フョードル・ウラジミロヴィチ
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フョードル・ウラジミロヴィチ Фёдор Владимирович | |
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ピンスク公 | |
在位 | 13世紀後半 |
死去 |
1292年以降 |
家名 | リューリク家 |
父親 | ピンスク公ウラジーミル・グレボヴィチ |
フョードル・ウラジミロヴィチ(ロシア語: Фёдор Владимирович、? - 1292年以降)は、トゥーロフ・イジャスラフ家(キエフ大公イジャスラフの子孫)出身の、13世紀後半のピンスク公の1人である。
フョードルはピンスク公ウラジーミル・グレボヴィチの長男である。デミド、ユーリーの2人の弟とともにピンスク公国を統治した。1262年、ネブラという都市でリトアニア大公国軍を破ったヴォルィーニ公ヴァシリコを、2人の弟とともに祝った。しかしこの時フョードルはリトアニア軍のヴォルィーニ地方への進軍を黙認していたと推測されている。
参考文献
[編集]- Фёдар Уладзіміравіч // Вялікае Княства Літоўскае. Энцыклапедыя у 3 т. — Мн.: Беларуская Энцыклапедыя імя П. Броўкі, 2005. — Т. 2: Кадэцкі корпус — Яцкевіч. — С. 701. — 788 с.