フランソワ・アントワーヌ・アブネック
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フランソワ・アントワーヌ・アブネック | |
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基本情報 | |
生誕 | 1781年1月22日 |
出身地 | フランス王国、メジエール |
死没 | 1849年2月8日(68歳没) |
学歴 | パリ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ヴァイオリニスト・指揮者・作曲家 |
担当楽器 | ヴァイオリン |
フランソワ・アントワーヌ・アブネック(François Antoine Habeneck, 1781年1月22日 - 1849年2月8日)は、フランスのヴァイオリン奏者・指揮者。
経歴
[編集]1781年、メジエール生まれ。1801年にパリ音楽院に入学し、ピエール・バイヨにヴァイオリンを師事して、ヴァイオリン科首席となる(1804年)。
卒業ののちパリ・オペラ座管弦楽団に入団し、首席ヴァイオリン奏者(コンサートマスター)を務める。1806年に音楽監督に就き、1821年から1824年まで指揮者を務める。1828年から、パリ音楽院管弦楽団の指揮者を20年にわたって務め[1]、1828年には終身指揮者に選ばれた。アブネックは演奏活動を通じてベートーヴェンの交響曲をフランスに広めた。またベルリオーズやワーグナーが、アブネックの解釈を通じてベートーヴェンへの崇敬の念を深めたことは有名。
作曲家としては、2つのヴァイオリン協奏曲のほか、いくつかの歌曲を残した。門人に、ジャン・デルフィン・アラールとユベール・レオナールがいる。
脚注
[編集]- ^ パリ音楽院管弦楽団演奏会記録 Archived 2007年5月14日, at the Wayback Machine.