フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ
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ガラタサライでのフェリペ・メロ (2014年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ Felipe Melo de Carvalho | |||||
愛称 | 猛犬、狂犬[1] | |||||
ラテン文字 | Felipe Melo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ブラジル スペイン | |||||
生年月日 | 1983年6月26日(41歳) | |||||
出身地 | ヴォルタ・ヘドンダ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | フルミネンセFC | |||||
ポジション | MF (CH / DH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2003 | フラメンゴ | 24 | (3) | |||
2003 | クルゼイロ | 31 | (2) | |||
2004 | グレミオ | 19 | (3) | |||
2005 | マジョルカ | 8 | (0) | |||
2005-2007 | ラシン・サンタンデール | 49 | (6) | |||
2007-2008 | アルメリア | 39 | (7) | |||
2008-2009 | フィオレンティーナ | 29 | (2) | |||
2009-2013 | ユヴェントス | 58 | (4) | |||
2011-2013 | → ガラタサライ (loan) | 62 | (13) | |||
2013-2015 | ガラタサライ | 52 | (2) | |||
2015-2016 | インテル・ミラノ | 31 | (1) | |||
2017-2021 | パルメイラス | 102 | (6) | |||
2022- | フルミネンセ | |||||
代表歴 | ||||||
2009-2010 | ブラジル | 22 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年4月23日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ(Felipe Melo de Carvalho, 1983年6月26日[2] - )は、ブラジル・リオデジャネイロ州出身のサッカー選手。カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA・フルミネンセFC所属。元ブラジル代表。ポジションはMF。
経歴
[編集]ブラジル時代
[編集]7歳の時に地元のサッカースクールに入団し、9歳になるとCRフラメンゴの下部組織に加入した[3]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションで、一年先輩のFWアドリアーノや同年のDFアンドレ・バイーアなどとともにプレーした。フォワードとしてプレーすることもあり、13試合で10得点したことがあった[4]。18歳でプロ契約を結び、マリオ・ザガロ監督の下で2001年11月4日のサンパウロFC戦でデビューすると、その11日後には初得点を決めた。2002年シーズンは21試合に出場し、2003年1月にはU-20ブラジル代表としてU-20南米選手権に出場した。
彼は幼少時代からフラメンゴの熱烈なファンであったが、この時期にフラメンゴは財政難に陥り、2003年には本人の承諾なしにクルゼイロECへの移籍が決定した[3]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションにはアレックスなどがいたため、ベンチが定位置だったが、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督に率いられたクルゼイロは、2003年にブラジル全国選手権、コパ・ド・ブラジル、ミナスジェライス州サッカーリーグの3冠を達成した。2004年シーズンはグレミオFBPAにレンタル移籍したが、やはりベンチが定位置だった。
スペイン時代
[編集]2004年、リーガ・エスパニョーラのRCDマジョルカにレンタル移籍した。シーズン途中にラシン・サンタンデールに完全移籍したが、不慣れな左ウイングで起用されたため、思うような活躍はできなかった[3]。2007年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのUDアルメリアに移籍した。ウナイ・エメリ監督の指導の下、ボランチにコンバートされ、2007-08シーズンは8位という好成績で終えた[3]。
イタリア時代
