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フューチュリティステークス (オーストラリア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フューチュリティステークス
Futurity Stakes[1]
開催国 オーストラリアの旗オーストラリア
主催者 メルボルン競馬会(Melbourne Racing Club
競馬場 コーフィールド競馬場[2]
2014年の情報
距離 芝1400メートル[2]
格付け G1[2]
賞金 賞金総額500,000豪ドル[2]
出走条件 サラブレッド3歳以上[2]
負担重量 馬齢重量[3]
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フューチュリティステークス[4]あるいはフュチュリティステークス[5](Futurity Stakes)とはオーストラリアビクトリア州メルボルン近郊のコーフィールド競馬場にて秋[注 1]に開催される競馬の競走である[6]

他のフューチュリティステークスと区別するため、開催国名を付して濠フューチュリティステークス[7]、開催地の名を冠してコーフィールド・フューチュリティ[8]、かつての主催者の略称を冠してVATCフューチュリティVATCコーフィールド・フューチュリティ[8]、現在の主催者のメルボルン競馬会(Melbourne Racing Club)の略称を冠してMRCフューチュリティステークス[9]と称することもある。2014年時点では、興行上はスポンサー冠をつけてキャセイパシフィック・フューチュリティステークス(Cathay Pacific Futurity S)と公称されている[2][注 2]

1898年から行われており、概ね1400メートルで行われている。一般的な「フューチュリティステークス」が2歳戦であるのに対し、この競走は3歳上の競走馬に出走権がある。

概要

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フューチュリティステークスは、1898年に創設され、創設以来、長い間7ハロン(約1408メートル)で行われてきた。1970年代にオーストラリアがヤード・ポンド法からメートル法へ移行すると1400メートルで行われるようになった。

オーストラリアで競走の格付けが始まると、1980年に最高格のグループ1(G1)に格付けされた。2006年からは「アジアマイルチャレンジ」シリーズの1戦となるため距離を1600メートル(約1マイル)に延長した。このシリーズは、オーストラリア、香港、日本、ドバイから1戦ずつが選ばれ、複数の競走で優勝したものには最高400万米ドル(当時の為替レートで約4億6000万)の賞金を与えるというもので、こうしたボーナス制度としては当時世界最高クラスの賞金を提供していた。しかし実際に賞金を獲得したのは2006年に1頭該当馬が出ただけで、2011年を最後に行われなくなった。フューチュリティステークスも2011年から距離を従前の1400メートルに戻した。また、この時期は経理代行業のパワーペイズ(Power Pays)社や美容関連企業のロックエボニー(Rokk Ebony)社がスポンサーになっていたが、年毎の賞金額の変動が大きく、70万豪ドルを提供した年もあれば、10万豪ドル程度の賞金だった年もある[3][10][11][12][13][14]

創設以来、1921年を除いて、戦時中も行われてきた[注 3]第二次世界大戦中はコーフィールド競馬場が軍事基地となったため、フレミントン競馬場で代替開催された。このほか1979年のみ1800メートルで行われ、1996年はコーフィールド競馬場の改装工事のためフレミントン競馬場で代替開催されている。

2014年現在は、メルボルンの秋開催「オータム・カーニバル」中に行われる。この開催の目玉競走は2歳馬による賞金100万豪ドルのブルーダイヤモンドステークスで、これに準ずるのがフューチュリティステークスとオークレープレートである。1400メートルの距離は、1200メートルぐらいを得意とするスプリンターと1600メートルぐらいを得意とするマイラーの両方を惹きつけるように意図されており、前者はしばしば馬齢重量戦のCFオーアステークスを経てフューチュリティステークスに挑んでくるものがいる。後者はフューチュリティステークスからオーストラリアンカップへ向かう事がある[3]

「フューチュリティステークス」とは

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イギリスで発達した近代競馬では、かつては馬齢と共に馬が成長して一人前になると考えられており、7歳や8歳になってようやく本格的な競走に耐え得るものと考えられていた。やがて競走に使いはじめる年齢は徐々に下がっていき、18世紀の前半には「若馬」である4歳馬による競馬が始まった。3歳馬の競走が世間に認められるようになったのは18世紀の後半で、2歳戦は18世紀の末に普及した[注 4]。しかしイギリスでは2歳馬の競走はあまり高い価値を与えられることはなかった[16]

1888年のアメリカのニューヨークで創設された「フューチュリティステークス」は、2歳戦でありながら全米最高額の賞金が提供され、大きな注目を集める競走となった。これを真似てアメリカ各地で同名の競走が創設されたので、いまでは大元の競走を発祥の地の名を冠して「ベルモントフューチュリティ」などと称する[17]

