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フィリプ・クライノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリプ・クライノビッチ
Filip Krajinović
2023年モンテカルロ・マスターズでのフィリプ・クライノビッチ
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
出身地 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビアヴォイヴォディナ自治州ソンボル
生年月日 (1992-02-27) 1992年2月27日(32歳)
身長 185cm
体重 75kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2008年
ツアー通算 0勝
シングルス 0勝
ダブルス 0勝
生涯獲得賞金 6,156,367 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2019・21)
全仏 3回戦(2019・22)
全英 2回戦(2022)
全米 3回戦(2020)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2021・22)
全仏 1回戦(2015・19・21・22)
全英 1回戦(2019・21)
全米 1回戦(2018・21)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 ベスト4(2017・21・23)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 26位(2018年4月23日)
ダブルス 201位(2018年4月16日)
2024年2月19日現在

フィリプ・クライノビッチFilip Krajinović, セルビア語: Филип Крајиновић, 1992年2月27日 - )は、セルビアソンボル出身の男子プロテニス選手。まだATPツアーでシングルス・ダブルスともに優勝はない。自己最高ランキングはシングルス26位。ダブルス201位。身長185cm。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

選手経歴

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ジュニア時代

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5歳から地元のテニスクラブである「TK Žak」でテニスを始める。2006年、オレンジボウル国際テニス選手権英語版で4回戦進出をする。そこでバーナード・トミックに敗れる。2007年、フロリダ州ブレイデントンにある権威あるニック・ボロテリー・テニスアカデミーと契約を結ぶ。同年、パンチェヴォアトランタテキサスボカラトンで4つのジュニアタイトルを獲得した。

2008年 プロ転向

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2008年、ロヴェルヴァル英語版でジュニアタイトルを獲得する。その後ジュニアグランドスラムでは2008年全仏オープンでは3回戦でエフゲニー・ドンスコイ英語版に敗れた。2008年ウィンブルドン選手権ではベスト4進出。準決勝では後に優勝するグリゴール・ディミトロフに敗れた。2008年全米オープンでもベスト4進出。準決勝ではデビン・ブリットン英語版に敗れた。

2009年 ツアー本戦参戦

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ジュニア時代を通して、54勝9敗を記録して、2009年2月にはジュニア世界ランキング6位に達した。セルビア・オープンではワイルドカードによりATPツアー本戦初出場を果たす。1回戦でマルセル・グラノリェルスにフルセットで敗れた。夏にはチコ (カリフォルニア州)ロチェスター (ニューヨーク州)サン・セバスチャンの3大会で準優勝を飾った。年間最終ランキングは356位。

2011年 怪我による手術

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2011年の最初の4ヶ月を昨年から続いている肩の怪我により欠場。5〜6月にも復帰を試みたが、7月14日に長続きしている怪我を治すために手術を選択した。年間最終ランキングは1404位。

2012年 グランドスラム初出場

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世界ランキング1403位からシーズンスタート。ITF男子サーキットからATPチャレンジャーツアーに切り替えてプレーするようになった。4大大会では全仏オープンで予選を勝ち上がり初出場を果たす。年間最終ランキングは416位。

2013年 好調

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フューチャーズでクレー4大会(ポーランドF5、モロッコF4、モロッコF5、ハンガリーF2)準優勝を飾った。年間最終ランキングは226位。

2014年 トップ100入り

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2014年4月6日にハーリンジン (テキサス州)(15k)でのフューチャーズで初優勝を果たした。続いてリトルロック (アーカンソー州)でのフューチャーズでもフューチャーズ2勝目を挙げ、サラソータ (フロリダ州)でのATPチャレンジャーツアーでも決勝進出。決勝ではニック・キリオスに6-7(8), 4-6のストレートで敗れ、準優勝となったが、6月と8月でのイタリアのチャレンジャー大会では優勝した。さらに2014年全米オープン男子シングルスの本戦出場権を手にしてトップ100入りを果たした。年間最終ランキングは101位。

2015年 デビス杯ベスト8

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2015年全豪オープンで初の本戦ストレートイン。サム・グロスに3-6, 6-7(4), 4-6のストレートで初戦敗退となった。2015年全米オープンで1回戦でアレハンドロ・ゴンサレス英語版を6-4, 6-0, 6-4のストレートで破り、グランドスラム初勝利を挙げた。2回戦では第7シードのダビド・フェレールに5-7, 5-7, 6-7(4)のストレートで敗退するも、今季の活躍が認められてデビスカップセルビア代表に選抜され、チームのベスト8進出に貢献した。年間最終ランキングは101位。

2016年 2年連続デビス杯ベスト8

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2年連続でデビスカップセルビア代表として参戦し、ベスト8進出。5月の初旬と6月にツアー参戦するも、9月には長続きしている怪我のためツアーを早めに終了することになった。その結果トップ200陥落した。年間最終ランキングは237位。

2017年 マスターズ準優勝

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2017年パリ・マスターズでは予選から勝ち上がり、準々決勝ではラファエル・ナダルが棄権したため、ベスト4に進出。準決勝ではジョン・イスナーを 6-4, 6-7(2), 7-6(5)で破り決勝に進出した[1]。決勝ではジャック・ソックに 7-5, 4-6, 1-6 で敗れ準優勝となった。大会後のランキングでは自己最高の33位を記録している。年間最終ランキングは34位。

2018年 トップ30入り

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年間最終ランキングは95位。

2019年 ツアー3度目の決勝進出

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年間最終ランキングは40位。

2020年 マスターズベスト8

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年間最終ランキングは31位。

2021年 ツアー4度目の決勝進出

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年間最終ランキングは42位。

2022年 ツアー5度目の決勝進出

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年間最終ランキングは54位。

2023年

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年間最終ランキングは311位。

ATPツアー決勝進出結果

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シングルス: 3回 (0勝3敗)

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大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPファイナルズ (0-0)
ATPツアー・マスターズ1000 (0-1)
ATPツアー・500シリーズ (0-0)
ATPツアー・250シリーズ (0–2)
サーフェス別タイトル
ハード (0-2)
クレー (0-1)
芝 (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2017年11月5日 フランスの旗 パリ ハード(室内) アメリカ合衆国の旗 ジャック・ソック 7–5, 4–6, 1–6
準優勝 2. 2019年4月28日 ハンガリーの旗 ハンガリー クレー イタリアの旗 マッテオ・ベレッティーニ 6–4, 3–6, 1–6
準優勝 3. 2019年10月20日 スウェーデンの旗 ストックホルム ハード(室内) カナダの旗 デニス・シャポバロフ 4–6, 4–6

成績

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略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 通算成績
全豪オープン A A A A LQ 1R 1R A A 3R 2R 3–4
全仏オープン A A 1R A LQ 1R A LQ A 3R 2–3
ウィンブルドン LQ A LQ A LQ 1R A LQ 1R 1R NH 0–3
全米オープン LQ A A A 1R 2R A LQ 1R 1R 3R 3–5

大会最高成績

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大会 成績
ATPファイナルズ A 出場なし
インディアンウェルズ 4R 2019
マイアミ 4R 2018
モンテカルロ 3R 2021
マドリード 1R 2021-23
ローマ 3R 2020, 2022
カナダ 1R 2018, 2022
シンシナティ QF 2020
上海 1R 2018, 2019
パリ F 2017
オリンピック A 出場なし
デビスカップ SF 2017, 2021, 2023
ATPカップ RR 2021

脚注

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外部リンク

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