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フランソワ・ドルレアン (1961-2017)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランソワ
François
ブルボン=オルレアン家

称号 ドーファンクレルモン伯
出生 (1961-02-07) 1961年2月7日
フランスの旗 フランスブローニュ=ビヤンクール
死去 (2017-12-31) 2017年12月31日(56歳没)
フランスの旗 フランスナント
埋葬 2018年1月6日
フランスの旗 フランスドルーサン=ルイ王室礼拝堂フランス語版
父親 フランス公アンリ
母親 マリー・テレーゼ・フォン・ヴュルテンベルク英語版
宗教 キリスト教カトリック教会
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フランソワ・ドルレアンフランス語: François d'Orléans1961年2月7日 - 2017年12月31日)は、フランスの旧王家オルレアン家の一員。フランス公アンリの長男。クレルモン伯ドーファン(王太子)の称号を有した。

生涯

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先天性トキソプラズマ症のため、深刻な精神障害があった[1]。このため当時の家長である祖父パリ伯アンリは、1981年にフランソワを継承順位から除外した[2][1]

1999年、家督を継いだ父アンリによって、継承順位からのフランソワの除外が再確認された[1][2]。しかし2003年には一転して継承権が認められた[1][2]。将来的にフランソワが当主となり、すぐ下の弟ジャンが兄の摂政を務めるものとされたが、ジャンはこの変更に反発し、オルレアン家継嗣の座をめぐって論争が生じた[2]

2017年12月31日、薨去。これによりジャンが父アンリの後継者(=ドーファン)となり、家督相続人をめぐる論争は収束した[2]。2018年1月6日、ドルーサン=ルイ王室礼拝堂フランス語版において葬儀が催された[1]

ジャンによると、父アンリはフランソワの死後やつれたという[2]

出典

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