オーストラリアは19世紀のはじめ頃にイギリス人が競馬を持ち込んだが、大都市で本格化したのは19世紀半ばを過ぎてからである。メルボルン付近では1840年にフレミントン競馬場が作られ、1853年にはビクトリア競馬会(Victoria Racing Club、VRC)が組織され、大レースが行われるようになった。これに遅れて、1858年にアマチュア競馬の場としてコーフィールド競馬場が拓かれ、1898年からフューチュリティステークスが始まった。オーストラリアはもともとギャンブルに対する嗜好が強く、競馬はもっぱらギャンブルとして行われ、種牡馬はもっぱら本場イギリスからの輸入に依存していた[18][19][20]

コーフィールド競馬場は主にビクトリアアマチュア競馬会(Victoria Amateur Turf Club、VATC)が運営してきたが、2002年からはメルボルン競馬会が運営するようになった[20]

歴代優勝馬

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  • 「*」印は日本輸入馬を示す。
回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師
第1回 1898年 Resolute 牡4
第2回 1899年 Bobadil 牡3
第3回 1900年 Palmer 牡2
第4回 1901年 Aurous 牝3
第5回 1902年 Sir Foote 牡3
第6回 1903年 Sir Leonard 牡4
第7回 1904年 Playaway 牝3
第8回 1905年 Gladsome 牝4
第9回 1906年 Gladsome 牝5
第10回 1907年 Corroboree
第11回 1908年 Antonio 牡6
第12回 1909年 Soultline
第13回 1910年 Comedy King 牡6
第14回 1911年 Blairgour 牡3
第15回 1912年 Popinjay 牡3
第16回 1913年 Eudorus 牡6
第17回 1914年 Brattle 牝3
第18回 1915年 Flash Of Steel
第19回 1916年 Maharajah
第20回 1917年 Balarang 牡5
第21回 1918年 Wedge 牡4
第22回 1919年 Lucknow 牡4
第23回 1920年 Gold Tie 牡5
第24回 1922年 Eurythmic 牡5
第25回 1923年 Salatis 牡4
第26回 1924年 The Hawk 牡5
第27回 1925年 Father's Voice
第28回 1926年 Top Gallant 牡5
第29回 1927年 Waranton 騸8
第30回 1928年 Gothic 牡4
第31回 1929年 Mollison 牡3
第32回 1930年 Amounis 牡4
第33回 1931年 Phar Lap 牡5
第34回 1932年 Ammon Ra 牡3
第35回 1933年 Winooka 牡4
第36回 1934年 Waltzing Lily 牝4
第37回 1935年 Heros 牡6
Synagogue 牡3
第38回 1936年 Regular Bachelor 牡4
第39回 1937年 Gold Rod 牡3
第40回 1938年 Ajax 牡3
第41回 1939年 Ajax 牡4
第42回 1940年 Ajax 牡5
第43回 1941年 High Caste 牡4
第44回 1942年 Burrabil
第45回 1943年 Zonda 牝6
第46回 1944年 Counsel 牡6
第47回 1945年 Drum Net 牡3
第48回 1946年 Bernborough 牡3
第49回 1947年 Attley 牡3
第50回 1948年 Royal Gem 牝3
第51回 1949年 St. Razzle 牡5
第52回 1950年 St. Razzle 牡6
第53回 1951年 Iron Duke 牡4
第54回 1952年 San Domenico 騸6
第55回 1953年 Bob Cherry 牡5
第56回 1954年 Sir Isfahan
第57回 1955年 Prince Cortauld 牡4
第58回 1956年 The Orb 騸4
第59回 1957年 Parvo
第60回 1958年 Zariba 牡5
第61回 1959年 Lord 騸5
第62回 1960年 Todman 牡5
第63回 1961年 Sky High 牡3
第64回 1962年 Aquanita 牡5
第65回 1963年 Wenona Girl 牝5
第66回 1964年 Future
第67回 1965年 Sir Dane 牡4
第68回 1966年 *Star Affair 牡3
第69回 1967年 Cendrillon 牝3
第70回 1968年 Prince Romantic 牡3
第71回 1969年 Magic Rule 騸5
第72回 1970年 Crewman 牡4
第73回 1971年 Silver Spade
第74回 1972年 Gunsynd 牡4
第75回 1973年 Idolou 騸3
第76回 1974年 Idolou 騸4
第77回 1975年 Martindale 牡4
第78回 1976年 King's Helmet 牡5 1:23.0 J.Letts R.Hawks
第79回 1977年 Bonfield 牡4 1:24.3 M.Goreham L.Patterson
第80回 1978年 Always Welcome 牡4 1:24.8 J.Stocker B.Burns
第81回 1979年 Manikato 騸3 1:23.7 G.Willetts R.Hoysted
第82回 1980年 Manikato 騸4 1:23.1 R.Higgins R.Hoysted
