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フィリップ・コクー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリップ・コクー
PSV監督時のコクー(2014年)
名前
本名 フィリップ・ジョン・ウィリアム・コクー
Phillip John William Cocu
ラテン文字 Phillip Cocu
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1970-10-29) 1970年10月29日(54歳)
出身地 アイントホーフェン
身長 184cm
体重 77kg
選手情報
ポジション DF / MF / FW
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1990 オランダの旗 AZ 50 (8)
1990-1995 オランダの旗 フィテッセ 137 (25)
1995-1998 オランダの旗 PSV 95 (31)
1998-2004 スペインの旗 バルセロナ 205 (31)
2004-2007 オランダの旗 PSV 94 (23)
2007-2008 アラブ首長国連邦の旗 アル・ジャジーラ 17 (4)
通算 598 (122)
代表歴
1996-2006 オランダの旗 オランダ 101 (10)
監督歴
2012 オランダの旗 PSV (アシスタントコーチ)
2013-2018 オランダの旗 PSV
2018 トルコの旗 フェネルバフチェ
2019-2020 イングランドの旗 ダービー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フィリップ・ジョン・ウィリアム・コクー(Phillip John William Cocu, 1970年10月29日 - )は、オランダ北ブラバント州アイントホーフェン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。

本来のポジションは攻撃的ミッドフィールダーまたは守備的ミッドフィールダーであるが、タックル能力、状況判断力、チームプレーに優れているため、チーム事情によってはセンターバックやフォワードなどとしてもプレーした。本人は「一番好きなのは左サイドハーフであり、得点することだ」と語っている[1]

経歴

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選手

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クラブ

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初期の経歴

1970年10月29日、フィリップ・ジョン・ウィリアム・コクーは北ブラバント州アイントホーフェンに生まれた。生年月日はエドウィン・ファン・デル・サールとまったく同じである。2歳の時にヘルダーラント州アーネムへ引っ越し、子供のころはアヤックス・アムステルダムを応援していたという。AFC'34とDCSザフェナールというアマチュアクラブでプレーし、1988年、17歳の時にAZアルクマールに入団してプロデビューした。1990年にはSBVフィテッセに移籍したが、デビュー戦となったスパルタ・ロッテルダム戦で右足を骨折した。1992年には怪我が完治し、エールディヴィジでの5位躍進とUEFAカップ出場権獲得の助けとなった。フィテッセ時代にはAFCアヤックスが2度も彼の獲得を試みたが、1995年、ディック・アドフォカート監督が率いる故郷の名門クラブPSVアイントホーフェンに移籍した。

PSVアイントホーフェン

1995-96シーズンにはKNVBカップで優勝し、1996年夏にはヨハン・クライフ・シャールを獲得した。この頃のPSVアイントホーフェンはDFヤープ・スタム、DFアーサー・ニューマン、FWボウデヴィン・ゼンデン、MFヴィム・ヨンクなどが主力として活躍し、FWロナウドやFWルク・ニリスとも一緒にプレーしている。1996-97シーズンにはエールディヴィジ優勝を果たした。

FCバルセロナ

1998 FIFAワールドカップ後、オランダ人のルイス・ファン・ハール監督が率いるリーガ・エスパニョーラFCバルセロナに移籍した。1998-99シーズンにはリーガ・エスパニョーラ2連覇を果たすと、1999年夏にはDFフランク・デ・ブール、MFロナルド・デ・ブール、ゼンデンなどのオランダ人選手が加入した。ファン・ハール監督は同郷の選手を多数呼び寄せ、1998年から2000年頃にはコクーの他にデ・ブール兄弟、FWパトリック・クライファート、ゼンデン、GKルート・ヘスプ、DFミハエル・ライツィハー、DFウィンストン・ボハルデ、FWマルク・オーフェルマルスなどオランダ人が数多く在籍していたため、オランイェ・バルセロナ(Oranje Barcelona)やアヤックス・バルセロナ(Ajax Barcelona)などと呼ばれた。2003年夏に在籍していたオランダ人選手はコクーの他にクライファート、ライツィハー、オーフェルマルス、DFジョバンニ・ファン・ブロンクホルストであり、再びオランダ人のフランク・ライカールト監督が就任した。FCバルセロナでは外国人最多出場記録を塗り替える公式戦通算292試合に出場した[2]

PSVアイントホーフェン復帰

FCバルセロナからは新契約を提示されていたが、UEFA欧州選手権2004の開幕前に古巣PSVアイントホーフェン移籍を決めた。2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではMFマルク・ファン・ボメル韓国代表のMF朴智星スイス代表のMFヨハン・フォーゲルなどと3人の中盤を構成し、準決勝進出の快挙を遂げた。準決勝のACミラン戦セカンドレグではロスタイムにボレーシュートを決めたが、最終的には2試合合計3-3(ag)で敗れている。2004-05シーズンから2シーズン連続でリーグ優勝を果たし、2006年夏には現役引退の可能性もあったが、クラブ側の慰留もあって現役続行を決めた。2007年4月29日のSBVフィテッセ戦がPSVアイントホーフェンでの最終戦となったが、この試合でコクーはリーグ3連覇を決定づける5点目を決めている。PSVアイントホーフェンでの晩年はそのプレースタイルの劇的な変化から「メタモルフォーゼ(変態)」と表現されるほどの輝きを放った[1]

