フリードリヒ1世 (ヘッセン=ホンブルク方伯)
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フリードリヒ1世 Friedrich I. | |
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ヘッセン=ホンブルク方伯 | |
在位 | 1622年 - 1638年 |
出生 |
1585年3月5日 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ダルムシュタット方伯領、フィッシュバッハタール、リヒテンベルク城 |
死去 |
1638年5月9日(53歳没) 神聖ローマ帝国 ヘッセン=ホンブルク方伯領、バート・ホンブルク |
配偶者 | マルガレーテ・エリーザベト・フォン・ライニンゲン=ヴェスターブルク |
子女 | 本文参照 |
家名 | ヘッセン家 |
父親 | ヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク1世 |
母親 | マグダレーナ・ツール・リッペ |
フリードリヒ1世(ドイツ語:Friedrich I., 1585年3月5日 - 1638年5月9日)は、初代ヘッセン=ホンブルク方伯(在位:1622年 - 1638年)。ヘッセン=ホンブルク家の祖である。
生涯
[編集]フリードリヒ1世はヘッセン=ダルムシュタット方伯ゲオルク1世と、リッペ伯ベルンハルト8世の娘マグダレーナの末息子である。
ヘッセン=ダルムシュタットでは長子相続制が導入されていたため、フリードリヒには相続権がなかった。それにもかかわらず、フリードリヒは1622年に、ホンブルクの市と地域からなるアパナージュと[1]、一時金および年金を受け取った[2]。フリードリヒは君主とは見なされず、ヘッセン=ダルムシュタットの主権下に入った。1626年にフリードリヒはヘッセン=ホンブルクで長子相続を導入した[2]。
息子のフリードリヒ2世は、戯曲『ホンブルクの公子』で知られる。
子女
[編集]1622年8月1日にブッツバッハにおいてライニンゲン=ヴェスターブルク伯クリストフの娘マルガレーテ・エリーザベトと結婚し、以下の子女をもうけた。
- ルートヴィヒ・フィリップ(1623年 - 1643年)
- ゲオルク(1624年)
- ヴィルヘルム・クリストフ(1625年 - 1681年) - ヘッセン=ホンブルク方伯
- ゲオルク・クリスティアン(1626年 - 1677年) - ヘッセン=ホンブルク方伯
- アンナ・マルガレーテ(1629年 - 1686年) - 1650年にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=ヴィーゼンブルク公フィリップ・ルートヴィヒと結婚
- フリードリヒ2世(1633年 - 1708年) - ヘッセン=ホンブルク方伯、戯曲『ホンブルクの公子』で知られる。
脚注
[編集]- ^ Claudia Tietz: Johann Winckler (1642–1705) p. 114
- ^ a b Karl Wenzeslaus Rodecker von Rotteck: Staats-lexikon oder Encyclopädie der Staatswissenschaften p. 739
外部リンク
[編集]- Friedrich, in: Heinrich August Pierer, Julius Löbe (eds.): de:Universal-Lexikon der Gegenwart und Vergangenheit, fourth ed., vol. 6, pp. 722–740, Online at zeno.org
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