ブライアン・チン
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2013年のチン | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Brian Ching | |||||
中国語 | 程拜仁 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1978年5月24日(46歳) | |||||
出身地 | ハレイワ | |||||
身長 | 185cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
ユース | ||||||
1995-1996 | カメハメハ・スクール カパーラマ校 | |||||
1996 | ホノルル・ブルズ | |||||
1996-2000 | ゴンザガ・ブルドッグス | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-1999 | スポケーン・シャドウ | 32 | (21) | |||
2001 | ロサンゼルス・ギャラクシー | 8 | (1) | |||
2001 | → シアトル・サウンダーズ (USL) (loan) | 6 | (3) | |||
2002 | シアトル・サウンダーズ (USL) | 25 | (16) | |||
2003-2005 | サンノゼ・アースクエイクス | 56 | (25) | |||
2006-2013 | ヒューストン・ダイナモ | 169 | (56) | |||
1998-2013 | 通算 | 296 | (122) | |||
代表歴2 | ||||||
2003-2010 | アメリカ合衆国 | 45 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
2013 | ヒューストン・ダイナモ (アシスタント) | |||||
2013- | ヒューストン・ダッシュ (ディレクター) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2014年10月21日現在。 2. 2014年10月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブライアン・チン(Brian Ching, 中国語:程拜仁、1978年5月24日 - )はアメリカ・ハワイ生まれの中国系アメリカ人の元サッカー選手、現サッカー指導者。元アメリカ代表。
経歴
[編集]クラブ
[編集]地元ハワイの高校を卒業後、ワシントン州のゴンザガ大学に進学。大学では1998年と1999年の2年間で34ゴール、23アシストを記録。また同時期にプレミア・デベロップメント・リーグ(4部相当)のスポーケン・シャドウでもプレーしている。
2001年、ドラフトを経てMLSのロサンゼルス・ギャラクシーに入団し、初のハワイ出身MLSプレイヤーとなる。初年度に8試合に出場し1ゴールを決める。その後2部に相当するユナイテッド・サッカー・リーグのシアトル・サウンダーズ(シアトル・サウンダーズFCとは別クラブ)にレンタルされ、後に同クラブに移籍している。
2003年2月、MLSの追加ドラフトを経て、サンノゼ・アースクエイクスに入団する。チンは夏に怪我をしてチームを離脱するが、チームはその年MLSカップを制覇する。2004年には12ゴールでMLSの得点王、そしてMLSベストイレブンとカムバック賞を獲得する。2005年、サンノゼ・アースクエイクスがテキサス州ヒューストンに移転してヒューストン・ダイナモになるのに当たり、チンも他の選手、スタッフ同様にヒューストン・ダイナモに移籍する。2006年、チームは移転1年目でMLSカップを制覇してチンはMLSカップのMVPに選ばれる。選手兼任コーチを務めた2013年に現役を引退した。
2013年12月23日、NWSLに新規参入するヒューストン・ダッシュのマネージング・ディレクターに就任した[1]。
代表
[編集]2003年5月26日のウェールズ戦でアメリカ代表としてデビューを飾る。アメリカ代表初のハワイ出身、史上二人目の中国系アメリカ人のプレイヤーとなる。その後、実績を重ねて、2006年のドイツワールドカップのメンバーにも選ばれるが出番はなかった。 2009年のCONCACAFゴールドカップでは多くの試合でスタメンとして出場した。
代表歴
[編集]- アメリカ代表 2003年-
- 2006年 2006 FIFAワールドカップ(グループリーグ敗退)
- 2007年 2007 CONCACAFゴールドカップ(優勝)
- 2009年 2009 CONCACAFゴールドカップ(準優勝)
脚注
[編集]- ^ Brian Ching named Houston Dash managing director ヒューストン・ダッシュ公式ウェブサイト 2013年12月23日付