。

レクトリー・フィールドにホームグラウンドを移して158年後、入場料収入を最大化し、将来のための発展を続けるため、2016-17シーズンから練習用グラウンドとして使用していたエルタムにあるウェル・ホールへ移転することを決断した[3][4]。ブラックヒースは2016年4月30日にレクトリー・フィールドでの最終試合をブレイドンとプレーし、45対17で勝利した[5]

タイトル

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歴代所属選手

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架空の選手

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出典

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  1. ^ 青沼 裕之「フットボール協会(FA)結成と FA 規則制定の意図はどこにあったのか?:1863年 FA 会議の審議過程の分析」『体育学研究』第59巻第2号、2014年、869–885頁、doi:10.5432/jjpehss.13077 
  2. ^ Richard Holt,Sport and the British: A Modern History, Oxford University Press, 1990 ISBN 0-19-285229-9, p. 86
  3. ^ BFC Executive Statement 9.12.15”. Blackheath Rugby (9 December 2015). 2016年5月1日閲覧。
  4. ^ Blackheath to leave the Rectory Field”. Rolling Maul (10 December 2015). 2016年5月1日閲覧。
  5. ^ The Big Match: Blackheath v Blaydon”. Blackheath Rugby (29 April 2016). 2016年5月1日閲覧。
  6. ^ Archived copy”. 21 May 2014時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月21日閲覧。
  7. ^ a b Steve Lewis, One Among Equals, 2008, pp9-10 (Vertical Editions:London)

関連項目

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外部リンク

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