ブイヌイ (ロシア駆逐艦)
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艦歴 | |
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起工: | |
進水: | 1901年8月11日 |
竣工: | |
就役: | 1902年7月28日 |
喪失: | 1905年5月28日 |
要目 | |
排水量: | 440トン |
全長: | 64.1m |
全幅: | 6.4m |
喫水: | 2.82m |
機関: | 2気筒3段膨張レシプロ2基 ヤーロー缶4基 2軸推進、5,700馬力 |
速力: | 26.7ノット |
航続距離: | 1200海里 |
乗員: | 士官4名、乗員62名 |
兵装: | 50口径75mm単装砲1基 35口径47mm単装砲5基 381mm水上魚雷発射管3門 |
ブイヌイ(Буйный)はロシア海軍の駆逐艦(ロシア側の分類上では水雷艇)。ブイヌイ級の1番艦。1901年に建造され、1905年の日本海海戦で失われた。
艦歴
[編集]1902年に竣工し、バルト海に配備された。1904年8月29日に第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)へと編入され、クロンシュタットを出港している。日本海海戦においては、第1駆逐艦隊の一艦として日本海軍と海戦を行なっている。
海戦においては、戦闘行動のほか救援活動に尽力し、沈没した戦艦「オスリャービャ」からの乗員救助を行い、ほぼ行動不能となった「クニャージ・スヴォーロフ」からジノヴィー・ペトロヴィチ・ロジェストヴェンスキー司令長官とその幕僚らを救出した。その後ウラジオストクに向けて航行したが機関の損傷が激しく5月28日朝になって放棄されることになった。ロジェストヴェンスキーらは「ベドーヴイ」へ、本艦や「オスリャービャ」の乗員は「ドミトリー・ドンスコイ」へ移乗し、「ドミトリー・ドンスコイ」の砲撃によって鬱陵島南方海上で撃沈処分された。
参考文献
[編集]- «Невки». Эскадренные миноносцы типа «Буйный» и его модификации; Афонин, Н.Н. - Изд-во: СПб: ЛеКо, 2005 г.; ISBN 5-902236-19-3
- Александровский Г. Б. Цусимский бой. — Нью-Йорк: Rossiya Publishing Company, Inc., 1956.