第83回 1981年 Manikato 騸5 1:23.8 G.Willetts R.Hoysted
第84回 1982年 Galleon 牡3 1:22.4 C.Hayes B.Thomson
第85回 1983年 Manikato 騸7 1:24.2 G.Willetts R.Hoysted
第86回 1984年 Red Tempo 牡4 1:23.4 B.Thomson C.Hayes
第87回 1985年 Vite Cheval 牡4 1:24.0 K.Mitchell I.Saunders
第88回 1986年 Campaign King 牡3 1:22.2 H.White L.Theodore
第89回 1987年2月28日 Rubiton 牡3 1:23.5 H.White P.Barns
第90回 1988年 Vo Rogue 騸4 1:24.0 C.Small V.Rail
第91回 1989年 Zeditave 牡3 1:22.4 G.Hall A.Armanasco
第92回 1990年 Ark Regal 牡3 1:22.4 G.Hall S.Richards
第93回 1991年 Redelva 牡7 1:22.6 N.Wilson
第94回 1992年 Mannerism 牝4 1:23.9 D.Oliver L.Freedman
第95回 1993年 Schillaci 騸4 1:23.2 S.King L.Freedman
第96回 1994年 Primacy 騸4 1:22.0 L.Dittman D.Hayes
第97回 1995年 Schillaci 騸6 1:23.8 R.Griffith L.Freedman
第98回 1996年 Star Dancer 騸5 1:24.0 D.Beadman B.Wallace
第99回 1997年3月1日 Mouawad 牡3 1:23.1 G.Cooksley C.Conners
第100回 1998年2月28日 Encounter 牡3 1:23.51 S.Dye C.Conners
第101回 1999年2月27日 Rustic Dream 騸5 1:22.19 P.Mertens M.Price
第102回 2000年3月4日 *Testa Rossa 牡3 1:23.73 D.Oliver D.Lawson
第103回 2001年2月24日 Mr. Murphy 牡3 1:22.80 D.Oliver L.Freedman
Desert Sky 牡3 D.Gauci M.Ellerton
第104回 2002年3月2日 Dash for Cash 牡3 1:23.02 K.McEvoy R.Hore-Lacy
第105回 2003年3月1日 Yell 騸3 1:21.90 D.Gauci J.Hawkes
第106回 2004年2月28日 Reset 牡3 1:23.79 D.Nikolic G.Rogerson
第107回 2005年3月5日 Regal Roller 騸5 1:24.67 M.Flaherty C.McDonald
第108回 2006年3月4日 Fields Of Omagh 騸8 1:34.28 S.King D.Hayes
第109回 2007年3月3日 Aqua D'Amore 牝5 1:35.71 S.Baster G.Waterhouse
第110回 2008年3月1日 Niconero 騸7 1:34.77 C.Williams D.Hayes
第111回 2009年2月28日 Niconero 騸8 1:36.40 C.Williams D.Hayes
第112回 2010年2月27日 Typhoon Tracy 牝5 1:34.43 L.Nolen P.Moody
第113回 2011年2月26日 More Joyous 牝4 1:21.79 N.Rawiller G.Waterhouse
第114回 2012年2月25日 King Mufhasa 騸7 1:23.82 N.Rawiller S.McKee
第115回 2013年2月24日 All Too Hard 牡4 1:23.03 D.Dunn M. & W. & J.Hawkes
第116回 2014年2月22日 Moment Of Change 騸6 1:23.44 L.Nolen P.Moody
第117回[21] 2015年2月28日 Suavito 牝5 1:23.05 D.Oliver N.Blackiston
第118回[22] 2016年2月27日 Turn Me Loose 牡4 1:22.21 O.Bosson M.Baker
第119回[23] 2017年2月25日 Black Heart Bart 騸6 1:22.96 B.Rawiller D.Weir
第120回[24] 2018年2月24日 Brave Smash 牡5 1:23.16 C.Williams D.Weir
第121回[25] 2019年2月23日 Alizee 牝4 1:22.48 J.Bowman J.Cummings
第122回[26] 2020年2月22日 Streets Of Avalon 騸5 1:21.90 B.Melham S.Nichols
第123回[27] 2021年2月20日 Probabeel 牝4 1:22.76 D.Lane J.Richards
第124回[28] 2022年2月26日 Sierra Sue 牝5 1:22.36 J.Allen T.Busuttin & N.Young
第125回[29] 2023年2月25日 Alligator Blood 騸6 1:23.13 B.Shinn G.Waterhouse & A.Bott
第126回[30] 2024年2月24日 Mr Brightside 騸6 1:22.54 C.Williams B. & W. & JD.Hayes

脚注

[編集]

