フランソワ=ジョゼフ・エイム
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フランソワ=ジョゼフ・エイム François-Joseph Heim | |
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生誕 |
1787年12月16日 フランス王国、ベルフォール |
死没 |
1865年9月29日 フランス帝国、パリ |
フランソワ=ジョゼフ・エイム(François-Joseph Heim、1787年12月16日 - 1865年9月29日)はフランスの画家である。
略歴
[編集]テリトワール・ド・ベルフォール県のベルフォールに生まれた。父親はベルフォールの学校で絵を教えていたが、家族とストラスブールに移り、ストラスブールの学校で絵画の賞を得た。1803年にパリに出て、フランソワ=アンドレ・ヴァンサンの工房で修業を始めた。当時、ヴァンサンの工房にはジャン・アローやフランソワ=エドゥアール・ピコ、オラース・ヴェルネといった画家が学んでいた。
イタリア留学の奨学金が得られるローマ賞に1806年に応募し2位となり[1]、1807年に1位となった。1808年にイタリアに留学し、在ローマ・フランス・アカデミーでギヨーム・ギヨン=ルティエールのもとで学び、ミケランジェロの作品を模写して修行した。ローマからパリに送った作品は高い評価を得た。
パリに帰国した後、1812年に出展した作品は展覧会で金賞を得た。フランス復古王政の時代に入り多くの作品をサロンに出展し、ルーブル宮殿の装飾画も描いた。
1829年にジャン=バプティスト・ルニョーの後を継いで、芸術アカデミーの会員に選ばれた。1831年にエコール・デ・ボザールの教授に任じられた[2]。
作品
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「1824年のサロンで賞を授与するシャルル10世」(1825)
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ロクロワの戦い (1834)
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「ローマ人によるエルサレム破壊」のための習作(1824)
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ベルサイユ宮殿の戦闘の回廊の開場に臨席するルイ・フィリップ
脚注
[編集]参考文献
[編集]- Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Heim, François Joseph". Encyclopædia Britannica. 13 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 213
- Revue d’Alsace, année 35, Colmar ; Belfort, Fédération des sociétés d’histoire et d’archéologie d’Alsace, 1884, pp. 329-36. Document utilisé pour la rédaction de l’article
- André Larger, « François Joseph Heim », in Nouveau dictionnaire de biographie alsacienne, vol. 16, p. 1482.