フランク・ネルソン・コール
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フランク・ネルソン・コール | |
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生誕 |
1861年9月20日 アメリカ合衆国マサチューセッツ州アッシュランド |
死没 |
1926年5月26日 (64歳没) アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク |
研究分野 | 数学 |
研究機関 |
ハーバード大学 ミシガン大学 コロンビア大学 アメリカ数学会 |
博士課程 指導教員 | フェリックス・クライン |
博士課程 指導学生 |
エリック・テンプル・ベル ジョージ・エイブラム・ミラー |
プロジェクト:人物伝 |
フランク・ネルソン・コール(Frank Nelson Cole, Ph.D.、1861年9月20日 - 1926年5月26日)は、アメリカ合衆国の数学者である。
マサチューセッツ州アッシュランドに生まれ、ハーバード大学を卒業した後、1885年から1887年まで同大学で数学を教えていた。
後にミシガン大学やコロンビア大学で教職に就いた[1]。1895年から25年間、アメリカ数学会(AMS)の事務局長を務めた。
1903年、ニューヨークで開かれたアメリカ数学会で、メルセンヌ数 M67 = 267 − 1の因数を確認したという発表を行った。M67 が因数を持つ(素数ではない)ことは、1876年にエドゥアール・リュカが証明していたが、リュカはその因数が何であるかまでは示せなかった。コールは黒板の前に立つと、M67の値、すなわち147,573,952,589,676,412,927 を注意深く書いた。今度は黒板の前の別の場所へ移動し、193,707,721 × 761,838,257,287と書いて、その乗算を手計算で行った。両者の値が等しいことが示されると、コールは自分の席に戻った。この間約1時間、コールは一言も発しなかった。少し間を置いて、会場に拍手が沸き起こったと伝えられている[2]。後にコールは、因数を発見するのに「毎週日曜日、3年間」かかったと述べている[3]。
1926年にニューヨーク市で64歳で亡くなった。アメリカ数学会のコール賞は彼を記念して制定されたものである。
脚注
[編集]- ^ Fiske, T. S. (1927). “Frank Nelson Cole”. Bull. Amer. Math. Soc. 33 (6): 773–777. doi:10.1090/s0002-9904-1927-04477-9. MR1561460.
- ^ 中村滋『フィボナッチ数の小宇宙(ミクロコスモス) フィボナッチ数、リュカ数、黄金分割』(改訂版)日本評論社、2008年1月25日、87頁。ISBN 978-4-535-78492-5 。
- ^ Gridgeman, N (1963), “The search for perfect numbers”, The New Scientist (334): 86–88
外部リンク
[編集]- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “フランク・ネルソン・コール”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.
- Episode #450 of This American Life (“So Crazy It Just Might Work”)
- フランク・ネルソン・コール - Mathematics Genealogy Project