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ブエノスアイレス国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブエノスアイレス国
Estado de Buenos Aires
アルゼンチン連合 1852年 - 1861年 アルゼンチン
ブエノスアイレスの国旗 ブエノスアイレスの国章
国旗国章
ブエノスアイレスの位置
1852年のブエノスアイレス国
公用語 スペイン語
首都 ブエノスアイレス
知事
1852年9月11日 - 10月31日 マヌエル・ギジェルモ・ピント英語版
1852年10月31日 - 12月7日ヴァレンティン・アルシナ英語版
1852年 - 1853年マヌエル・ギジェルモ・ピント
1853年 - 1858年パストール・オブリガド英語版
1858年 - 1859年ヴァレンティン・アルシナ
1859年 - 1860年フェリペ・ラバロール英語版
1860年 - 1861年バルトロメ・ミトレ英語版
人口
1855年248,498人
変遷
革命 1852年9月11日
憲法制定1854年4月12日
国内初の鉄道開通1857年8月30日
セペダの戦い1859年10月23日
パボンの戦い1861年9月17日
アルゼンチン共和国設立1861年12月12日
通貨アルゼンチン・ペソ・モネダ・コリエンテ英語版
現在アルゼンチンの旗 アルゼンチン
代議員たちが1854年のブエノスアイレス憲法に忠誠を誓う様子

ブエノスアイレス国(ブエノスアイレスこく、スペイン語: Estado de Buenos Aires)は、1852年アルゼンチン連合政府が打倒されて誕生し、短期間存在した国家である。

ブエノスアイレス国は基本的に国家承認されていなかったが、独自の政府と憲法の下で独立を維持した。尚、1855年パラグアイはアルゼンチン連合会議に国境条約の批准を拒否された為に、ブエノスアイレス国と国交を樹立している[1]1861年パボンの戦い英語版でアルゼンチン連合が勝利し、再びアルゼンチンの一部となった。

歴史的概要

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脚注

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  1. ^ Doratioto, Francisco (2008) (Spanish). Maldita Guerra (3rd ed.). Buenos Aires: emecé argentina , p.28.

参考文献

[編集]

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