フランシス・グレイ (第14代グレイ卿)
第14代グレイ卿フランシス・グレイ(英語: Francis Gray, 14th Lord Gray FRS FRSE FSA Scot、1765年9月1日 – 1842年8月20日)は、スコットランドの貴族、政治家、地主。
生涯
[編集]第11代グレイ卿ジョン・グレイとマーガレット・ブレア(Margaret Blair、1720年8月6日 – 1790年1月23日、アレクサンダー・ブレアの娘)の息子として、1765年9月1日に生まれた[1]。
1793年、少佐としてブレーダルベイン国防部隊という民兵隊に入隊した[2]。
1807年12月12日に兄ウィリアム・ジョンが死去すると、グレイ卿の爵位を継承した[1]。また、同年から1810年までスコットランド郵政副長官を務め、1812年から1841年8月までスコットランド貴族代表議員を務めた[1]。議員としてはトーリー党に所属した[3]。
1812年にエディンバラ王立協会フェローに[4]、1816年2月15日に王立協会フェローに選出された[5]。1815年から1823年までエディンバラ王立協会副会長を務めたほか、スコットランド考古協会フェローにも選出され、1819年から1823年まで同協会の会長を務めた[4]。また、パースシャー文学考古協会(Perthshire Literary and Antiquarian Society)の創設者の1人だった[4]。
建築家のロバート・スマークにキンファウンズ城の再建を依頼(1820年 – 1822年)、1825年7月にはウィリアム・トロッターに家具の製造を依頼した[3]。
1842年8月20日にキンファウンズ城で死去、長男ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1794年2月17日、メアリー・アン・ジョンストン(Mary Anne Johnstone、1858年12月31日没、ジェームズ・ジョンストンの娘)と結婚[1]、2男3女をもうけた[2]。
- ジョン(1798年 – 1867年) - 第15代グレイ卿
- マデリーナ(1799年 – 1869年) - 第16代グレイ女卿
- ウィリアム(1801年4月10日 – 1802年3月)
- マーガレット(1802年12月10日 – 1822年4月24日) - 1820年6月20日、ジョン・グラント(John Grant)と結婚、子供あり。第17代グレイ女卿マーガレット・マレー(旧姓グラント)の母
- ジェーン・アン(1806年7月24日 – 1873年3月4日) - 1834年4月17日、チャールズ・フィリップ・エインズリー(Charles Philip Ainslie)と結婚。1843年に離婚
出典
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 89.
- ^ a b "Gray, Lord (S, c.1445)". Cracroft's Peerage (英語). 20 February 2010. 2019年9月8日閲覧。
- ^ a b Jones, David (1997). "William Trotter's Furniture for the 'chinease' Rooms at Kinfauns Castle, Perthshire". Furniture History. 33: 240. JSTOR 23408098。
- ^ a b c "Former Fellows of the Royal Society of Edinburgh 1783 – 2002" (PDF). Royal Society of Edinburgh (英語). p. 380. 2019年9月8日閲覧。
- ^ "Gray; Francis (1765 - 1842); 14th Baron Gray". Record (英語). The Royal Society. 2019年9月8日閲覧。
公職 | ||
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先代 ロバート・トロッター |
スコットランド郵政副長官 1807年 – 1810年 |
次代 ケイスネス伯爵 |
スコットランドの爵位 | ||
先代 ウィリアム・ジョン・グレイ |
グレイ卿 1807年 – 1842年 |
次代 ジョン・グレイ |