フランシス・スコット (1721-1750)
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ダルキース伯爵フランシス・スコット(英語: Francis Scott, Earl of Dalkeith、1721年2月19日 – 1750年4月1日)は、グレートブリテン王国の政治家。
生涯
[編集]第2代バクルー公爵フランシス・スコットとジェーン・ダグラス(1701年 – 1729年、第2代クイーンズベリー公爵ジェイムズ・ダグラスの娘)の息子として、1721年2月19日に生まれ、3月18日にセント・マーティン・イン・ザ・フィールズで洗礼を受けた[1]。1732年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1739年10月27日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1742年1月26日にM.A.の学位を修得した[3]。
1746年4月にバラブリッジ選挙区の補欠選挙で当選して庶民院議員に就任、翌年の総選挙でも再選した[2]。
1749年、ケンブリッジ大学よりLL.D.の学位を授与された[4]。
1750年4月1日に天然痘により死去、ダルキースで埋葬された[1]。
家族
[編集]1742年10月2日、キャロライン・キャンベル(1717年 – 1794年、第2代アーガイル公爵ジョン・キャンベルの娘)と結婚[1]、4男2女をもうけた[5]。
- キャロライン(1743年10月1日 – 1753年12月10日)
- ジョン(1745年1月3日 – 1749年1月31日)
- ヘンリー(1746年 – 1812年) - 第3代バクルー公爵
- キャンベル(1747年10月17日 – 1766年10月18日)
- ジェームズ(1748年3月1日 – 1758年1月17日)
- フランシス(1750年 – 1817年) - 1783年5月13日、初代ダグラス男爵アーチボルド・ダグラスと結婚、子供あり
出典
[編集]- ^ a b c Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 368.
- ^ a b Sedgwick, Romney R. (1970). "SCOTT, Francis, Lord Dalkeith (1721-50).". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2020年8月19日閲覧。
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (S to Z) (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1264.
- ^ "Scott, Francis, Earl of Dalkeith (SCT749F)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "Buccleuch, Duke of (S, 1663)". Cracroft's Peerage (英語). 29 December 2014. 2020年8月19日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 ジョージ・グレゴリー ウィリアム・マレー |
庶民院議員(バラブリッジ選挙区選出) 1746年 – 1750年 同職:ウィリアム・マレー |
次代 ルイス・ワトソン閣下 ウィリアム・マレー |