フィリップ・ファイト
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フィリップ・ファイト Philipp Veit | |
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自画像 | |
生誕 |
1793年2月13日 ドイツ国民の神聖ローマ帝国 / プロイセン王国 ブランデンブルク選帝侯領 ベルリン |
死没 |
1877年12月18日 ドイツ帝国 ヘッセン大公国 マインツ |
フィリップ・ファイト(Philipp Veit、1793年2月13日 - 1877年12月18日)はドイツ、ロマン派の画家である。キリスト教美術の復興を目指す画家集団、「ナザレ派」の一人でもある。忘れられたフレスコ画の技術を復活させた最初の画家とされる。
略歴
[編集]ベルリンに生まれた。父親は銀行家で、母親は哲学者・啓蒙思想家のモーゼス・メンデルスゾーンの娘で、小説家、翻訳家となり、ドロテーア・シュレーゲルとして知られることになる女性である。両親は1799年に離婚し、フィリップは母親に引き取られ、母親はドイツ初期ロマン派の思想家・文学者のフリードリヒ・シュレーゲルと結婚する。最初の美術教育はドレスデンで画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒに学び、その後ウィーンで学んだ。絵の才能には恵まれていたが、油絵を苦手とし、ウィーンでは水彩画を描いた。ファイトは義父のシュレーゲルを通じて、ロマン派の文学者、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフらとつきあった。1810年代にウィーンのアカデミーの学生がローマに移って作った、「ナザレ派」の活動に加わり、数年間ローマで活動した後、フランクフルトに移った。
1813年から14年はナポレオンに対する戦争に参加した後、しばらくベルリンに住み、1815年にウィーンでハイリゲンシュタットの聖ジェームス教会の壁画を完成した。その画風はルネッサンス期の画家、ペルジーノやラファエロの影響を受けている。
その後、フランクフルトで働き、1830年から1834年の間、美術館長や美術学校の教授などを務めた。1853年からはマインツの市立美術館の館長を務めた。
ファイトの作品
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Casa Massimo frescosの天井画
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シュテーデル美術館壁画
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宗教画
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Allegory of Russia
参考文献
[編集]- Veit, Philipp. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 39, Duncker & Humblot, Leipzig 1895, S. 546–551.
- Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Veit, Philipp". Encyclopædia Britannica. 27 (11th ed.). Cambridge University Press.