[編集]アルメリアでの活躍により、FCバルセロナやレアル・マドリードが興味を持ったといわれているが、2008年、イタリア・セリエAの強豪クラブであるACFフィオレンティーナに移籍することになった。「フィレンツェの街の美しさと、移籍前にフィオレンティーナのホームスタジアムであるアルテミオ・フランキにて観戦し、そのティフォジの熱狂ぶりが故郷のブラジルの熱狂を思い起こさせたからだ」[5] と本人は語っている。
フィオレンティーナ移籍後はすぐにレギュラーポジションを獲得した。2009年2月10日に行われた対イタリア代表との親善試合に代表初招集、セレソンデビュー戦を飾った。その後に行われたワールドカップ南米予選の対ペルー戦では代表初得点を決めている。その得点はハーフウェイライン付近でボールをカットし、そのまま1人でドリブルで駆け上がりゴールを決めるというものであった。コンフェデレーションズカップ南アフリカ大会ではレギュラーとして出場し、グループリーグのアメリカ戦では先制点を挙げるなど優勝に貢献した。
2009年7月、移籍金2050万ユーロでユヴェントスFCに移籍した(実質的にはマルコ・マルキオンニとの交換トレード)[6]。しかし高額な移籍金に見合う活躍はできず、最も期待はずれだった選手に贈られるビドーネ・ドーロを受賞した[7]。
2010年には2010 FIFAワールドカップのブラジル代表に選出され、4試合に出場。7月2日に開催された準々決勝・オランダ戦において、ロビーニョの先制ゴールをアシストしたが、後半8分にヴェスレイ・スナイデルのクロスへの対応で飛び出したジュリオ・セーザルと交錯。同点ゴール[8]を許すミスをした上、28分にはアリエン・ロッベンを踏みつけて退場処分を受けた。この失態はブラジル国内で猛烈に批判され、帰国時には空港でサポーターから罵詈雑言を浴びせられる事態になった。
トルコ時代
[編集]2011年7月にガラタサライSKに150万ユーロでレンタル移籍(1300万ユーロでの買取オプション付き)[9]。プレーオフを含む36試合に出場し12ゴールを挙げ、ガラタサライの4シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。しかし、ガラタサライは買取オプションを行使せず、ユベントスと交渉の結果、レンタル料175万ユーロ、650万ユーロの買い取りオプション付きという条件で引き続きガラタサライにレンタル移籍することが決まった[10]。
2012年11月24日のエラズースポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場となったGKフェルナンド・ムスレラに代わって急遽GKを任されると、相手のPKを止めて勝利の立役者となった[11]。2013年7月16日、ユヴェントスからガラタサライに完全移籍。移籍金は375万ユーロ[12]。契約は3年間。
イタリア復帰
[編集]2015年夏、インテル・ミラノからオファーが届き、一時はガラタサライと契約を延長するなど交渉は難航したが、移籍市場最終日に土壇場でアレックス・テレスらと共に移籍が決定した[13]。2015年9月24日のエラス・ヴェローナ戦でインテルでの初得点を挙げた。12月22日のSSラツィオ戦で、ルーカス・ビリアとの競り合いで右足を高く上げ、相手の右肩にかかと落としする形でファールを犯してレッドカードで一発退場となり、その後3試合の出場停止処分を科された[14]。
ブラジル復帰
[編集]2017年1月8日、SEパルメイラスへ3年契約で移籍した[15]。2018シーズンはリーグ戦29試合に出場して2ゴール1アシストを記録し、チームの優勝に貢献した[16]。2019年6月11日、クラブとの契約を2021年12月まで延長した[16]。
2021年12月13日、フルミネンセFCに2023年12月までの契約で加入することが発表された[17]。
エピソード
[編集]- 憧れの選手はジーコで[4]、そのジーコが鹿島アントラーズに在籍していたことや自身が幼い頃に柔道を習っていた経験から日本に関心を持っている。ユヴェントス移籍後はしばしば妻とともに、トリノの日本料理店で寿司や刺身、てんぷらを食べている[18]。
- 2020年5月、ユヴェントス時代のチームメイトだったジョルジョ・キエッリーニが、自伝の中でマリオ・バロテッリと共にメロを「今までプレーしてきた中で、一番最悪のチームメイトだった」と酷評し、「腐ったリンゴ」と表現したのに対し、メロは「彼こそ俺と面を合わせてモノを言えない臆病者だ!!!」と猛反論してみせた[19][20][21][22][23][24]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- フラメンゴ
- カンピオナート・カリオカ (2001)
- コッパ・ドス・カンペオンエス (2001)
- クルゼイロ
- コパ・ド・ブラジル (2003)
- カンピオナート・ブラジレイロ (2003)
- ガラタサライ
- パルメイラス
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA (2018)
- カンピオナート・パウリスタ (2020)
- コパ・リベルタドーレス (2020, 2021)
