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フランシス・ノース (第4代ギルフォード伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代ギルフォード伯爵フランシス・ノース英語: Francis North, 4th Earl of Guilford1761年12月25日 - 1817年1月11日)は、イギリスの貴族、軍人、劇作家。1802年までフランシス・ノース閣下The Honourable Francis North)という称号を使用した。

ノースは第2代ギルフォード伯爵フレデリック・ノースの次男として生まれ、1777年7月8日に第58ラトランドシャー歩兵連隊英語版エンサイン英語版としての辞令を受けた[1]。1778年1月27日、第2竜騎兵連隊英語版コルネット英語版になり[2]、1778年12月[3]または1779年5月[4]第2近衛竜騎兵連隊英語版の中尉に昇進した。1780年4月29日、第96歩兵連隊英語版の大尉になった[5]

1780年12月30日、新しく任命されたアイルランド総督である第5代カーライル伯爵フレデリック・ハワードの特命エー=ド=カン英語版に任命され[6]、1782年にカーライル伯爵が退任するまで務めた。1781年4月9日、第49歩兵連隊英語版に転じた[7]。1783年4月22日、第83歩兵連隊英語版の少佐に昇進したが、連隊は同年に解体された[8]

ノースは劇作家でもあり、作品の『The Kentish Baron』は1791年にヘイマーケット英語版で上演され、成功を収めた[4]。1794年9月9日、中佐に昇進した[9]。1795年にドーヴァー城の長官代理、1799年にディール城英語版の長官に任命された。1802年、兄ジョージ・オーガスタス・ノースからギルフォード伯爵の爵位を継承した。1803年5月5日、ケント副統監に任命された[3]

1810年7月19日にマリア・ボイコット(Maria Boycott)と結婚したが、2人の間に子供はおらず、ノースが1817年にピサで死去するとギルフォード伯爵の爵位は弟のフレデリックが継承した[3]

脚注

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  1. ^ "No. 11785". The London Gazette (英語). 5 July 1777. p. 2.
  2. ^ "No. 11843". The London Gazette (英語). 24 January 1778. p. 2.
  3. ^ a b c Doyle, James William Edmund (1886). The Official Baronage of England, v. 2. London: Longmans, Green. p. 90. https://books.google.com/books?id=mFpmAAAAMAAJ&pg=PA90 
  4. ^ a b Almack, Edward (1908). The History of the Second Dragoons: The Scots Greys. London. p. 230. https://books.google.com/books?id=Il8sAAAAYAAJ&pg=PA230 
  5. ^ "No. 12078". The London Gazette (英語). 25 April 1780. p. 4.
  6. ^ "No. 12150". The London Gazette (英語). 2 January 1781. p. 2.
  7. ^ "No. 12180". The London Gazette (英語). 17 April 1781. p. 1.
  8. ^ "No. 12433". The London Gazette (英語). 9 April 1783. p. 1.
  9. ^ "No. 13701". The London Gazette (英語). 6 September 1794. p. 905.

外部リンク

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グレートブリテンの爵位
先代
ジョージ・オーガスタス・ノース
ギルフォード伯爵
1802年 - 1817年
次代
フレデリック・ノース