フレデリック・ボック
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フレデリック・ボック Frederick Carl Bock | |
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生誕 |
1918年1月18日 ミシガン州 グリーンビル |
死没 | 2000年8月25日(82歳没) |
所属組織 |
アメリカ陸軍航空軍 アメリカ空軍 |
最終階級 | 空軍少佐 |
戦闘 |
第二次世界大戦 *長崎原爆投下作戦 |
フレデリック・カール・ボック(Frederick Carl Bock , 1918年1月18日 - 2000年8月25日)は、アメリカ合衆国空軍の軍人。最終階級は少佐。長崎市に原子爆弾を投下した作戦において観測機B-29グレート・アーティストを操縦した。
ミシガン州グリーンビル生まれ。1939年にシカゴ大学を卒業した後、哲学を専攻するために大学院に入った。その後、陸軍航空隊に入隊しパイロットとなった。1944年12月に第509混成部隊に配属となった。
長崎市への原子爆弾投下作戦においては、観測機を操縦することとなったが[1]、爆弾投下機を操縦することとなったチャールズ・スウィーニー少佐の通常の搭乗機であるB-29グレート・アーティストにすでに観測機材が取り付けられていたため、搭乗機を交換する形で、ボックがグレート・アーティストに搭乗し、ボックの名前から名付けられたB-29ボックスカーが原爆投下機として使用される事となった。
原爆投下作戦の成功により空軍殊勲十字章(Distinguished Flying Cross ) 、航空勲章(Air Medal )を受章。少佐に昇進した。
除隊後はシカゴ大学に戻り、遺伝学と数理統計学の博士号を取得した。
長崎市への原子爆弾投下作戦時に、グレート・アーティストに同乗したニューヨーク・タイムズ誌の記者ウィリアム・ローレンスからは、「無造作で落ち着き払っていた」と評されている。
参考文献
[編集]- チャールズ・W・スウィーニー 黒田剛訳 『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』 原書房 2000年7月 ISBN 4-562-03218-9
脚注
[編集]- ^ スウィーニー少佐の回想によると、スウィーニーが2回目の原子爆弾投下作戦のパイロットに指名された際に、観測機のパイロットにはボック大尉が良いと推薦したとしている。チャールズ・W・スウィーニー 黒田剛訳『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』 原書房 2000年7月 221頁