フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン
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フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン Philippine Charlotte von Preußen | |
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出生 |
1716年3月13日 プロイセン王国、ベルリン |
死去 |
1801年2月17日(84歳没) 神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ブラウンシュヴァイク |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領、ブラウンシュヴァイク大聖堂 |
配偶者 | ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世 |
母親 | ゾフィー・ドロテア・フォン・ハノーファー |
フィリッピーネ・シャルロッテ・フォン・プロイセン(Philippine Charlotte von Preußen, 1716年3月13日 - 1801年2月17日)は、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世の妃。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世と王妃ゾフィー・ドロテアの三女として、ベルリンで生まれた。
1733年、当時公世子であったカールと結婚、13子をもうけた[1]。
子女
[編集]- カール・ヴィルヘルム・フェルディナント(1735年 - 1806年) - ブラウンシュヴァイク公。イギリス王女オーガスタ・オブ・ウェールズと結婚
- ゲオルク・フランツ(1736年 - 1737年)
- クリスティアン・ルートヴィヒ(1738年 - 1742年)
- ゾフィー・カロリーネ(1737年 - 1817年) - ブランデンブルク=バイロイト辺境伯フリードリヒ3世妃
- アンナ・アマーリア(1739年 - 1807年) - ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公エルンスト・アウグスト2世妃
- フリードリヒ・アウグスト(1740年 - 1805年) - エールス公
- アルブレヒト・ハインリヒ(1742年 - 1761年)
- ルイーゼ(1743年 - 1744年)
- ヴィルヘルム・アドルフ(1745年 - 1770年)
- エリーザベト・クリスティーネ(1746年 - 1840年) - プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の最初の妃。後に離婚。
- フリーデリケ(1748年 - 1758年)
- アウグスタ・ドロテア(1749年 - 1803年) - ガンデルスハイムの尼僧
- マクシミリアン・ユリウス(1752年 - 1785年)
脚注
[編集]- ^ “Genealogy Index: Welf 6”. 2007年10月13日閲覧。