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フライアーズカース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フライアーズカース
欧字表記 Friar's Carse
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 1923年[2]
死没 1948年[2]
Friar Rock[1]
Problem[1]
母の父 Superman[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[1]
生産者 John A. Rosseter[2]
馬主 Glen Riddle Farm[2]
調教師 Gwyn R. Tompkins[2]
競走成績
生涯成績 7戦5勝[2]
獲得賞金 20,225USD[2]
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フライアーズカース (Friar's Carse、1923年 - 1948年) は、アメリカ競走馬

現役中は主に短距離路線で活躍し、1925年にはアメリカ最優秀2歳牝馬英語版に選ばれている。繁殖牝馬としても競走馬・種牡馬の両方で成功したウォーレリックを送り出したほか、現代まで残る牝系の祖となった。

生涯

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1923年、ジョン・A・ロセターによって生産された[2]。その後、母馬のプロブレムとともにサミュエル・ドイル・リドルが経営するグレンリドルファーム英語版の所有となり、グウィン・R・トンプキンス英語版が調教した[2]

フライアーズカースは2歳の5月から6月にかけてステークス競走を3勝するなど優れた競走成績を収めた一方で、8月に発症した喘鳴症(ノド鳴り)が原因で早期の引退を余儀なくされた[2]。彼女は走るときに尻尾を振る癖があったが、それ以外は穏やかな性格だったと言われている[2]

引退後はグレンリドルファームで繁殖入りし、同じくリドルが所有するマンノウォーとの間にスピードボート(1933年テストステークス)やウォーレリック(1941年ナラガンセットスペシャル英語版ほか)、ウォーキルト(1945年デモワゼルステークス英語版)などの優秀な産駒をもうけた[2]。1948年に死亡[2]

戦績

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1925年

主なファミリーライン

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牝系図の主要な部分(G1級競走優勝馬、日本の重賞馬、その他個別記事のある馬)は以下の通り。*は日本に輸入された馬。

牝系図の出典:Galopp-Sieger

血統表

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フライアーズカース (Friar's Carse)血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ロックサンド系(ストックウェル系

Friar Rock
1913 栗毛
父の父
Rock Sand
1900 黒鹿毛
Sainfoin Springfield
Sanda
Roquebrune St. Simon
St. Marguerite
父の母
Fairy Gold
1896 栗毛
Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Dame Masham Galliard
Pauline

Problem
1914 栗毛
Superman
1904 栗毛
Commando Domino
Emma C.
Anomaly Bend Or
Blue Rose
母の母
Query
1906 栗毛
Voter Friar's Balsam
Mavourneen
Quesal Himyar
Queen Ban
母系(F-No.) (FN:1-o) [§ 2]
5代内の近親交配 Bend Or 3×4、Himyar 5×4(母内)、Galopin 5×5(父内)、Hermit 5・5×5 [§ 3]
出典
  1. ^ [3]
  2. ^ [3]
  3. ^ [3]


脚注

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  1. ^ a b c d e f g Friar's Carse(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2023年12月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m Avalyn Hunter. “Friar's Carse (USA)”. American Classic Pedigrees. 2023年12月18日閲覧。
  3. ^ a b c 血統情報:5代血統表|Friar's Carse(USA)|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2023年12月18日閲覧。

外部リンク

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