フランソワ・ドルレアン (ジョアンヴィル公)
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フランソワ・ドルレアン François d'Orléans | |
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称号 | ジョアンヴィル公 |
出生 |
1818年8月14日 フランス王国、ヌイイ=シュル=セーヌ、ヌイイ城 |
死去 |
1900年6月16日(81歳没) フランス共和国、パリ |
配偶者 | フランソワーズ・ド・ブラガンス |
子女 |
フランソワーズ ピエール |
家名 | オルレアン家 |
父親 | フランス王ルイ・フィリップ |
母親 | マリー・アメリー・ド・ブルボン |
役職 | フランス海軍提督 |
フランソワ・ドルレアン(フランス語全名:François-Ferdinand-Philippe-Louis-Marie d'Orléans, prince de Joinville、1818年8月14日 - 1900年6月16日)は、フランスの王族。ジョアンヴィル公。フランス海軍の提督を務めた。
生涯
[編集]フランス王ルイ・フィリップと妃マリー・アメリーの三男として、ヌイイ城で生まれた。海軍で学び、1836年に士官となった。1840年に艦長となり、セントヘレナ島からナポレオンの遺体を母国へ持ち帰った。
1848年に2月革命で王政が廃止されると、一家でイギリスへ亡命。アメリカ南北戦争の際にはアメリカ政府に招聘され、息子と甥2人とともにワシントンD.C.を訪れていた。
フランス第二帝政時代の1870年、偽名を用いて母国へ入国し、軍に入隊して良い働きを見せたが、時の首相レオン・ガンベタによって逮捕され、イギリスへ強制送還された。
1871年に国民議会議員に選ばれるものの、元王族が議席を持つのを疎まれ、1876年に辞職に追い込まれた。
子女
[編集]1843年5月1日、リオデジャネイロでブラジル皇女フランシスカ(フランス語名フランソワーズ・ド・ブラガンス)と結婚。2子をもうけた。
- フランソワーズ(1844年 - 1925年) - 同族の従兄シャルトル公ロベールと結婚。
- ピエール (en) (1845年 - 1919年) - パンティエーヴル公。生涯独身を通したが、庶子が2人いたとされる。[要出典]