代表
[編集]- ブラジル代表
個人
[編集]- ビドーネ・ドーロ (2009)
脚注
[編集]- ^ フェリペ・メロが恐すぎる…移籍初戦で「狂犬」になる! qoly 2017年8月2日
- ^ “Felipe Melo” (英語). Goal.com. 2020年7月12日閲覧。
- ^ a b c d 「運命を変えたコンバート」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日号、78-79頁
- ^ a b footballista、ソルメディア、2009年10月28日号、14-15頁
- ^ フェリペ・メロ:「フィレンツェは僕にとってのブラジル」 - Goal.com 2008年5月24日
- ^ サッカー=ユベントス、ブラジル代表メロと契約 - ロイター 2009年7月16日
- ^ F・メロに“金のバケツ”賞 - Goal.com 2009年12月15日
- ^ メロのオウンゴールという判定だったが、試合後に変更された。スナイダーの得点に変更 - 時事ドットコム 2010年7月4日
- ^ Agreement with Galatasaray for the disposal of the player Felipe Melo Juventus.com、2011年7月22日
- ^ Felipe Melo de Carvalho Galatasaray'da Galatasaray.org、2012年8月10日
- ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ - Goal.com 2012年11月25日
- ^ Felipe Melo ceduto al Galatasaray
- ^ エルナネス放出のインテル、F・メロら3選手を獲得 - Goal.com 2015年9月1日
- ^ “かかと落とし”で一発退場のF・メロ、3試合出場停止処分に - フットボールチャンネル 2015年12月22日
- ^ フェリペ・メロが母国ブラジルに復帰…パルメイラスと3年契約締結 - サッカーキング 2017年1月9日
- ^ a b “リーグ優勝に貢献した元ブラジル代表MFメロがパルメイラスと2年契約”. 超ワールドサッカー (2019年6月12日). 2021年12月17日閲覧。
- ^ “38歳の元ブラジル代表メロがフルミネンセ入り! 2023年末までの契約”. 超ワールドサッカー (2021年12月15日). 2021年12月17日閲覧。
- ^ F・メロが語る日本愛 - Goal.com 2009年10月5日
- ^ “メロとバロテッリがキエッリーニに反撃!「男じゃない。俺には面と向かって言う勇気がある」”. goal.com.jp (2020年5月10日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ ““腐ったリンゴ”と言われたフェリペ・メロがキエッリーニに反論「いつだって臆病者だった」”. 超ワールドサッカー (2020年5月10日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “狂犬メロ、キエッリーニのクズ発言に応戦!「プロじゃねぇ」”. Qoly.jp (2020年5月10日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “メロが再びキエッリーニに噛みつく「頭突きのことをまだ根に持っている」”. goal.com.jp (2020年5月14日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “俺は最悪野郎じゃねえ…と反論のフェリペ・メロ、「ディエゴ・ロペスは殴った”. Qoly.jp (2020年5月15日). 2020年5月17日閲覧。
- ^ “お前が大嫌い!犬猿の仲のサッカー選手たち。エブラとスアレスは仲直り?”. Football Tribe (2020年5月12日). 2020年5月17日閲覧。
外部リンク
[編集]- フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ (@_FelipeMelo_) - X(旧Twitter)
- フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ - National-Football-Teams.com
- Felipe Melo – FIFA主催大会成績
- フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ - Soccerwayによる個人成績
- News about the Felipe Melo (Turkish Version)
- Statistics at TFF.org
- Profile at Transfermarkt
- ESPN Soccernet stats page
- Sambafoot.com profile