参考文献

[編集]
  • 『世界の競馬場2オーストラリア/ニュージーランド/香港/マカオ』ハイランド真理子著、中央競馬ピーアール・センター刊、1994
  • 『競馬の世界史』ロジャー・ロングリグ・著、原田俊治・訳、日本中央競馬会弘済会・刊、1976
  • 『サラブレッド』ピーター・ウィレット著、日本中央競馬会・刊、1978
  • 『海外競馬完全読本』海外競馬編集部・編、東邦出版・刊、2006、ISBN 978-4809405242
  • 『サラブレッド種牡馬銘鑑』第2巻、日本中央競馬会・刊、1972
  • 『サラブレッド種牡馬銘鑑』第10巻、日本中央競馬会・刊、1989
  • 『日本の種牡馬録3』白井透・著、サラブレッド血統センター・刊、1977
  • 『Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.IX』,The New Zealand Throughbred Breeder's Association(Inc),New Zealand Blood-Horse Ltd.,1976
  • 『Register of Throughbred Stallions of New Zealand Vol.XI』,The New Zealand Throughbred Breeder's Association(Inc),1980
  • Horse Racing Info Futurity Stakes

注釈

[編集]
  1. ^ オーストラリアは南半球なので、「秋」は北半球で言う春の時期に相当する。フューチュリティステークスはオーストラリアの秋競馬シーズンの2 - 3月に行われている。
  2. ^ 海外では、スポンサーが資金を提供する代わりに、レース名を呼ぶ際は必ずスポンサー名をつけなければいけない、という契約がしばしば行われている。この場合でも、血統書やセリ名簿などの記録にはスポンサー名をつけずに記録されるのが通例である。
  3. ^ 1921年の秋開催は、初日の開催が行われたところで、それ以降が中止になった。その原因は石油不足によりビクトリア州政府が競馬開催の中止を要請したためである[15]
  4. ^ この頃、最終的には1歳馬による競走も試みられたが、まもなく禁止された。

出典

[編集]
  1. ^ International Cataloguing Standards book 2014 (Australia) 2015年3月25日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 国際競馬統括機関連盟国際競馬統括機関連盟 2014年競走詳細 Cathay Pacific Futurity S. 2015年3月25日閲覧。
  3. ^ a b c Horse Racing Info Futurity Stakes 2015年3月25日閲覧。
  4. ^ 『世界の競馬場2オーストラリア/ニュージーランド/香港/マカオ』p104
  5. ^ 『サラブレッド種牡馬銘鑑』第10巻、p287
  6. ^ 『海外競馬完全読本』p124
  7. ^ 『日本の種牡馬録3』p26
  8. ^ a b 『サラブレッド種牡馬銘鑑』第2巻、p242
  9. ^ 競馬ブック 海外競走日本語表記一覧p15、2015年3月25日閲覧。
  10. ^ RACING 2010年2月25日付 Fast Facts - Group 1 Rokk Ebony Futurity Stakes 2015年3月25日閲覧。
  11. ^ 国際競馬統括機関連盟国際競馬統括機関連盟 2007年競走詳細 Power Pays Futurity S. 2015年3月25日閲覧。
  12. ^ 国際競馬統括機関連盟国際競馬統括機関連盟 2009年競走詳細 Rokk Ebony Futurity S. 2015年3月25日閲覧。
  13. ^ 国際競馬統括機関連盟国際競馬統括機関連盟 2010年競走詳細 Rokk Ebony Futurity S. 2015年3月25日閲覧。
  14. ^ 国際競馬統括機関連盟国際競馬統括機関連盟 2011年競走詳細 Rokk Ebony Futurity S. 2015年3月25日閲覧。
  15. ^ Sunday Times紙 1921年2月13日 The World Sport 2015年3月26日閲覧。
  16. ^ 『競馬の世界史』p85-86
  17. ^ 『競馬の世界史』p222-234
  18. ^ 『競馬の世界史』p254-261
  19. ^ 『競馬の世界史』p303-305
  20. ^ a b メルボルン競馬会 歴史 2015年3月25日閲覧。
  21. ^ 2015年レース結果 - レーシングポスト 2015年2月28日閲覧
  22. ^ 2016年レース結果 - breednet.com 2016年3月4日閲覧
  23. ^ 2017年レース結果 - breednet.com 2017年2月25日閲覧
  24. ^ 2018年レース結果 - breednet.com 2018年2月25日閲覧
  25. ^ 2019年フューチュリティS”. breednet.com (2019年2月23日). 2019年2月23日閲覧。
  26. ^ 2020年フューチュリティS”. breednet.com (2020年2月22日). 2020年2月22日閲覧。
  27. ^ 2021年フューチュリティS”. breednet.com (2021年2月20日). 2021年2月20日閲覧。
  28. ^ 2022年フューチュリティS”. breednet.com (2022年2月26日). 2022年2月26日閲覧。
  29. ^ 2023年フューチュリティS”. breednet.com (2023年2月25日). 2023年2月25日閲覧。
  30. ^ 2024年フューチュリティS”. breednet.com (2024年2月24日). 2024年2月24日閲覧。