フランクリン・M・フィッシャー
生誕 | 1934年12月13日 |
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死没 | 2019年4月29日 (84歳没) |
研究機関 |
マサチューセッツ工科大学 全米経済研究所 |
研究分野 |
産業組織論 ミクロ経済学 |
母校 | ハーバード大学 (Ph.D., 1960; B.A., 1956) |
博士課程 指導教員 | ジョン・R・マイヤー |
博士課程 指導学生 |
スタンレー・フィッシャー[1] マイケル・ロスチャイルド[2] ダグラス・バーンハイム[3] ナンシー・ローズ[4] ロバート・W・ヴィシュニー[5] アンドレ・シュライファー[6] |
実績 | 反トラスト経済学、産業組織論、ミクロ経済学、計量経済学の研究 |
受賞 | ジョン・ベイツ・クラーク賞 (1973) |
フランクリン・マーヴィン・フィッシャー (Franklin Marvin Fisher、1934年12月13日-2019年4月29日)は、アメリカ合衆国の経済学者。1960年から2004年までマサチューセッツ工科大学で経済学を教えていた。
経歴
[編集]フィッシャーはハーバード大学に通うと、そこで1955年にファイ・ベータ・カッパ[注釈 1]入りを果たし、1956年に学士号(スンマ・クム・ラウデ)を取得、1957年に経済学の修士号を、そして1960年に同博士号をハーバード大学から取得した[8][9]。彼の博士論文タイトルは「アプリオリ情報と時系列分析(A Priori Information and Time Series Analysis)」だった[8]。
フィッシャーは1958年にエレン・パラダイス・フィッシャーと結婚。彼らには3人の子供と8人の孫がいた。
彼は1956年から1957年までハーバード大学でティーチング・フェロー[注釈 2]になり、以下ハーバード大学フェロー協会のジュニアフェロー(1957-59)、シカゴ大学で経済学の助教授(1959-60)、マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学の助教授(1960-62)、同じくMITで経済学の准教授(1962-65)、そして1965年から2004年まではMITの経済学教授だった。以後、彼はMITでミクロ経済学の名誉教授[注釈 3]となった。1989年より彼は全米経済研究所の所長を務めた[8]。
経済学におけるフィッシャーの専門分野は、産業組織論、ミクロ経済学、計量経済学である。彼は反トラスト経済学の分野で幅広く執筆している[11]。彼は長年にわたり、反トラスト、契約紛争、査定評価、損害賠償、商標権侵害に関連する事案の専門家証人を務めてきた。彼は米国司法省との反トラスト法争議におけるIBM側のチーフ経済専門家証人であり、同訴訟は13年後の1982年に政府が取り下げた[12]。アメリカ合衆国対マイクロソフト (United States v. Microsoft Corp.) の訴訟では、彼は米国司法省を代表して同様の役割を果たした[11][12]。
2019年4月29日、フィッシャーはアルツハイマー病の合併症により死去、享年84歳だった[13]。
出版物
[編集]フィッシャーは、数百に及ぶ学術論文や多くの書籍の著者あるいは共著者である[8]。彼は反トラスト問題を扱った書籍を執筆した。1983年、彼は『Folded、Spindled、Mutilated:Economic Analysis and U.S. vs. IBM』を共著。この本は米国対IBMの反トラスト法訴訟に関するもので、同事案でフィッシャーは弁護を行う経済専門家の第一人者だった[14]。1985年、彼は『Antitrust and Regulation: Essays in Memory of John J. McGowan』を編纂し、これには反トラスト法と規制の重要な側面に対処する経済学者と弁護士による独自の小論が含まれている[15]。
彼は一般均衡と非均衡(disequilibria)の経済理論に関する計量経済学会後援のモノグラフを執筆した。
栄誉
[編集]フィッシャーは1973年にジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞した[8]。1963年より彼は計量経済学会のフェローであり、1968年から1977年にかけてはその学会誌『Econometrica』の編集者だった。1979年に彼は計量経済学会の会長となった。また彼はアメリカ経済学会の会員でもあった。1969年より彼はアメリカ芸術科学アカデミーのフェローを務めた[8]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 成績優秀な大学生による友愛会で、ここに入れることはアメリカ合衆国の大学生にとって最大の栄誉とされる[7]。「学習への愛情は人生の導きとなる」という意味のギリシャ語(Φιλοσοφία Βίου Κυβερνήτης)の頭字語"ΦΒΚ"から、ファイ・ベータ・カッパと呼ばれる。詳細は英語版en:Phi Beta Kappaを参照。
- ^ 簡単に言うと、大学の授業を担当することで奨学金を受け取る(学費が免除される)大学院生のこと。日本でも一部、北海道大学などがティーチング・フェロー制度を採用している[10]。
- ^ 正式な肩書は"Jane Berkowitz Carlton and Dennis William Carlton Professor of Microeconomics"という名誉職。
出典
[編集]- ^ Fisher, Stanley (1969). Essays on assets and contingent commodities (Ph.D.). MIT. 2017年5月25日閲覧。
- ^ Rothschild, Michael (1969). Essays in economic theory (Ph.D.). MIT. 2016年10月30日閲覧。
- ^ “Rationalizable economic behavior and strategic choice.”. October 2, 2016閲覧。
- ^ Rose, Nancy L. (1985). The incidence of rents in the regulated trucking industry (Ph.D.). MIT. 2017年7月7日閲覧。
- ^ Vishny, Robert W. (1985). Informational aspects of securities markets (Ph.D.). MIT. 2018年4月5日閲覧。
- ^ Shleifer, Andrei (1986). The business cycle and the stock market (Ph.D.). MIT. 2017年5月21日閲覧。
- ^ 山田順「日本人はなじめない、アメリカの超学歴社会」東洋経済オンライン、2013年6月12日。2019年10月22日閲覧。
- ^ a b c d e f “Franklin M. Fisher (C.V.)” (PDF). Department of Economics, Massachusetts Institute of Technology. November 17, 2008閲覧。
- ^ “List of Participants: Prof. Franklin Fisher”. Global security and natural resources seminar (September 26, 2002). November 23, 2008閲覧。
- ^ 高等教育推進機構「北海道大学 ティーチング・フェロー研修会」2017年2月14日
- ^ a b “Direct testimony of Franklin M. Fisher” (PDF). United States Department of Justice. November 17, 2008閲覧。
- ^ a b Lohr, Steve; Joel Brinkley (January 6, 1999). “Pricing at Issue As U.S. Finishes Microsoft Case”. The New York Times November 17, 2008閲覧。
- ^ “Obituary for Fisher, Franklin M.”. Legacy.com. 2 May 2019閲覧。
- ^ Fisher, Franklin M.; John J. McGowan; Joen E. Greenwood (April 1983). Folded, Spindled and Mutilated: Economic Analysis and U.S. vs. IBM. MIT Press. ISBN 0-262-06086-8 November 18, 2008閲覧。
- ^ Fisher, Franklin M. (editor) (June 1985). Antitrust and Regulation: Essays in Memory of John J. McGowan. MIT Press. ISBN 0-262-06093-0 November 18, 2008閲覧。