フランツィスカ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
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フランツィスカ Franziska | |
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ホーエンローエ=シリングスフュルスト家 | |
称号 | オーストリア大公妃 |
出生 |
1897年6月21日 オーストリア=ハンガリー帝国、テプリッツ |
死去 |
1989年6月12日(91歳没) オーストリア、ザルツブルク |
配偶者 | マクシミリアン・オイゲン・フォン・エスターライヒ |
子女 |
フェルディナント ハインリヒ |
父親 | コンラート・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト |
母親 | フランツィスカ・フォン・シェーンボルン=ブーフハイム |
フランツィスカ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト(Franziska zu Hohenlohe-Schillingsfürst, 1897年6月21日 - 1989年6月12日)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の皇族、オーストリア大公妃(Erzherzogin von Österreich)。最後の皇帝カール1世の義妹にあたる。
生涯
[編集]ツィスライタニエン首相を務めた政治家コンラート・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト侯子とその妻の伯爵令嬢フランツィスカ・フォン・シェーンボルン=ブーフハイムの間の第5子、次女として生まれる。フランツィスカ・マリア・アンナ(Franziska Maria Anna)と名付けられた。ドイツ帝国宰相を務めたクロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト侯の姪孫であり、フランツ・リストの恋人として知られるカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタインの曾孫でもある。
1917年11月29日にラクセンブルクにおいて、皇弟マクシミリアン・オイゲン大公と結婚した。
第1次世界大戦後、二重帝国の崩壊とともに皇族の身分を失い、夫ともども国外に追放された。ミュンヘンやシュタルンベルク湖畔で「ヴェルンブルク伯爵夫人(Gräfin von Wernberg)」と名乗って暮らし、この界隈では「ファニー大公妃(Erzfanny)」の通称で呼ばれた。ミュンヘンで高級ブティックを経営して成功させた。
子女
[編集]夫との間に2人の息子をもうけた。
- フェルディナント・カール・マックス・フランツ・オットー・コンラート・マリア・ヨーゼフ・イグナティウス・ニコラス(1918年 - 2004年) - 1956年、伯爵令嬢ヘレーネ・ツー・テーリンク=イェッテンバッハ[注釈 1]と結婚
- ハインリヒ・カール・マリア(1925年 - 2014年) - 1961年、ルドミラ・フォン・ガレンと結婚