フェラーリ・333SP
フェラーリ・333SP | |
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Lista Racing Team仕様 | |
概要 | |
製造国 | イタリア |
販売期間 | 1994年 - 2000年 |
デザイン | ジャンパオロ・ダラーラ |
ボディ | |
ボディタイプ | 2座席スパイダー |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン | F130E型 3.997 L 65度 V型12気筒 DOHC |
最高出力 | 650 ps |
変速機 | 5速 シーケンシャルMT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,740 mm |
全長 | 4,569 mm |
全幅 | 2,000 mm |
全高 | 1,025 mm |
車両重量 | 860 kg |
フェラーリ・333SP (Ferrari 333 SP) は、1994年のIMSA・WSC(ワールドスポーツカー)参戦用にフェラーリが製作したスポーツカーである。名称の「333」は過去フェラーリが12気筒エンジン一択であった時代の命名規則に従った1気筒当たりの排気量による。フェラーリがスポーツカーレースに参加するのは、1973年の312PB以来、実に21年ぶりのことである。
概要
[編集]333SPの開発計画は、ステアリングメーカー「MOMO」の社長であり、現役レーサーでもあるジャンピエロ・モレッティが、フェラーリ副社長のピエロ・ラルディ・フェラーリに提案したことから始まる[1]。アメリカのIMSAで、1994年より生産エンジンをベースにしたWSCクラスが創設される機会にあわせて開発された。
計画担当はF1部門(スクーデリア・フェラーリ)ではなく、子会社のフェラーリ・エンジニアリング[1]。ジャンパオロ・ダラーラがトニー・サウスゲートの協力を得てデザインを行い[1]、ダラーラが製作を担当した。後期型はパドヴァのチューナーミケロットが担当した。
エンジンはロードカーF50用に開発中だった自然吸気の4.7リットル65度V型12気筒DOHC5バルブエンジンをベースにしてストロークを短縮し[1]、WSCの上限排気量である4.0リットルまで縮小されたF130E型である。最高出力は650メトリック馬力 (11,000回転毎分)、最大トルクは45キログラムメートル (9000回転毎分)[2]である。このエンジンを遡ると、1992年のF1マシンであるF92Aに搭載されていた040型 (3.5リットル) に繋がる[3]。
センターモノコックはカーボンコンポジットとアルミハニカムで成型し、シーケンシャルタイプの5速MTが組み合わされた[2]。
サスペンションは前後ともF1的なプッシュロッドを用いていた[4]。
WSCのレギュレーションでは「エンジンは市販車の4リットル以下の物」というものだったが、333SP完成時にはまだF50の発売前でしかもF50のエンジンは4.7リットルだったため、オーガナイザーのIMSAは協議の末、特例として参戦を認めた。オーガナイザーとしてもフェラーリの参戦がシリーズの盛り上げに必要と考えたためである[5]。
333SPは当初こそオーガナイザーに歓迎されたものの、しだいにその強さが懸念されるようになり、最初の仕様で11,500回転毎分だったエンジンのレブリミットが11,000回転毎分に制限され、一気筒あたり5バルブの仕様も禁止されてしまった。さらに吸気制限のためのエア・リストリクターまで義務づけられてしまった[5]。
一台あたりの価格は約100万ドルだった[4]。
戦績
[編集]333SPのレース活動はフェラーリ自身のワークス参戦ではなく、プライベーターへの供給・サポートという方法で行われた。
333SPは1994年IMSA第3戦ロードアトランタでデビューし、ワンツーフィニッシュを飾る。このシーズンは計5勝したが、途中参戦だったためシリーズ2位となった。
翌1995年は、クラシック耐久のデイトナ24時間、セブリング12時間にも参戦。デイトナはトラブルでリタイヤに終わるも、セブリングではフェラーリにとって23年ぶりの優勝を飾る。このシーズンは5勝して、ドライバーズ(フェルミン・ヴァレス)、マニュファクチャラーズの両チャンピオンを獲得した。
この年はル・マンにも参戦。フェラーリにとってプロトタイプでのル・マン参戦は1973年以来22年ぶりのことであったが、結果は3周でエンジントラブルによってリタイヤした。ル・マンには翌1996年も参戦し、ファステストラップをマーク。1997年は6位でフィニッシュした。
セブリング12時間では1997年・1998年にも優勝。デイトナ24時間は1996年・1997年と2年連続2位で苦杯を舐めるが、1998年には27年ぶりの優勝を成し遂げた。モレッティは15回目のデイトナ挑戦で頂点をつかみ[6]、このレースを最後に引退した。
1997年には欧州の国際スポーツレーシング・シリーズ (ISRS) に参戦し、スポーツレーシング・ワールド・カップ、FIA スポーツカー選手権とシリーズが変遷する中で、2001年までに数々の勝利とタイトルを積み重ねた。
333SPは1980年代のポルシェ・962同様、長い現役生活の中で多くのプライベーターに重宝されるマシンとなった。
現在
[編集]なお現在、中古として払い下げられた333SPの多くは、フェラーリの「コルセ・クリエンティ」部門が主催する「F1クリエンティ」プログラムに組み込まれ、メンテナンスなどのサポートを受けているほか、世界各国のサーキットでフェラーリが開催している「フェラーリ・レーシング・デイズ」や「フィナーリ・モンディアーリ」などのイベントでF1マシンとともに走行している。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- フェラーリF333 SP - Ferrari.com
- 1994 - 2000 Ferrari 333 SP - Ultimatecarpage.com