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フランコ・タンクレーディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランコ・タンクレーディ
名前
ラテン文字 Franco Tancredi
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1955-01-10) 1955年1月10日(69歳)
出身地 ジュリアノーヴァ
身長 179cm
体重 75kg
選手情報
ポジション GK
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1972-1974 イタリアの旗 ジュリアノーヴァ 45 (0)
1974-1976 イタリアの旗 ミラン 0 (0)
1976-1977 イタリアの旗 リミニ 28 (0)
1977-1990 イタリアの旗 ローマ 288 (0)
1990-1991 イタリアの旗 トリノ 6 (0)
代表歴
1984-1986 イタリアの旗 イタリア 12 (0)
監督歴
1992-2004 イタリアの旗 ローマ(GKコーチ)
2004-2006 イタリアの旗 ユヴェントス(GKコーチ)
2006-2007 スペインの旗 レアル・マドリード(GKコーチ)
2007-2011 イングランドの旗 イングランド代表(GKコーチ)
2011-2012 イタリアの旗 ローマ(GKコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランコ・タンクレーディ (Franco Tancredi、1955年1月10日 - )は、イタリア出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK

経歴

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クラブ

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1972年にセリエCジュリアノーヴァ・カルチョ英語版でデビュー[1]。1974年にセリエAACミランへ移籍したが、正ゴールキーパーにはエンリコ・アルベルトージが控えていたため出場機会を得ることは出来ず、1976年にセリエBリミニ・カルチョFCへ移籍[1]。リミニで好調なプレーを維持したことから翌1977年にセリエAのASローマへ移籍し、1979年1月28日に行われたエラス・ヴェローナFC戦でセリエAデビューを果たした[1]

その後、ローマの正ゴールキーパーに定着すると、ブルーノ・コンティカルロ・アンチェロッティらとともに1982-83シーズンのセリエA優勝をはじめ、4度のコッパ・イタリア優勝 (1979-80, 1980-81, 1983-84, 1985-86)に貢献した[1]。1990年にローマを退団するまでリーグ通算288試合に出場し、8シーズンの間に255試合連続出場記録も打ち立てた[1]

同年、セリエAのトリノ・カルチョへ移籍したが、1991年に現役を引退した[1]

代表

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イタリア代表としては国際Aマッチ12試合に出場[1]。1984年にアメリカ合衆国で開催されたロサンゼルスオリンピックや、1986年にメキシコで開催された1986 FIFAワールドカップの代表メンバーに選ばれたが、ワールドカップではジョヴァンニ・ガッリが正キーパーを務めたため出場機会はなかった[1]

引退後

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引退後は1992年から2004年にかけて古巣のASローマでGKコーチを務め、1999年からローマで監督を務めていたファビオ・カペッロの移籍に伴ってユヴェントスレアル・マドリードイングランド代表のGKコーチを務めた[1]。その後2011年7月にローマのGKコーチに復帰し、シーズン終了まで職務を務めた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 10 GENNAIO 1955 - Franco Tancredi compie 60 anni”. laroma24.it (2015年1月10日). 2017年7月25日閲覧。