ブラウンロー男爵
ブラウンロー男爵 Baron Brownlow | |
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創設時期 | 1776年5月20日 |
創設者 | ジョージ3世 |
貴族 | グレートブリテン貴族 |
初代 | 初代男爵ブラウンロー・カスト |
現所有者 | 8代男爵ペレグリン・カスト |
推定相続人 | なし |
付随称号 | (ピンシュベックの)準男爵 |
邸宅 | ベルトン・ハウス |
モットー | そう見られるよりも そうであれ (Esse Quam Videri ) |
ブラウンロー男爵(英: Baron Brownlow)は、イギリスの男爵、貴族、グレートブリテン貴族爵位。ジョン・カスト庶民院議長の死後、その息子ブラウンロー・カストが父の功績で1776年に叙されたことに始まる。
歴史
[編集]カスト家は14世紀にはリンカーンシャー・ピンシュベック村に地所を有していたとされる[1]。その子孫のリチャード・カストの代に、カスト家はさらにスタンフォードにも土地を購入している[1]。そのリチャードはリンカーンシャー選挙区、スタンフォード選挙区から立候補して庶民院議員を務めた。1677年にイングランド準男爵位の「(リンカーン州スタンフォードの)準男爵(Baronet, of Stamford in the County of Lincoln)」を与えられた[2][3]。
3代準男爵ジョンも曾祖父にならって国政に加わり、庶民院議員(グランサム選挙区)に就いた。1761年に全会一致で庶民院議長に選出され、1770年まで務めた[4]。ジョンが議長の激務にたおれて死去すると、その息子ブラウンローが父の功績から叙爵される運びとなる[4]。
すなわち、ブラウンローは1776年5月20日にグレートブリテン貴族として「リンカーン州ベルトンのブラウンロー男爵(Baron Brownlow, of Belton in the County of Lincoln)[注釈 1]」に叙せられた[3][6]。
なお、初代男爵の六男エドワード・カストが1876年に連合王国準男爵位「(リーソウ城の)準男爵」を与えられており[7]、分家の準男爵家が誕生している。
一方、本家のジョン・カスト(初代男爵の息子)はさらに高みを目指して、1815年にリバプール首相に昇叙を申請して成功した。同年11月17日、連合王国貴族の「ブラウンロー伯爵(Earl Brownlow)」、「リンカーン州アルフォードのアルフォード子爵(Viscount Alford, of Alford in the County of Lincoln)」に叙された[3]。しかし、初代伯は息子に先立たれており、孫ジョン・ウィリアムが爵位を継いだ。その2代伯ジョン・ウィリアム、弟の3代伯アデルバートにも子がなく、ブラウンロー伯爵位、アルフォード子爵位は廃絶した。残るブラウンロー男爵位は、遠縁にして同名のアデルバート(5代男爵)が相続した[6]。
その曾孫の8代男爵が男爵家現当主である。ただし、8代男爵にも男子がないため、ブラウンロー男爵位は近い将来廃絶する可能性が高い爵位である。
一族の邸宅は、ベルトン・ハウス。男爵家の紋章に刻まれるモットーは、『そう見られるよりもそうであれ』[3][6]。
現当主の保有爵位・準男爵位
[編集]現当主の第8代ブラウンロー男爵ペレグリン・カストは、以下の爵位・準男爵位を有する。
- 第7代リンカーン州ベルトンのブラウンロー男爵(7th Baron Brownlow, of Belton in the County of Lincoln)
(1776年5月20日の勅許状によるグレートブリテン貴族爵位) - 第10代(リンカーン州スタンフォードの)準男爵(10th Baronet, of Stamford in the County of Lincoln)
(1677年9月29日の勅許状によるイングランド準男爵位)
一覧
[編集](スタンフォードの)準男爵(1677年)
[編集]- 初代準男爵サー・リチャード・カスト (1622–1700)
- 第2代準男爵サー・リチャード・カスト (1680–1734)
- 第3代準男爵サー・ジョン・カスト (1718–1770)
- 第4代準男爵サー・ブラウンロー・カスト (1744–1807) (1776年にブラウンロー男爵叙爵)
ブラウンロー男爵(1776年)
[編集]- 初代ブラウンロー男爵ブラウンロー・カスト (1744–1807)
- 第2代ブラウンロー男爵ジョン・カスト (1779–1853) (1815年にブラウンロー伯爵叙爵)
ブラウンロー伯爵(1815年)
[編集]- 初代ブラウンロー伯爵ジョン・カスト (1779–1853)
- アルフォード子爵ジョン・ヒューム・エジャートン (1812–1851)
- 第2代ブラウンロー伯爵ジョン・エジャートン=カスト (1842–1867)
- 第3代ブラウンロー伯爵アデルバート・ウェリントン・ブラウンロー・ヒューム=カスト (1844–1921)
ブラウンロー男爵(1776年・継続)
[編集]- 第5代ブラウンロー男爵アデルバート・ソールズベリー・コケイン・カスト (1867–1927)
- 第6代ブラウンロー男爵ペレグリン・フランシス・アデルバート・カスト (1899–1978)
- 第7代ブラウンロー男爵エドワード・ジョン・ペレグリン・カスト (1936–2021)
- 第8代ブラウンロー男爵ペレグリン・エドワード・クィンティン・カスト (1974- )
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 爵位名の由来となった「ブラウンロー家」については、亡き父ジョンは母方のアイルランド貴族(ティアコネル子爵ブラウンロー家)からベルトン土地・財産を相続しており[3][5]、カスト家と同家には縁があった。
出典
[編集]- ^ a b Watson, Paula (1964). "CUST, Sir Richard, 1st Bt. (1622-1700), of The Black Friars, Stamford, Lincs.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2024年5月20日閲覧。
- ^ Cokayne, George E. (George Edward) (1900). Complete baronetage. 2. Getty Research Institute. Exeter : W. Pollard & co., ltd.. p. 90
- ^ a b c d e Arthur G.M. Hesilrige (1921). 『Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc』. Wellesley College Library. London, Dean. pp. 144-145
- ^ a b Barker, George Fisher Russell (1888). Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 13. London: Smith, Elder & Co. pp. 356–357. . In
- ^ Cokayne, George Edward, ed. (1902). The Complete Baronetage (1625–1649) (英語). Vol. 2. Exeter: William Pollard & Co. p. 112.
- ^ a b c “Brownlow, Baron (GB, 1776)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2024年5月20日閲覧。
- ^ "No. 24299". The London Gazette (英語). 25 February 1876. p. 884.