ブラジルへの郷愁
舞踊組曲『ブラジルへの郷愁』(Saudades do Brasil: Suite de danses) 作品67は、ダリウス・ミヨーが1920年に作曲した、12曲から成るピアノの小品集である。翌1921年、作曲者自身の手によって管弦楽編曲も行われた(ピアノ版には存在しない「序曲」が加えられている)。1922年出版。
表題は『ブラジルの郷愁』、『ブラジルの思い出』とも訳される[1]。
ブラジル滞在(1917年2月 - 1918年11月)
[編集]第一次世界大戦に際して、ミヨーは健康上の理由から従軍することができなかったため、代わりにベルギーの難民を援助する仕事を見つけた。その後、外務省の宣伝部で働くようになるが、1917年からブラジル公使に任命されたポール・クローデルがミヨーを随行員に任命し、共にブラジルへ向かった。
1917年1月はじめ,ミヨーたちはリスボンから出航し、2月にリオ・デ・ジャネイロに到着した。クローデルの補佐をする傍ら、ミヨーはブラジルの大衆音楽に触れ、とりわけそのリズムが以降の創作に影響を与えることとなる。また、赤十字を支援するためのコンサートやレクチャーを企画したり、リオ・デ・ジャネイロを訪れたエルネスト・アンセルメやアルトゥール・ルービンシュタイン、ヴァーツラフ・ニジンスキーおよびバレエ・リュスとの交流を持つなど、西洋芸術音楽界との交流も持ち続けた。
その後、ミヨーは1918年11月23日にブラジルを離れ、西インド諸島とニューヨークを経由して、1919年2月14日にパリへ帰還した。
その後、1920年に滞在先のコペンハーゲンでミヨーは本曲を完成させる。初演は同年11月にパリのギャラリー・モンテーニュにおける六人組演奏会にてニニーニャ・ヴェロソ=グエラ(Nininha Velloso-Guerra)により行われた[1]。
概要
[編集]ポルトガル語の「サウダーヂ」(saudade)という単語は「熱望」「切望」「憧れ」「郷愁」「恋しく思う気持ち」といった意味合いを持っており、ミヨーのブラジルに対する強い想いが表れていると考えられる。
エルネスト・ナザレーなどのブラジリアン・ダンゴやマシーシェの影響を受けており、全曲を通して4分の2拍子で多くがシンコペーションを伴う舞曲だが、旋律はミヨー自身によるオリジナルである[1]。ミヨーがしばしば用いた多調による作品である。総演奏時間は約24分。
- Sorocaba (dedicated to Madame Regis de Oliveira)
- Botafogo (dedicated to Oswald Guerra)
- Leme (dedicated to Nininha Velloso-Guerra)
- Copacabana (dedicated to Godofredo Leão Velloso)
- Ipanema (dedicated to Arthur Rubinstein)
- Gávea (dedicated to Madame Henrique Oswald)
- Corcovado (dedicated to Madame Henri Hoppenot)
- Tijuca (dedicated to Ricardo Viñes)
- Sumaré (dedicated to Henri Hoppenot)
- Paineiras (dedicated to La Baronne Frachon)
- Laranjeiras (dedicated to Audrey Parr)
- Paysandu (dedicated to Paul Claudel)
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c ミヨー:ブラジルの郷愁 Op.67、PTNA