フーベン (チロル州)
フーベン Huben | |
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フーベンの教会(2015年) | |
北緯47度2分36秒 東経10度58分11秒 / 北緯47.04333度 東経10.96972度 | |
国 | オーストリア |
州 | チロル州 |
郡 | イムスト郡 |
基礎自治体 | レンゲンフェルト |
面積 | |
• 合計 | 466.9 km2 |
標高 | 1,189 m |
人口 (2011年10月31日) | |
• 合計 | 1,235人 |
• 密度 | 2.6人/km2 |
市外局番 | 05253 |
ナンバープレート | IM |
統計区 | フーベン・グリース(70208 001) |
フーベン(Huben)は、オーストリア共和国チロル州イムスト郡にある村落。行政上は基礎自治体・レンゲンフェルトの一部であり、2011年時点の人口は1,235人である[1]。
地理
[編集]村は海抜1189 mのところにあり、エッツタールの谷を開くレンゲンフェルト盆地の南端、エッツタール川の左岸に位置する。レンゲンフェルト中心部の南にあり、フーベンを起点とするトレッキングコースがある[2]。トレッキングのほか、ハイキング、マウンテンバイク、登山、乗馬、ラフティングなどもできる[3]。スキーリゾートのゼルデンまでは自動車で数分の距離である[3]。
フーベンはアストレーン(Astlehn)、ルンホフ(Runhof)という村落、アッシュバッハ(Aschbach)、ゴットシュグート(Gottsgut)、ミュール(Mühl)、ヴィンクレ(Winkle)というハムレット、ブルッゲン(Bruggen)、ブルクスタイン(Burgstein)、ブラント(Brand)という小集落のほか、アルメレン牧場、2軒のアルペンガストホーフ、避難所、いくつかの牧草地がある。
歴史
[編集]フーベンという地名は、家族を養う農場である、フーベ(Hube)に由来すると見られ、1317年にその名が記録されている[4]。
谷底に位置するため、フーベンはたびたびエッツタール川の氾濫被害を受けてきた。エッツタール川は、本来は谷の西縁を流れ、当時のフーベンは川の右岸に位置していた。1678年7月16日にロフェナー氷湖が決壊し、ほぼすべての住宅と教会が破壊された[5]。1868年には住宅2棟とチャペルが洪水で失われ、1877年には数度の落石で埋没し、ウィーンの中央政府は住民のハンガリーへの転居を進めようとした。しかし住民の抵抗により実現しなかった[4]。
エッツタール・フーベン教区教会(聖マーティン教会)は、1679年に再建され、1805/06年に人口増加のため拡張した[6]。1891年にフーベンは独立した教区に昇格した[4]。
脚注
[編集]- ^ Statistik Austria: Registerzählung vom 31. Oktober 2011 – Bevölkerung nach Ortschaften
- ^ 呉羽・吉沢・松村 2019, p. 7.
- ^ a b “Huben in Oetztal in Tyrol” (ドイツ語). oetztal.at marketing gmbh & cokg. 2021年8月22日閲覧。
- ^ a b c “Längenfeld”. Datenbank Geschichte Tirol des Vereines. 2021年8月22日閲覧。
- ^ Tirol Atlas: Naturchronik Tirol
- ^ Franckenstein, Wiesauer. “Pfarrkirche Hl. Martin”. Tiroler Kunstkataster. 2021年8月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 呉羽正昭・吉沢直・松村健太郎「オーストリアアルプスのエッツタールにおけるトレッキングルートの分析―トレッキング・ツーリズムの性格解明に向けて―」『筑波大学人文地理学研究』第39号、筑波大学大学院生命環境科学研究科地球環境科学専攻、2019年、1-18頁、NAID 120006622175。