アル・ジャジーラ

PSVアイントホーフェンとの契約を延長せず、2007年8月15日、アラブ首長国連邦アル・ジャジーラと1年契約を結んだ。契約が満了した2008年夏に現役引退した。

代表

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2006 FIFAワールドカップでのコクー

PSVアイントホーフェンでの活躍が評価されてオランダ代表に初招集され、1996年4月24日のドイツとの親善試合でデビューした。同年夏にはUEFA欧州選手権1996のメンバーにも選ばれている。1998年までにレギュラーの座を獲得し、フース・ヒディンク監督によってフランスで開催された1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、大会中は試合ごとに異なるポジションで起用されている。準決勝のブラジル戦では左サイドバックのレギュラーであったDFアーサー・ニューマンが出場停止中であり、控えのDFウィンストン・ボハルデは試合前の練習で膝を負傷したため、コクーが左サイドバックとして出場したが、PK戦の3番手としてPKを失敗して大会からの敗退が決まった。コクー自身はグループリーグで2得点という結果を残した。2000年には母国開催のUEFA欧州選手権2000に出場し、2004年にはポルトガルで開催されたUEFA欧州選手権2004にキャプテンとして臨んだ。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では中盤の軸として活躍し、予選12試合を戦って10勝を挙げて本大会出場を決めた。ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップ本大会では4試合すべてに出場し、大会終了後に代表を退いた。2009年7月25日にはフィリップス・スタディオンで引退記念試合が行われた[3]

指導者

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2008年4月、ベルト・ファン・マルワイク監督が率いるオランダ代表のアシスタントコーチに就任した[4]

2008年夏にはPSVアイントホーフェンのユースチーム監督に就任したが、トップチームのフーブ・ステフェンス監督が退任してフレット・ルッテン監督が就任すると、トップチームのアシスタントコーチに就任した。

2012年3月12日にルッテン監督の解任に伴い、暫定的に監督へ昇格し最終節まで務めた。

2013年5月13日に正式にPSVの監督に就任することが発表された[5]

2018年6月22日フェネルバフチェSKの監督に就任した。

個人成績

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クラブでの出場記録

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クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
AZ 1988-89 15 4 2 1 17 5
1989-90 35 4 1 0 36 4
通算 50 8 3 1 0 0 53 9
フィテッセ 1990–91 8 0 0 0 0 0 8 0
1991–92 33 3 2 0 35 3
1992–93 34 6 2 1 6 1 42 8
1993–94 33 11 1 0 2 0 36 11
1994–95 29 5 1 1 2 0 32 6
通算 137 25 6 2 10 1 153 28
PSV 1995–96 29 12 4 2 8 2 41 16
1996–97 34 8 3 0 4 1 41 9
1997–98 32 11 6 5 6 1 44 17
通算 95 31 13 7 18 4 126 42
バルセロナ 1998–99 36 12 5 0 5 0 46 12
1999–00 35 6 4 0 14 2 53 8
2000–01 35 3 7 0 13 1 55 4
2001–02 34 2 0 0 16 0 50 2
2002–03 29 3 0 0 10 2 39 5
2003–04 36 5 5 0 7 1 48 6
通算 205 31 21 0 65 6 291 37
PSV 2004–05 29 6 3 1 13 3 45 10
2005–06 33 10 5 2 8 1 46 13
2006–07 32 7 3 1 7 0 42 8
通算 94 23 11 4 28 4 133 31
アル・ジャジーラ 2007-08 17 4 0 0 0 0 17 4
通算 17 4 0 0 0 0 17 4
総通算 598 122 54 14 121 15 773 151

代表での年別出場試合数

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[6] [7]


オランダ代表国際Aマッチ
出場得点
1996 9 2
1997 6 0
1998 15 2
1999 7 0
2000 13 0
2001 8 1
2002 7 1
2003 9 1
2004 13 1
2005 7 2
2006 7 0
通算 101 10

監督成績

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2019年7月5日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
PSV 2012年3月12日 2012年6月30日 12 9 1 2 31 12 +19 075.00
PSV 2013年7月1日 2018年6月30日 220 144 36 40 466 212 +254 065.45
フェネルバフチェSK 2018年7月1日 2018年10月28日 15 4 5 6 20 16 +4 026.67
ダービー 2019年7月5日 2020年11月14日 65 21 18 26 74 90 −16 032.31
合計 312 177 60 75 590 348 +242 056.73

タイトル

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選手時代

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PSVアイントホーフェン
FCバルセロナ
アル・ジャジーラ・クラブ

指導者時代

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PSVアイントホーフェン

脚注

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  1. ^ a b 木崎伸也「まだ未来の話はしたくない」『Sports Graphic Number 647』第27巻第4号、文藝春秋、2006年、64-67頁、雑誌 26851-3・2。 
  2. ^ Cocu holds the record of appearances for Barça as a foreign player FCバルセロナ公式サイト
  3. ^ 元オランダ代表コクーが引退試合 AFP BB News、2009年7月26日
  4. ^ Cocu set to retire for a new Dutch role
  5. ^ PSV、コクー新監督との契約を公式発表 Qoly.jp、2013年5月14日
  6. ^ Cocu, Phillip National Football Teams.com
  7. ^ Phillip Cocu - Century of International Appearances RSSSF

関連項目

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外部リンク

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