コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

フランシス・スコット (1721-1750)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トマス・バードウェル英語版による肖像画、1747年。

ダルキース伯爵フランシス・スコット英語: Francis Scott, Earl of Dalkeith1721年2月19日1750年4月1日)は、グレートブリテン王国の政治家。

生涯

[編集]

第2代バクルー公爵フランシス・スコットジェーン・ダグラス英語版(1701年 – 1729年、第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスの娘)の息子として、1721年2月19日に生まれ、3月18日にセント・マーティン・イン・ザ・フィールズで洗礼を受けた[1]。1732年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1739年10月27日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1742年1月26日にM.A.の学位を修得した[3]

1746年4月にバラブリッジ選挙区英語版の補欠選挙で当選して庶民院議員に就任、翌年の総選挙でも再選した[2]

1749年、ケンブリッジ大学よりLL.D.の学位を授与された[4]

1750年4月1日に天然痘により死去、ダルキースで埋葬された[1]

家族

[編集]

1742年10月2日、キャロライン・キャンベル英語版(1717年 – 1794年、第2代アーガイル公爵ジョン・キャンベルの娘)と結婚[1]、4男2女をもうけた[5]

出典

[編集]
  1. ^ a b c Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 368.
  2. ^ a b Sedgwick, Romney R. (1970). "SCOTT, Francis, Lord Dalkeith (1721-50).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月19日閲覧
  3. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (S to Z) (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1264.
  4. ^ "Scott, Francis, Earl of Dalkeith (SCT749F)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  5. ^ "Buccleuch, Duke of (S, 1663)". Cracroft's Peerage (英語). 29 December 2014. 2020年8月19日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ジョージ・グレゴリー英語版
ウィリアム・マレー英語版
庶民院議員(バラブリッジ選挙区英語版選出)
1746年 – 1750年
同職:ウィリアム・マレー英語版
次代
ルイス・ワトソン閣下英語版
ウィリアム・マレー英語版