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フリードリヒ4世 (テューリンゲン方伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ4世
Friedrich IV.
テューリンゲン方伯
在位 1406年 - 1440年

出生 1384年11月30日以前
死去 1440年5月7日
テューリンゲン方伯領、ヴァイセンゼー、ルンネブルク城
配偶者 アンナ・フォン・シュヴァルツブルク=ブランケンブルク
家名 ヴェッティン家
父親 テューリンゲン方伯バルタザール
母親 マルガレータ・フォン・ニュルンベルク
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フリードリヒ4世(Friedrich IV., 1384年11月30日以前 - 1440年5月7日)は、テューリンゲン方伯(在位:1406年 - 1440年)。平和伯(der Friedfertige)、単純伯(der Einfältige)または若伯(der Jüngere)とよばれる。

生涯

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フリードリヒ4世はテューリンゲン方伯バルタザールの息子である。1407年にシュヴァルツブルク=ブランケンブルク伯ギュンター30世の娘アンナ(1431年没)と結婚した[1]。この結婚で子供は生まれなかった。

フリードリヒは妻やその親戚の影響力に大きく依存していた弱い統治者であったと考えられている[1]。贅沢な宮廷の資金を調達するため、称号や領地の売却を繰り返した[2]

1436年、フリードリヒはテューリンゲン方伯領からのユダヤ人の全面追放を命じた[1][2]

1440年に嗣子なく死去した後、テューリンゲン方伯領はザクセン選帝侯フリードリヒ2世がテューリンゲン方伯フリードリヒ5世として継承した。すでに何年も前に、フリードリヒは遠く離れたマイセンの領地も15,000ギルダーで売却していた[2]

脚注

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  1. ^ a b c Heinrich Theodor Flathe (1877). "Friedrich (IV.), der Einfältige oder Friedfertige, Landgraf von Thüringen". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 7. Leipzig: Duncker & Humblot. p. 567.
  2. ^ a b c 岡地、付録p. 55

参考文献

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外部リンク

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先代
バルタザール
テューリンゲン方伯
1406年 - 1440年
次代
フリードリヒ5世